高校を卒業してから34年間、一つの会社で働き続けて順調に出世もしてきましたが、人生は一度きり、趣味の旅行で積み上げた実績を世の中に発信したい!という思いから脱サラ。 会社員の時に積み上げた仕事の経験は転職においては全くプラスにならず、人脈もまるでなし、本当のゼロスタートでした。 システム担当をしながら兼務した新卒採用や社員教育でのアウトプット術を使って、仕事は仕事、遊びは遊びと切り分けるやり方や、目的をもった生き方について発信していきます。
京浜急行本線の一番本数が多い区間になるので、頻繁に退避が行われます。特に京急蒲田からは駅間が短いのであっという間に次の駅に着くので加速性能の良さがモーター音からもわかります。
上大岡から横浜までは地形も険しくくねくねと曲がりながら進んでいきます。特に普通列車しか停まらない駅が多いので、普段知らない駅名が出てきます。
浦賀始発の普通列車品川行きに乗車します。実際の乗車時間は2時間半くらいかかりますが、途中で退避による長時間停車を省いているのでだいぶ短めになります。
京浜急行の最南端にあたる三崎口まで移動して、品川までゆっくりと戻ります。途中の堀ノ内までは快速特急であっても各駅停車なので2ドアクロスシート車両に当たれば快適に移動できます。
大船からの横須賀線で逗子まで移動します。逗子までならば10両以上は確定なので鎌倉に行く乗客を避けられれば空いています。逗子駅から5分ほど歩き、逗子・葉山駅より京浜急行で金沢八景まで移動し、ここから京急本線と久里浜線の乗りつぶしです。
夜景電車としても有名な岳南電車ですが、日中はより閑散としています。古いローカル線という雰囲気を味わうのであれば日中に乗るのもおすすめです。夜景では見ずらい工場の様子もよく見えますし、天気さえよければ富士山も見られます。
2024.11.3 日帰りで東京に行った時の乗り鉄です。東海道本線と並走しつつも駅間が短いので次々と駅が現れます。乗客は草薙陸上競技場に行く人が多かったようで、そこまでは混雑していました。
水海道までが長かったせいか、取手までは短く感じます。守谷でつくばエクスプレスの乗客と入れ替わり、駅間も短く2分単位で停車していき、乗降も多いです。しかし列車は悲しいことに単行でした。
関東鉄道常総線は予想通りの単行でした。この列車は水海道止まりなのですが、乗り通すお客さんもそこそこいる感じです。こまめに停車しながら行き違いで3分以上停まることも多くあるので意外と水海道まで長く感じます。古い駅名標とかは時代を感じさせます。
真岡で7分ほど停車する間に高校生が大挙乗ってきました。途中に下館二高前駅もありますが、むしろこちらからの乗車はあまりなかったです。淡々と田園地帯と住宅地を走りながら下館に到着します。
宇都宮からはライトレールとバスを乗り継いで七井駅まで移動し、真岡鉄道で茂木までを往復しつつ下館まで移動です。単行のレールバスは数人の乗客を乗せて出発。3つ目の市塙から乗車が増えてきて、益子で座席がかなり埋まりました。
2024.10.7月曜日の朝、会津鉄道と野岩鉄道、東武鉄道を乗り継いで東武日光まで移動してから、JRで宇都宮を目指します。歴史的建造物の日光駅から出るのはE131系の3両編成。インバウンド客も含めて始発駅から混雑しています。駅間も長いので宇都宮までこんなに遠いんだ~と感じます。
一人になって終着駅に向かう雰囲気は独特です。日中でもほとんど人が乗降しない駅に停車し、また発車していくことを繰り返して会津田島に到着。こんなところに宿があるのかな?と思ったら実はあったので泊まったのですが、意外性があります。翌朝のダイヤも組みやすかったりします。
会津若松から会津鉄道の会津田島行きに乗車します。ワンマンの単行で乗客は夜ということもあってか10人もいないです。真っ暗な車窓を眺めたり、駅近くのスーパーで買った半額のお弁当を食べながら進んでいきます。湯野上温泉で自分だけが残りました。
会津若松と喜多方の間は、塩川のみ停車する列車が多く、途中にある4つの駅はわずか1日5本しか停車しません。そんな各駅に停車する列車に乗車します。新津からの列車なので3両編成と長くガラガラでした。
福島に移動してからは週末パスの利点を生かして福島交通に乗車します。飯坂温泉までは22分ほど、駅は11もあるのでこまめに停車していきます。徐々にのぼっていくと、行き止まり式の小さなホームに到着し、古い感じの温泉街が広がります。
夏井から夏井川渓谷を抜ける山越えが小川郷まで延々と続きます。小川郷からはいわき行きの区間列車もあったりと平地を走るようになります。磐越東線と高速バスが並行していて値段はバスが安いこともあり、かなり苦境な感じは否めません。
