高校を卒業してから34年間、一つの会社で働き続けて順調に出世もしてきましたが、人生は一度きり、趣味の旅行で積み上げた実績を世の中に発信したい!という思いから脱サラ。 会社員の時に積み上げた仕事の経験は転職においては全くプラスにならず、人脈もまるでなし、本当のゼロスタートでした。 システム担当をしながら兼務した新卒採用や社員教育でのアウトプット術を使って、仕事は仕事、遊びは遊びと切り分けるやり方や、目的をもった生き方について発信していきます。

2025.1.10年が明けて最初の旅行は地道に千葉県からスタートです。京成電鉄の普通列車に乗るべく早朝より浜松より移動し、予定よりも早く到着したところ、千葉線千原線直通のちはら台行きに乗車します。4両編成と短めで、下町を通っていくので、短区間乗車が多いようです。

単行なので徐々に座席も埋まって立つ人も出てきました。青島や運動公園とかからも乗車が多いです。田吉で宮崎空港線と合流しますが、いったん日南線と日豊本線の合流地点になる南宮崎まで行ってから宮崎空港行きに乗り換え。713系電車が快適に走っていきました。

油津から乗り換えた列車もキハ40系の単行でした。油津は広島カープのキャンプ地として有名な場所で、カープ一色の駅になっています。ちなみに南郷駅は西武ライオンズ一色でした。しばらく海から離れますが、北郷から伊比井のトンネルで海岸に出ます。

しばらくは山越えの区間が続きますが、南郷を出ると再び太平洋が見えてきます。フェニックスの樹や明るい陽射しは南国の地を意識させます。遠くに七つ岩等の景観を眺めながら、油津で宮崎方面の列車へと乗り換えになります。

翌日は鹿児島の天文館から垂水フェリー直通の鹿屋方面のバスに乗り、鹿屋基地を見学してからさらにバスで志布志へ。ここから日南線に乗車します。ここまでたどり着くだけでも大変でした。ほとんど乗客もいない中、海を眺めたりしながらキハ47系の揺れ心地は最高でした。

瀬々串から先も列車遅延がまだ残っていて、鹿児島中央駅をなかなか発車できないために先に進めなくなって、結局13分ほど遅れて鹿児島中央駅に戻ることになりました。急いで夕食のできる店を探して、何とか黒豚のしゃぶしゃぶを食べることができました。

鹿児島中央でチェックインを済ませた後、指宿枕崎線に乗り、指宿までを往復します。行きは上り列車に20分くらいの遅延があったせいでかなり遅れていました。キハ200系の2両編成は学生がまだ多い感じです。

新水俣を出るとほどなく出水に停車。川内からたくさん人が乗ってきて座席が埋まります。ちょうど脱線事故で鹿児島本線が運休していたので代わりに利用する人が多かったようです。山の中をひたすら直進して鹿児島中央の寸前でようやくトンネルを出るとすぐに鹿児島中央駅です。

熊本からは九州新幹線のさくら407号で鹿児島中央へと向かいます。6両編成で自由席は3両です。さくら号ではありますが、木の感じをちりばめた感じの800系車両なので、乗っていて落ち着きがあります。

宇土からは熊本より直通する三角線に乗車。高校生が多く乗っています。列車は赤いキハ220系の2両編成です。途中でキハ47系と行き違いしながら、特徴のある海岸線(浅瀬が広く干潮時に模様が広がる)を眺めつつ三角へ。

上熊本からJRに乗車し、八代まで下がったあと、折り返しで宇土まで乗車します。821系の2両編成で、熊本へ向かう人たちが徐々に乗車してきます。

御代志で折り返し時間があったので、2駅先まで歩いたあと、北熊本でくまモン電車に乗り換えて上熊本まで移動します。くまモンの人気はインバウンド客にも広がっていて、折り返しはかなり賑やかだろうなぁ。ここから市電やJRにも接続します。

市電で水道町まで戻ったあと、藤崎宮前駅まで徒歩移動しながら昼食を済ませます。ビルの一角にポツンとある駅から東京メトロのお古の車両がのんびりと北上し、菊池方面につながっていながらも途中で切れてしまった御代志まで向かいます。

熊本にフェリーで渡り、路線バスで田崎橋へ。10分ほどの遅延で路面電車に乗り換えますが、熊本城を抜けるまでに長時間停車やらなんやらで随分時間がかかりました。

国見高校が近くにあるので、最寄り駅の多比良で降りてはいくのですが、島原高校に通う高校生が倍以上乗ってきて通路に整然と並びます。毎日こうなのかな?と思いますが乗降遅延が10分以上ありまして、島原港駅から熊本行きの高速フェリーに乗り換えるのに冷や汗ものでした。

