高校を卒業してから34年間、一つの会社で働き続けて順調に出世もしてきましたが、人生は一度きり、趣味の旅行で積み上げた実績を世の中に発信したい!という思いから脱サラ。 会社員の時に積み上げた仕事の経験は転職においては全くプラスにならず、人脈もまるでなし、本当のゼロスタートでした。 システム担当をしながら兼務した新卒採用や社員教育でのアウトプット術を使って、仕事は仕事、遊びは遊びと切り分けるやり方や、目的をもった生き方について発信していきます。
十日町から北越急行、えちごトキめき鉄道、上越新幹線を使って長野に移動し、特急などで湯田中へと向かい、その折り返しは普通列車に乗車します。既に日も暮れており観光客の姿もなく静かな車内で信州中野止まりの列車に乗り込みます。信州中野からは長野行きの普通列車に。こちらは徐々に乗る人が見えてきます。
小出駅前の食堂でイワナの定食を食べて、上越線で越後川口まで北上し、飯山線に乗ります。すでに出来上がっているグループがいましたが、なるべく離れて着席。とはいっても1両なのがつらいところ、おまけに雨で車窓は窓が真っ白に。
大白川を発車しようとする気配がない。運転士より、この先の線路で倒木があり、作業員が現地に向かっているとのこと。しばらく運転見合わせとなり、乗客の行き先を聞きに来た。その後代行バスの手配がされたが、到着前に倒木の除去作業が終わり安全が確認されたので1時間40分ほど遅れて出発します。そんなこんなで誰も乗車することもなく小出に到着しました。
この区間は20.8km駅がなく、福島と新潟の県境を超える、特に冬は積雪で運休になることもある険しい区間です。かつては田子倉ダムのところに田子倉という無人駅がありましたが、利用客もなく廃止になりました。これによって福島と新潟が結ばれ、住民悲願を果たした区間です。
この区間は駅間が長いです。会津塩沢を出ると第八只見川橋梁を渡り、会津蒲生を出ると急峻な蒲生岳の様子を眺めながら只見駅へと入っていきます。支流の叶津川を渡る時の左カーブからの眺めもまた良いものがあります。件のグループ客はここで下車しました。
会津川口からは、只見線サミットの参加者が多数乗車してきて、案内人と思わしき人が解説をはじめました。正直静かな車内で景色を堪能したかった面もありますが、せっかくの沿線紹介もあったので聞きながら乗車していきます。この区間の間で第五~第七只見川橋梁を渡りますが、第六只見川橋梁はダムがすぐ前に見られる珍しい橋です。
会津宮下から早戸までの間に第三只見川橋梁があり、特にこのあたりの川霧は有名で、早戸駅の近くには霧幻峡の渡しと呼ばれるところがあり、カメラマンが多くいました。会津水沼を出ると第四只見川橋梁を渡り、会津川口駅に到着、ここで10分ほど停車します。
会津坂下までに一度非常停止信号が流れて一時停止した影響ですぐの発車となります。次の塔寺までが山越えになり急に景色が変わりました。会津坂本を出ると只見川とずっと寄り添いながら走っていきます。会津桧原を出てしばらくすると只見川第一橋梁を渡ります。07:39 塔寺駅 14:06 会津坂本駅19:25 会津柳津駅25:59 郷戸駅31:19 滝谷駅35:09 会津桧原駅37:25 第一只見川橋梁39:46 会津西方駅40:55 第二只見川橋梁
2024.9.15早朝の只見線に乗車しますが、列車は予想外の1両。小出まで直通運転するので乗り切れるかな?と心配しましたが青春18きっぷの時期を外れたのでほどほどの入りでした。会津坂下までは、ひらがなの”し”を逆に進むような感じです。
関都あたりからは一転して下り坂とカーブの連続になります。はるか向こうに会津盆地の灯りが見えたり隠れたりしながら、猪苗代や磐梯町でやっとある程度下車があり、残りは終点まで行くようです。遅い時間のチェックインでしたが、近くの温泉施設で汗を流し、遅くまでやっている店まで歩いて喜多方ラーメンをいただきました。
会津若松へ行く電車はE721系の2両編成で、かなり前から入線していたので、座席確保しているのが精いっぱいで食事確保に失敗でした。立ち席も出るくらいの混雑でしたが、磐梯熱海あたりまでで立ち客は下車していきます。上り勾配とカーブが続く区間を走っていき、猪苗代湖畔駅跡のところで猪苗代湖をかすめると関都に着きます。
長かった水郡線シリーズはこれが最終回です。1つ手前の安積永盛で東北本線に合流して、終点の郡山までは電化線の上を走ることになります。すでに20時近いのですが、まだまだ先へと進むことに。