牧野川に沿って南下していき、菅谷の手前で夏井川に沿うように変わります。大越を過ぎると、点在する集落の神俣と小野新町に停まるとここから先は一日5往復だけとなり、夏井へ。
2024.10.6新幹線で郡山まで移動して、磐越東線に乗ります。7:59発のいわき行きを逃すと次は13時台までありません。2両編成のキハ110系が運用に入っており、早くも山越えに差し掛かります。三春のあたりも随分とローカル化した感じを受けつつ田村市の中心である船引に到着、ここでかなり下車します。
松本から松本電鉄を往復し、新島々駅の近くのお店で山賊焼き定食をいただきました。帰りの列車は今は引退した3000系です。2両編成でかなり混雑していました。
2024.10.5週末パスを利用しての旅で、松本まで特急で移動後、岡谷まで普通列車、ここから飯田線直通の列車と辰野発の列車で中央本線の旧ルートを通ります。途中に善知鳥峠超えがありますが、みどり湖経由のルートが出来るまではここが本線で特急も通っていました。
東海交通事業城北線は、名古屋の1つ先の枇杷島から中央本線の勝川(実際は300メートルくらい手前で終わる)を結ぶのですが、1両のキハ11系が行き来するという寂しい路線です。せめて名古屋乗り入れや勝川駅も中央本線のホームと一緒になってくれればもう少し活躍したのでは?と思わせられます。
まだ運用撤退の話が出る前の311系収録です。発車すると小刻みにギアチェンジの度に軽くカクンカクンと身体に伝わる加速が特徴でした。たまたまトップナンバーだったのもラッキーですね。
小布施から長野に戻るのですが、実は信州吉田駅は北長野駅の近くにあるので歩いて移動もできます。市街地に近づくと地下に入りさながら昔の地下鉄といった雰囲気を味わえます。車両は元日比谷線の03系なので、東京の人は特に当時を思い出すのかもしれません。
十日町から北越急行、えちごトキめき鉄道、上越新幹線を使って長野に移動し、特急などで湯田中へと向かい、その折り返しは普通列車に乗車します。既に日も暮れており観光客の姿もなく静かな車内で信州中野止まりの列車に乗り込みます。信州中野からは長野行きの普通列車に。こちらは徐々に乗る人が見えてきます。
小出駅前の食堂でイワナの定食を食べて、上越線で越後川口まで北上し、飯山線に乗ります。すでに出来上がっているグループがいましたが、なるべく離れて着席。とはいっても1両なのがつらいところ、おまけに雨で車窓は窓が真っ白に。
大白川を発車しようとする気配がない。運転士より、この先の線路で倒木があり、作業員が現地に向かっているとのこと。しばらく運転見合わせとなり、乗客の行き先を聞きに来た。その後代行バスの手配がされたが、到着前に倒木の除去作業が終わり安全が確認されたので1時間40分ほど遅れて出発します。そんなこんなで誰も乗車することもなく小出に到着しました。
この区間は20.8km駅がなく、福島と新潟の県境を超える、特に冬は積雪で運休になることもある険しい区間です。かつては田子倉ダムのところに田子倉という無人駅がありましたが、利用客もなく廃止になりました。これによって福島と新潟が結ばれ、住民悲願を果たした区間です。
この区間は駅間が長いです。会津塩沢を出ると第八只見川橋梁を渡り、会津蒲生を出ると急峻な蒲生岳の様子を眺めながら只見駅へと入っていきます。支流の叶津川を渡る時の左カーブからの眺めもまた良いものがあります。件のグループ客はここで下車しました。
会津川口からは、只見線サミットの参加者が多数乗車してきて、案内人と思わしき人が解説をはじめました。正直静かな車内で景色を堪能したかった面もありますが、せっかくの沿線紹介もあったので聞きながら乗車していきます。この区間の間で第五~第七只見川橋梁を渡りますが、第六只見川橋梁はダムがすぐ前に見られる珍しい橋です。
会津宮下から早戸までの間に第三只見川橋梁があり、特にこのあたりの川霧は有名で、早戸駅の近くには霧幻峡の渡しと呼ばれるところがあり、カメラマンが多くいました。会津水沼を出ると第四只見川橋梁を渡り、会津川口駅に到着、ここで10分ほど停車します。
会津坂下までに一度非常停止信号が流れて一時停止した影響ですぐの発車となります。次の塔寺までが山越えになり急に景色が変わりました。会津坂本を出ると只見川とずっと寄り添いながら走っていきます。会津桧原を出てしばらくすると只見川第一橋梁を渡ります。07:39 塔寺駅 14:06 会津坂本駅19:25 会津柳津駅25:59 郷戸駅31:19 滝谷駅35:09 会津桧原駅37:25 第一只見川橋梁39:46 会津西方駅40:55 第二只見川橋梁