2024.12.16平日ということで、島原鉄道の2両編成の車両は学生が多く乗車しています。次の本諫早でそこそこ入れ替えしますが、このあと空くことは一度もなく、早い段階で無理してでも進行方向左側(海側)を確保しておくべきだったと後悔しました。雲仙岳に沿うように時計回りに進んでいきます。

彼杵を出ると松原駅のあたりまでは海岸線に沿うように走っていきます。夜なのでその雰囲気はあまりわかりません。大村車両基地あたりには新幹線の基地があるのですが、在来線からはよくわからないようで、新幹線のある新大村駅を過ぎて、大村から岩松、諫早との間は結構距離がありました。

佐世保で休憩を取らずに、そのまま諫早方面の列車に乗り換えます。ハウステンボスに行く客が早岐から乗車してきました。南風崎で対向列車の遅れを受け、あまり回復することもなく淡々と走っています。

以前、松浦鉄道は逆ルートで掲載したことがありますが、佐世保~佐々は快速に乗車していたので、今回は各駅停車に乗車をしました。清峰高校をはじめ、周辺の高校生が多く乗っているので車内は賑やかです。

肥前久保からは線路は南下していき、山沿いを進んでいきます。上伊万里までくるとようやく平地に出てきて、ほどなく終点の伊万里に到着。伊万里焼のイメージが強いですが、雰囲気もどことなしか少し韓国ぽい感じがあります。

鹿家駅で103系同士のすれ違いに乗り換え、唐津で筑肥線の伊万里方面に乗り換えます。Y-DC125系の単行で、今度は本牟田部駅を通過していき、松浦川に沿って唐津線と別れると肥前久保駅です。

相知駅を過ぎると左から筑肥線の線路が近づいてきて、しばらく並走し、筑肥線のほうだけは本牟田部駅の駅がありません。唐津に着いて、筑肥線の博多方面に乗り換え。数少なくなった103系に乗車します。

佐賀からは唐津線で唐津へと向かいます。キハ47の2両編成で、ゆっくりと北上から西進していきます。多久を過ぎると平野が尽きて、山を抜けつつ集落に停まるような展開が続いていきます。

1両でパンパンな久大本線でしたが、ほぼ遅延もなく久留米駅に到着。ダッシュで九州新幹線に乗り換えて、わずか5分の乗車で新鳥栖へ。これによりリレーかもめに接続して佐賀から先の行程が余裕を持てました。

夜明からは田んぼと市街地が交互に入れ替わるような風景が延々と続いていきます。各駅から久留米方面に向かう人が乗ってくるので、乗り切れるだろうか?と心配になるレベルでした。

玖珠川に沿いながら山沿いを西に進んでいきます。ローカルな天ヶ瀬温泉からも乗車があり、豊後中川を過ぎると日田の街並みに入りました。日田で20分ほど停車して乗客が大きく入れ替わります。とはいっても混雑は相変わらずです。

由布院はインバウンド客であふれかえっており、先に発車する博多行き特急列車にものすごい列ができています。普通列車はまさかの単行で、こちらも大量にインバウンド客が流れ込んできました。最初の野矢まで11分もかかり、由布市から九重町に入ります。玖珠町の主要駅である豊後森を過ぎて北山田あたりまでが平坦な道をいく感じです。

向之原で10分停車したあとはひたすら上り坂になり、エンジン音もだいぶ重くなります。線路わきも徐々に白くなってきて、駅に着くごとに少しずつ寒さが増していく感じです。

2024.12.15別府から大分に戻り、久大本線の普通列車に乗り換えます。途中の向之原や庄内止まりの列車があり、概ね1時間に1~2本程度の運行が確保されています。向之原までは平地を少しずつ上っていく感じで、遠くに由布岳などがチラチラと見えてきます。

中判田あたりまでは山道を抜けていき感じで、ようやく大分の市街地に入ります。大分からは日豊本線に乗り換えますが、815系の2両編成と短いのでかなり混雑しています。別府で一気に下車して温泉街へと消えていきます。

豊後竹田で一時間ほど待つ間に日は暮れていき、駅の到着放送は荒城の月が流れます。高校生を少し乗せながら大分方面へと向かい、途中特急停車駅の緒方や三重町で少し乗降がありますが、基本的には静かに過ぎていきます。

宮地を出ると阿蘇の外輪山を抜けていき、ひたすら下り坂が続きます。宮地から波野までの区間は15分もかかり、1日5往復しか普通列車の設定がありません。阿蘇山系を眺めた豪快な眺めはなくなりますが、人の気配の薄い中を走っていきます。