水郡線はそこそこ本数が多いのですが、夜間になるとこの列車のあとは3時間後の最終列車のみとなります。途中の磐城石川で13分停車するので、コンビニで飲み物の補充しました。川辺沖と沖が名前にありますが、海はありません。
常陸大子からは2両編成となり、徐々に日も暮れていきます。まだまだここから21駅も走るのでちょうど2時間かけて郡山に向かいます。
常陸大宮で学生は大半が下車してしまい、4両編成はガラガラになっています。駅名を見てもどこがどこだかさっぱり見当がつきません。終点手前の袋田が、袋田の滝からつけられたんだなという程度です。
常陸太田から水戸へと戻る途中、上菅谷で本線と合流しますが、1つ先の中菅谷で下車して乗り換えます。単に待ち時間を減らすだけですが、常陸大子行きは4両もありましたが、高校生が多数乗車しています。
水戸に戻ってからは、水郡線に乗車します。まずは支線の常陸太田に直通する3両編成に乗車。キハE130系の独壇場なので、車両の変化は楽しめません。かつては大甕までの電車が出ていた常陸太田もすっかり変わっていました。
勝田からはひたちなか海浜鉄道に乗ります。車両は元JR東海のキハ11でした。最初は混んでいますが、徐々に降車していき、最後は数人が降りるくらいでした。
3つ先の大洗からはさらに混雑してきました。ここから水戸までは区間列車も走っています。駅間は相変わらず長めで水戸駅に到着。常磐線に乗り換えて勝田まで移動します。03:54 鹿島旭駅09:50 涸沼駅15:56 大洗駅20:45 常澄駅25:33 東水戸駅31:28 水戸駅
鹿島臨海鉄道は単線ながらも全線高架になっているので、踏切もなく快適に走ります。たださすがに単行だと混雑はかなりのものです。
2024.9.14 週末パスを利用しての旅行です。新幹線で品川まで、総武快速線で成田まで移動して成田線の佐原から鹿島神宮行きに乗り換えたところからスタート。長い橋を渡りながら茨城県に入り終点鹿島神宮まではE131系、鹿島臨海鉄道はまさかの単行でした。
大曲まで戻ったあと、横手までを往復してきました。以前北上線で横手まで北上して西に向かったので、横手と大曲の間が未乗になってしまうのをカバーしました。横手駅には幼虫チョコなるものが自販機で売っていました。。。
秋田で待ち合わせの人と合流して男鹿まで昼食をごちそうになりながら移動します。この区間はハイブリッド車が運行されています。学校帰りの高校生で混んできて、奥羽本線に合流してからは特に混雑が目立ちました。
この区間はかつてのゲーム電車でGo!に出ていたので、思い浮かべながら進んでいくとリアル感が今でも楽しめます。大張野付近の急カーブ区間を過ぎて和田を出るとゆっくりと秋田駅に進入していきます。
角館から大曲までは秋田新幹線と同じ線路を走るので、車体も少々大き目な普通列車で移動します。大曲からは秋田新幹線の線路と在来線の線路が並行していますが、唯一神宮寺~峰吉川は秋田新幹線も複線になるので、秋田新幹線の線路に在来線の線路が被るという三線軌条の形が見られます。定期運航ではおそらくここだけです。
上桧木内あたりから徐々に乗客が増えてきました。車窓の青空もまぶしく、田んぼの中を快走していきます。田んぼアートを見るために乗るのもありですね。
途中の比立内までは国鉄阿仁合線として作られ、その先の松葉までが秋田内陸縦貫鉄道として作られた線路になります。それこそよく作ったなと思いますが、人里離れた区間を長いトンネルでぶち抜いて角館側に出ます。
米内沢で乗客が入れ替わりました。時折車窓に田んぼアートが見られる区間を進み、阿仁合でほとんどの人が下車。旅行者3人だけになります。ここで10分ほど停車したのち山越えに向かいます。
2024.8.26雨上がりの朝、秋田行きの普通列車は701系の3両編成。鷹ノ巣で下車して、無人の鷹巣駅から秋田内陸縦貫鉄道へ。乗る人は決まっているようでそれぞれ挨拶をしながら座席に座ります。米内沢で大半の人が下車しました。
JR弘前駅からバスで移動した中央弘前駅よりJR大鰐温泉駅と併設する大鰐駅を結ぶ大鰐線は廃止がうわさされています。この時に乗ったのは金魚列車で、夜になると薄暗い灯りだけでゆらゆらと金魚が揺れながら走るさまが人気です。
黒石に向かう路線はかつて2つあり、川部から直線的に結んでいた国鉄黒石線は昭和の時代に廃止されました。弘前からの弘南鉄道弘南線は現役で、2両編成の元東急車両がのんびりと走っています。
木古内を出て青函トンネルに入ります。140キロに速度を落として20分少々で通過、奥津軽いまべつに停車して新青森に向かいます。
