高校を卒業してから34年間、一つの会社で働き続けて順調に出世もしてきましたが、人生は一度きり、趣味の旅行で積み上げた実績を世の中に発信したい!という思いから脱サラ。 会社員の時に積み上げた仕事の経験は転職においては全くプラスにならず、人脈もまるでなし、本当のゼロスタートでした。 システム担当をしながら兼務した新卒採用や社員教育でのアウトプット術を使って、仕事は仕事、遊びは遊びと切り分けるやり方や、目的をもった生き方について発信していきます。
海が見られるのは安和駅のあたりくらいで、土佐久礼駅を出ると山越えにかかります。200メートル近くのぼって影野からは海岸までさほど距離はないものの四万十川の支流の上流付近を走行して窪川に着きます。
西佐川あたりからは西向きから南向きに進路が変わります。少し長いトンネルを抜けて海岸へと近づいていきます。須崎の手前あたりでようやく海が見えてきました。
土讃線の単行でさらに西へと進みます。伊野までは区間も短いところが多く、仁淀川を渡ると速度があがってきて日高村へ入ります。高校生は順々に降りていきました。
この列車は御免から土讃線に乗り入れて高知まで行きます。土讃線内も各駅停車なので小さな駅で停車しては特急に抜かれたり行き違いで長時間停車します。
ごめんなはり線の快速に乗り換えて、安芸から1両になった車両で奈半利まで行っての折り返しです。安芸で2両になるかな?と思ったらまさかの単行のまま高知まで乗り入れるようです。球場前で阪神タイガースのイベント帰りの人が多く乗ってきました。
この区間の中に一条橋停留場と清和学園前停留場間の63メートルという日本で最も短い区間があります。実際に走るとあっという間で気づかないかもしれません。後免町の手前でなかなか場内信号が変わらず乗り換えに焦りました。
鏡川橋からはいわゆる路面電車な車両に乗り換えます。朝は思ったほど乗車率が高くなく、はりまや橋あたりも快適に過ぎていきました。文殊通から先は本数が減ります。
2024.11.16土讃線で伊野まで行き、徒歩で伊野駅前からもう1駅西にある伊野駅より乗車します。系統としては伊野発、鏡川橋発、文珠通発となります。道路の端を低床車が走っていきます。
土佐山田からは特急南風で高知まで移動して、路面電車で南北区間を乗車します。かつては桟橋通五丁目からフェリーに乗って大阪まで行ったことがありますが、今はフェリーも廃止されています。
大田口の1つ前の豊永から乗ってきたフィリピン人集団が賑やかです。途中駅からも仲間と思わしき人が乗ってきました。繁藤で大雨で遅れている列車と行き違い、スイッチバックの新改駅にも停車したのち土佐山田まで一気に駆け下ります。
阿波池田でわずか1分の接続の普通列車土佐山田行きに乗ります。列車は1両で数えるほどの乗車しかありません。次の三縄で5人以下になりました。しかも大雨で対向列車が遅れています。大歩危からは普通列車は1日4本しかなく18時台のこの列車が最終列車となります。
日も暮れてしまい、静かになった列車が淡々と走っていきます。佃駅で土讃線と合流し、阿波池田駅に到着します。
鴨島からも吉野川に沿うように西進し続けます。阿波川島でようやく学生が降りていき、入場券で有名になった学駅を過ぎていくと穴吹に到着。ここで乗客の大半が入れ替わりました。
徳島からは阿波池田まで徳島線に乗車します。3両編成と長め編成ですが、大半は高校生で埋まっています。鴨島までは駅数は多いものの、さほど大きな町が無いのでなかなか減りません。鴨島でも思ったほど降りないので、結構長距離通学なんだなと思いました。
鳴門線も単行列車です。駅間が短くカーブも多いのであまり速度は上げられません。鳴門駅からうず潮を見に行く人たちはバス乗り場へと向かいます。折り返しはうず潮を見た人たちが少し乗っていました。
引田を過ぎ、香川県最後の讃岐相生を過ぎると山越えで徳島県に入ります。板野からは平地に出て東へと進んでいき、鳴門線が近づいてきます。Yの字の中心あたりに池谷駅があるので、駅舎やホームがいかにも私鉄時代の作りです。
オレンジタウンを出ると山越え区間を通って鶴羽あたりで海岸に近づきます。三本松を過ぎて東かがわ市中心になる引田駅に到着します。ここまでは普通列車の本数は多くあります。