2024.9.15早朝の只見線に乗車しますが、列車は予想外の1両。小出まで直通運転するので乗り切れるかな?と心配しましたが青春18きっぷの時期を外れたのでほどほどの入りでした。会津坂下までは、ひらがなの”し”を逆に進むような感じです。
関都あたりからは一転して下り坂とカーブの連続になります。はるか向こうに会津盆地の灯りが見えたり隠れたりしながら、猪苗代や磐梯町でやっとある程度下車があり、残りは終点まで行くようです。遅い時間のチェックインでしたが、近くの温泉施設で汗を流し、遅くまでやっている店まで歩いて喜多方ラーメンをいただきました。
会津若松へ行く電車はE721系の2両編成で、かなり前から入線していたので、座席確保しているのが精いっぱいで食事確保に失敗でした。立ち席も出るくらいの混雑でしたが、磐梯熱海あたりまでで立ち客は下車していきます。上り勾配とカーブが続く区間を走っていき、猪苗代湖畔駅跡のところで猪苗代湖をかすめると関都に着きます。
長かった水郡線シリーズはこれが最終回です。1つ手前の安積永盛で東北本線に合流して、終点の郡山までは電化線の上を走ることになります。すでに20時近いのですが、まだまだ先へと進むことに。
水郡線はそこそこ本数が多いのですが、夜間になるとこの列車のあとは3時間後の最終列車のみとなります。途中の磐城石川で13分停車するので、コンビニで飲み物の補充しました。川辺沖と沖が名前にありますが、海はありません。
常陸大子からは2両編成となり、徐々に日も暮れていきます。まだまだここから21駅も走るのでちょうど2時間かけて郡山に向かいます。
常陸大宮で学生は大半が下車してしまい、4両編成はガラガラになっています。駅名を見てもどこがどこだかさっぱり見当がつきません。終点手前の袋田が、袋田の滝からつけられたんだなという程度です。
常陸太田から水戸へと戻る途中、上菅谷で本線と合流しますが、1つ先の中菅谷で下車して乗り換えます。単に待ち時間を減らすだけですが、常陸大子行きは4両もありましたが、高校生が多数乗車しています。
水戸に戻ってからは、水郡線に乗車します。まずは支線の常陸太田に直通する3両編成に乗車。キハE130系の独壇場なので、車両の変化は楽しめません。かつては大甕までの電車が出ていた常陸太田もすっかり変わっていました。
勝田からはひたちなか海浜鉄道に乗ります。車両は元JR東海のキハ11でした。最初は混んでいますが、徐々に降車していき、最後は数人が降りるくらいでした。
3つ先の大洗からはさらに混雑してきました。ここから水戸までは区間列車も走っています。駅間は相変わらず長めで水戸駅に到着。常磐線に乗り換えて勝田まで移動します。03:54 鹿島旭駅09:50 涸沼駅15:56 大洗駅20:45 常澄駅25:33 東水戸駅31:28 水戸駅
鹿島臨海鉄道は単線ながらも全線高架になっているので、踏切もなく快適に走ります。たださすがに単行だと混雑はかなりのものです。
2024.9.14 週末パスを利用しての旅行です。新幹線で品川まで、総武快速線で成田まで移動して成田線の佐原から鹿島神宮行きに乗り換えたところからスタート。長い橋を渡りながら茨城県に入り終点鹿島神宮まではE131系、鹿島臨海鉄道はまさかの単行でした。
大曲まで戻ったあと、横手までを往復してきました。以前北上線で横手まで北上して西に向かったので、横手と大曲の間が未乗になってしまうのをカバーしました。横手駅には幼虫チョコなるものが自販機で売っていました。。。
秋田で待ち合わせの人と合流して男鹿まで昼食をごちそうになりながら移動します。この区間はハイブリッド車が運行されています。学校帰りの高校生で混んできて、奥羽本線に合流してからは特に混雑が目立ちました。
この区間はかつてのゲーム電車でGo!に出ていたので、思い浮かべながら進んでいくとリアル感が今でも楽しめます。大張野付近の急カーブ区間を過ぎて和田を出るとゆっくりと秋田駅に進入していきます。
角館から大曲までは秋田新幹線と同じ線路を走るので、車体も少々大き目な普通列車で移動します。大曲からは秋田新幹線の線路と在来線の線路が並行していますが、唯一神宮寺~峰吉川は秋田新幹線も複線になるので、秋田新幹線の線路に在来線の線路が被るという三線軌条の形が見られます。定期運航ではおそらくここだけです。
上桧木内あたりから徐々に乗客が増えてきました。車窓の青空もまぶしく、田んぼの中を快走していきます。田んぼアートを見るために乗るのもありですね。
途中の比立内までは国鉄阿仁合線として作られ、その先の松葉までが秋田内陸縦貫鉄道として作られた線路になります。それこそよく作ったなと思いますが、人里離れた区間を長いトンネルでぶち抜いて角館側に出ます。