肥後大津からはディーゼル区間となり、キハ200系で急こう配を上ります。思ったよりは乗客は少なめで立野からスイッチバックを通り、天気も良いので阿蘇の山々を眺めつつ過ぎていきます。

817系電車はかなり混雑しています。各駅での乗降が多いので、乗客をさばくだけでも大変そうです。肥後大津までは上り坂を淡々と上っていきます。

桂川からはキハ40系単行で原田へと移動します。かつては筑豊本線の主力路線でしたが、篠栗線ができたことでかなり重要度が減りました。当時の盛況なころの雰囲気を残す駅も通りながら原田へと向かいます。

宇美から来た道を戻って長者原までいき、篠栗線の長いトンネルを抜けて桂川まで移動します。ここらへんまで来ると飯塚方面に向かう人が残っています。

吉塚からは篠栗線に乗り換えます。思ったよりも単線区間が多く、次から次へと列車が行き違いをしていき、博多方面の列車はラッシュ並みの混雑ぶりです。長者原で上のホームにうつるとほどなく宇美行きのディーゼルカーがやってきます。

海老津から811系8両の快速に乗り換えて吉塚まで移動します。通学時間帯を少し過ぎたものの、通勤客がまだまだ多めです。811系は結構年季の入った車両になるのでモーター音がよく響きます。

2024.12.14前日の内に黒崎まで移動し、翌朝若松まで行ってからの帰りになります。蓄電池式の電車に乗り、折尾で下車してから鹿児島本線へと移動、813系は長い編成でしたが通勤通学でかなり混雑しています。

観音寺から2両編成となり、高松方面に向かう人も乗車してきました。お遍路さんの利用で乗る人もいて、お寺の最寄り駅で一斉下車するとワンマン列車特有の遅延がおきたりもします。詫間から海岸寺までの海が見える区間はおすすめの車窓区間です。

少しづつ海を見られるようになりますが、伊予三島から川之江あたりまでは工場地帯を進みます。箕浦までの区間で海沿いをいき、観音寺市に入ると再び海から離れていきます。観音寺では20分停車。回送扱いの後部車両が開放されます。

伊予西条からは7200系電車に乗りますが、後ろの車両は回送扱いのため単行です。さすがに新居浜や四国中央市を通っていくので乗客は多めです。このあたりは海からも遠いので、市街地をひたすら東進していきます。

今治からの列車は単行でした。途中行き違い列車の遅れがあったりしながら西条市に入り、市街地を東へと進みながら伊予西条へと向かいます。石鎚山はこの日も雲の中でした。

学生が一気に下車したあとの車内はすっかりがらんとしていて陽射しが心地よいです。今治までの間は行き違い停車もほとんどなく快適に移動していきます。到着前には来島大橋が見られました。

松山から高校生を多く乗せた今治行きに乗車。とはいえ2両編成と短めです。伊予北条あたりの学校に通学なのかと思いますが、途中の粟井で10分ほど停車するなど効率は今一つという感じです。時折海を眺めつつ走っていきます。

2024.11.18 月曜日の朝です。松山に泊まったのは、平日の朝と夕方しか走らない路面電車に乗るためで、それが6号線です。単線区間を1本の電車が行ったり来たりする区間で、早いうちに廃止の可能性もありそうです。

古町で市内線に乗り換えて上一万まで移動し、道後温泉までを往復します。インバウンド客でどちらも非常に混雑していました。道後温泉へは低床車、道後温泉からはレトロタイプの吊りかけというギャップが楽しめました。

松山市から高浜線に乗り換えます。実質は横河原線と高浜線は相互乗り入れをしているので横河原方面からきた電車に乗ります。今回は2両編成で、こちらも元京王車を改造した700系電車です。終点近くなると海沿いを走っていき、高浜からは松山観光港へのバスに接続しています。

伊予市駅と郡中港駅は徒歩で横断歩道を渡るくらいの間隔で位置しています。再び伊予鉄道に乗車しますが、車両はこちらも3000系の3両編成でした。思ったよりも途中駅からの乗車が多く、また松山市駅の手前までで降車する人も多いです。

松山から伊予大洲まで特急宇和海で移動したのち、予讃線の新線区間に乗ります。トンネル主体でこれにより宇和島方面との時間が一気に短縮されています。車両はキハ54の単行でした。

いったん松山市駅に戻ってから再び市内線に乗ります。道後温泉方面の線路と別れて、単線の専用軌道区間に入り松山城の北側を走っていく感じです。松山駅前の手前から再び複線・路面電車の様相に戻ります。