高徳線の普通列車は思った以上に本数が少なく、たったの6本です。おまけに1両しかありませんので、混雑しています。※写真は2両ですが、後ろの車両は回送扱いです。オレンジタウンまではかなり駅が増設された近郊区間になります。
琴平までは意外と距離があります。住宅地も経由するので混雑しており、乗降も多いです。こちらの駅のほうがこんぴら山に少し近い感じでした。道路をまっすぐ歩けばほどなくJR琴平駅です。
防災訓練中の瓦町駅より琴平線で琴平へ移動します。空港通り駅は文字通り高松空港への連絡バス乗り場が近くにあります。仏生山駅は車両基地があり、吊りかけモーター風な機関車が見られました。
志度からはフリーきっぷの特性を生かして高徳線に乗車。平日なので車両はキハ40の2両編成です。志度で高校生が大量下車したのでだいぶ空いていました。古びたエンジン音を響かせながら栗林で下車し、瓦町駅まで徒歩で移動します。
長尾から戻ってきて、瓦町始発の琴電志度行きに乗車。すでに学生など通勤通学客でいっぱいです。この線のホームだけは他路線から離れた場所にあります。志度駅の手前で急に海岸線に出る区間がありました。
2024.11.15前日に新幹線とマリンライナーで高松に入り、翌朝からJRと共通のフリーきっぷでことでんをまず乗車します。元京王っぽい車両が長尾まで行きますが、ほぼ回送列車の雰囲気です。
京浜急行本線の一番本数が多い区間になるので、頻繁に退避が行われます。特に京急蒲田からは駅間が短いのであっという間に次の駅に着くので加速性能の良さがモーター音からもわかります。
上大岡から横浜までは地形も険しくくねくねと曲がりながら進んでいきます。特に普通列車しか停まらない駅が多いので、普段知らない駅名が出てきます。
浦賀始発の普通列車品川行きに乗車します。実際の乗車時間は2時間半くらいかかりますが、途中で退避による長時間停車を省いているのでだいぶ短めになります。
京浜急行の最南端にあたる三崎口まで移動して、品川までゆっくりと戻ります。途中の堀ノ内までは快速特急であっても各駅停車なので2ドアクロスシート車両に当たれば快適に移動できます。
大船からの横須賀線で逗子まで移動します。逗子までならば10両以上は確定なので鎌倉に行く乗客を避けられれば空いています。逗子駅から5分ほど歩き、逗子・葉山駅より京浜急行で金沢八景まで移動し、ここから京急本線と久里浜線の乗りつぶしです。
夜景電車としても有名な岳南電車ですが、日中はより閑散としています。古いローカル線という雰囲気を味わうのであれば日中に乗るのもおすすめです。夜景では見ずらい工場の様子もよく見えますし、天気さえよければ富士山も見られます。
2024.11.3 日帰りで東京に行った時の乗り鉄です。東海道本線と並走しつつも駅間が短いので次々と駅が現れます。乗客は草薙陸上競技場に行く人が多かったようで、そこまでは混雑していました。
水海道までが長かったせいか、取手までは短く感じます。守谷でつくばエクスプレスの乗客と入れ替わり、駅間も短く2分単位で停車していき、乗降も多いです。しかし列車は悲しいことに単行でした。
関東鉄道常総線は予想通りの単行でした。この列車は水海道止まりなのですが、乗り通すお客さんもそこそこいる感じです。こまめに停車しながら行き違いで3分以上停まることも多くあるので意外と水海道まで長く感じます。古い駅名標とかは時代を感じさせます。
真岡で7分ほど停車する間に高校生が大挙乗ってきました。途中に下館二高前駅もありますが、むしろこちらからの乗車はあまりなかったです。淡々と田園地帯と住宅地を走りながら下館に到着します。
宇都宮からはライトレールとバスを乗り継いで七井駅まで移動し、真岡鉄道で茂木までを往復しつつ下館まで移動です。単行のレールバスは数人の乗客を乗せて出発。3つ目の市塙から乗車が増えてきて、益子で座席がかなり埋まりました。
2024.10.7月曜日の朝、会津鉄道と野岩鉄道、東武鉄道を乗り継いで東武日光まで移動してから、JRで宇都宮を目指します。歴史的建造物の日光駅から出るのはE131系の3両編成。インバウンド客も含めて始発駅から混雑しています。駅間も長いので宇都宮までこんなに遠いんだ~と感じます。
一人になって終着駅に向かう雰囲気は独特です。日中でもほとんど人が乗降しない駅に停車し、また発車していくことを繰り返して会津田島に到着。こんなところに宿があるのかな?と思ったら実はあったので泊まったのですが、意外性があります。翌朝のダイヤも組みやすかったりします。