2024.8.25北斗6号で札幌から移動し、最終区間の大沼公園から新函館北斗駅で北海道新幹線に乗車しました。 普段ですと空いてる新幹線も空いている席が意外と少なくて、あらかじめ座席予約状況を確認して空席に座りました。
地下鉄を乗り終えて、すすきのでラーメンを食べてからは路面電車でぐるっと一周しました。途中藻岩山の夜景を楽しんだ乗客が大挙して乗車したので混雑しています。
さっぽろ駅でホテルにチェックインしたのち、東豊線に乗車します。北の栄町まで行ってから、福住駅まで4両編成の電車が走っています。名古屋でいう桜通線のような感じです。
大通からは東西線に乗車します。夏の収録だったため、最初の宮の沢行きはエアコンの音がかなり入っています。しんさっぽろ行きは時間も遅かったこともあって空いています。
新琴似で下車したあと、歩いて南北線の麻生駅に移動し、一日乗車券を使って地下鉄に乗車します。途中から地上区間に出て真駒内に到着します。
札幌に出てきて、札沼線の北海道医療大学行きに乗車します。実際にはロイズタウン駅で途中下車しているので、2本の列車をつないでいます。かつては新十津川や石狩沼田までつないでいたのが短縮されましたが、電化され札幌ベッドタウンを結ぶ路線となっています。
占冠を発車し、かつて駅のあった楓信号場を過ぎていくと新夕張に到着。隣には普通列車追分行きが待っていて、青春18きっぷの人には実にありがたい接続です。普通列車駅もだいぶ少なくなりましたが、いくつか通過していくと追分駅に到着します。
石勝線の新得~新夕張の間は特急列車しか走っていませんので、この区間のみ乗車の場合は特急券なしで乗車でき、青春18きっぷでも乗車できます。 おおぞら号は通過駅があったりするので、各駅停車タイプのとかち号に乗ります。トマムではインバウンド客が多く乗り込んできました。
2024.8.24 1年前に乗車した時は一部の駅を通過したので、今回は各駅停車に乗車して西中や鹿討、学田駅にも停車します。さすがにラベンダー最盛期ほどではないにしろ観光客が目立つ区間です。
2024.8.23 1年前は飛行機の到着が遅れて乗れなかった稚内~南稚内に乗車することができました。この区間は特急も各駅停車と同様の停車なので、これで良しとしています。特急宗谷の指定席で旭川まで移動しましたが、そのうちの豊富までの様子です。
塚口まで普通列車で移動し、伊丹線を往復します。いまだに阪神大震災での伊丹駅のことが思い出される自分ですが、そこから立て直された駅に到着します。塚口から再び本線の普通列車で大阪梅田へ。十三の先に中津駅があるのでここにも停まります。
甲陽園から夙川に戻り、特急で神戸三宮まで移動してから、普通列車で梅田方面に向かいます。阪神電車より駅数が少ない分多少早いかなという感じです。
宝塚ですぐに今津線の西宮北口行きに乗車。そこそこ混雑する中を6両編成の電車が走ります。西宮北口で運行が分かれ、ここからは3両編成のワンマン列車に乗って2駅高架を走ります。往復してから特急で夙川に移動し、甲陽園まで3両編成が単線で走ります。苦楽園口を過ぎると甲陽園という短い路線です。
箕面から折り返しに乗車し、再び宝塚線に。各駅停車は雲雀丘花屋敷止まりで、そこからは各駅停車となった急行に乗車します。宝塚劇場がそびえたつように現れると宝塚駅に着きます。
十三で宝塚線の各駅停車に乗車します。急行が行ったあとなので比較的すいています。石橋阪大前で箕面線に乗り換えますが、少しホームが離れているので急いでいきます。箕面までも複線で、日中でも4両編成の電車が10分間隔で走っています。
高槻市からも各駅停車に乗っていきますが、列車は淡路から地下鉄に入るので、乗り換えて千里丘からの普通列車で梅田へ。普通列車で移動する人はあまりいないので、これで十分なのかなという輸送力でした。
阪急線に乗り換えて桂まで移動、嵐山線に乗り換えて、インバウンド客を乗せなが進みます。帰りは空いていました。桂からは普通列車で高槻市まで。
石山寺からびわ湖浜大津まで戻り、4両編成の京津線に乗り換えます。路面電車のように走っていき、専用軌道に戻ると一気に山越えが始まります。勾配の途中にある大谷駅を過ぎていき、東西線に直通して烏丸御池で烏丸線へ乗り換えて四条へ向かいます。
京阪電車の滋賀県側は、専用の一日乗車券を利用しました。坂本比叡山口より北はケーブルカーを利用していくと比叡山まで行くことができますが、南下して石山寺を目指します。京津線と交差するびわ湖浜大津とJRと交差する石山で乗客が大きく入れ替わります。