会津若松から会津鉄道の会津田島行きに乗車します。ワンマンの単行で乗客は夜ということもあってか10人もいないです。真っ暗な車窓を眺めたり、駅近くのスーパーで買った半額のお弁当を食べながら進んでいきます。湯野上温泉で自分だけが残りました。
会津若松と喜多方の間は、塩川のみ停車する列車が多く、途中にある4つの駅はわずか1日5本しか停車しません。そんな各駅に停車する列車に乗車します。新津からの列車なので3両編成と長くガラガラでした。
福島に移動してからは週末パスの利点を生かして福島交通に乗車します。飯坂温泉までは22分ほど、駅は11もあるのでこまめに停車していきます。徐々にのぼっていくと、行き止まり式の小さなホームに到着し、古い感じの温泉街が広がります。
夏井から夏井川渓谷を抜ける山越えが小川郷まで延々と続きます。小川郷からはいわき行きの区間列車もあったりと平地を走るようになります。磐越東線と高速バスが並行していて値段はバスが安いこともあり、かなり苦境な感じは否めません。
牧野川に沿って南下していき、菅谷の手前で夏井川に沿うように変わります。大越を過ぎると、点在する集落の神俣と小野新町に停まるとここから先は一日5往復だけとなり、夏井へ。
2024.10.6新幹線で郡山まで移動して、磐越東線に乗ります。7:59発のいわき行きを逃すと次は13時台までありません。2両編成のキハ110系が運用に入っており、早くも山越えに差し掛かります。三春のあたりも随分とローカル化した感じを受けつつ田村市の中心である船引に到着、ここでかなり下車します。
松本から松本電鉄を往復し、新島々駅の近くのお店で山賊焼き定食をいただきました。帰りの列車は今は引退した3000系です。2両編成でかなり混雑していました。
2024.10.5週末パスを利用しての旅で、松本まで特急で移動後、岡谷まで普通列車、ここから飯田線直通の列車と辰野発の列車で中央本線の旧ルートを通ります。途中に善知鳥峠超えがありますが、みどり湖経由のルートが出来るまではここが本線で特急も通っていました。
東海交通事業城北線は、名古屋の1つ先の枇杷島から中央本線の勝川(実際は300メートルくらい手前で終わる)を結ぶのですが、1両のキハ11系が行き来するという寂しい路線です。せめて名古屋乗り入れや勝川駅も中央本線のホームと一緒になってくれればもう少し活躍したのでは?と思わせられます。
まだ運用撤退の話が出る前の311系収録です。発車すると小刻みにギアチェンジの度に軽くカクンカクンと身体に伝わる加速が特徴でした。たまたまトップナンバーだったのもラッキーですね。
小布施から長野に戻るのですが、実は信州吉田駅は北長野駅の近くにあるので歩いて移動もできます。市街地に近づくと地下に入りさながら昔の地下鉄といった雰囲気を味わえます。車両は元日比谷線の03系なので、東京の人は特に当時を思い出すのかもしれません。
十日町から北越急行、えちごトキめき鉄道、上越新幹線を使って長野に移動し、特急などで湯田中へと向かい、その折り返しは普通列車に乗車します。既に日も暮れており観光客の姿もなく静かな車内で信州中野止まりの列車に乗り込みます。信州中野からは長野行きの普通列車に。こちらは徐々に乗る人が見えてきます。
小出駅前の食堂でイワナの定食を食べて、上越線で越後川口まで北上し、飯山線に乗ります。すでに出来上がっているグループがいましたが、なるべく離れて着席。とはいっても1両なのがつらいところ、おまけに雨で車窓は窓が真っ白に。
大白川を発車しようとする気配がない。運転士より、この先の線路で倒木があり、作業員が現地に向かっているとのこと。しばらく運転見合わせとなり、乗客の行き先を聞きに来た。その後代行バスの手配がされたが、到着前に倒木の除去作業が終わり安全が確認されたので1時間40分ほど遅れて出発します。そんなこんなで誰も乗車することもなく小出に到着しました。
この区間は20.8km駅がなく、福島と新潟の県境を超える、特に冬は積雪で運休になることもある険しい区間です。かつては田子倉ダムのところに田子倉という無人駅がありましたが、利用客もなく廃止になりました。これによって福島と新潟が結ばれ、住民悲願を果たした区間です。