「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピックで東京大会に続き2大会連続金メダルを獲得したパラサイクリング・杉浦佳子(すぎうら・けいこ)選手です。1970年生まれ、静岡県掛川市出身の53歳。薬剤師の仕事をしながら、趣味でトライアスロンに挑戦していましたが、2016 年、自転車のロードレース中に転倒。高次脳機能障がいなどの後遺症が残りました。その後、パラサイクリングを始めると短期間で目覚ましい成長を遂げて、2021年の東京パラリンピックでは、女子個人ロードタイムトライアル、女子個人ロードレースの2種目で優勝。50歳での金メダルは日本のパラリンピック史上、最年長記録でした。今年のパリパラリンピックでは、女子個人ロードレースで連覇を達成。自身の持つ金メダル最年長記録を53歳に更新しました。事故からの驚異的な回復とパラサイクリングとの出逢い、年齢との戦いについて、東京パラリンピック2冠獲得の裏側、若いライバルたちに競り勝てた理由、パリでの激闘と最年長金メダル記録更新について、これからの目標など、杉浦選手にいろいろとお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピックでパラ水泳日本代表を率いて、メダルラッシュに貢献したパラ水泳日本代表総監督・上垣匠(うえがき・たくみ)さん【後編】です。1975年生まれ、兵庫県出身の49歳。高校・大学時代には平泳ぎの選手として国際大会でも活躍しました。その後指導者となり、2018年、東京パラリンピックの強化スタッフに就任。同時に母校・中央大学水泳部のパラ担当コーチも4年間兼任しました。2019年から、パラ水泳日本代表チームの監督に就任。2021年の東京パラリンピックでは、金3個・銀7個・銅3個の、合計13個。今年のパリパラリンピックでは総監督として、金3個・銀3個・銅6個、合計12個のメダル獲得という結果を残しました。パラ水泳との出逢い、中央大水泳部で学んだ科学的トレーニングについて、パラ水泳日本代表の指導者に就任したきっかけ、試行錯誤を重ねて積み上げていったパラスイマーの指導法について、東京・パリでの日本選手団の活躍と、印象に残ったシーン、メダル獲得のウラ側や、選手とのエピソードなど、選手からも慕われている上垣さんにしか語れないお話を2週にわたっていろいろと伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピックでパラ水泳日本代表を率いて、メダルラッシュに貢献したパラ水泳日本代表総監督・上垣匠(うえがき・たくみ)さん【前篇】です。1975年生まれ、兵庫県出身の49歳。高校・大学時代には平泳ぎの選手として国際大会でも活躍しました。その後指導者となり、2018年、東京パラリンピックの強化スタッフに就任。同時に母校・中央大学水泳部のパラ担当コーチも4年間兼任しました。2019年から、パラ水泳日本代表チームの監督に就任。2021年の東京パラリンピックでは、金3個・銀7個・銅3個の、合計13個。今年のパリパラリンピックでは総監督として、金3個・銀3個・銅6個、合計12個のメダル獲得という結果を残しました。パラ水泳との出逢い、中央大水泳部で学んだ科学的トレーニングについて、パラ水泳日本代表の指導者に就任したきっかけ、試行錯誤を重ねて積み上げていったパラスイマーの指導法について、東京・パリでの日本選手団の活躍と、印象に残ったシーン、メダル獲得のウラ側や、選手とのエピソードなど、選手からも慕われている上垣さんにしか語れないお話を2週にわたっていろいろと伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピック・ゴールボール男子日本代表、佐野優人(さの・ゆうと)選手です。2000年生まれ、埼玉県狭山市出身の24歳。野球に打ち込んでいた中学生のとき、目の難病を発症して視力を徐々に失いました。その後、ゴールボールを始め、2017年、日本代表に初めて選出。2021年の東京パラリンピックでは5位入賞に貢献。今年のパリパラリンピックでは、決勝でチームを優勝に導くゴールを決め、日本男子代表に初の金メダルをもたらしました。ゴールボールとの出逢い、野球との共通点、初の大舞台・東京パラリンピックで得たもの、初めて自力でパラリンピック出場権を勝ち取った2023年・IBSAワールドゲームズでの戦い、パリパラリンピックでの激闘の裏側、決勝でゴールデンゴールを決めたときの心境など、金メダルの立役者・佐野選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、身体障がい者野球・香川チャレンジャーズの代表であり選手としてもプレーしている山中達也(やまなか・たつや)選手です。1988年生まれ、香川県出身の35歳。小学2年生から野球を始め、高校時代は丸亀城西高校のエースとして活躍しました。2006年、プロ野球育成ドラフト1位で指名され、広島カープに育成選手として入団。2010年オフに、独立リーグの地元球団・香川オリーブガイナーズに入団しますが、2011年、事故で頸椎を損傷し、2015年に引退。現在は香川県丸亀市のスポーツ協会職員として勤務しながら、香川チャレンジャーズの結成に関わり、2023年からは選手としてプレー。今年春の全国身体障がい者野球部選抜大会で初優勝を飾りました。事故からの奇跡的な復帰について、身体障がい者野球との出逢い、丸亀市のスポーツ協会職員として勤務するようになったきっかけ、香川チャレンジャーズを結成した経緯と、自分も再びプレーしようと思った理由、全国身体障がい者野球部選抜大会優勝にまつわるエピソードなど、選手とチーム運営の両方で活躍する山中選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラダンススポーツ・持田温紀(もちだ・はるき)選手です。2000年生まれ、東京都出身の24歳。高校1年生のときに事故で頸髄を損傷、車いす生活になりました。その後、中央大学に進学してサッカー部に入部。事業本部スタッフとして活躍し、去年は大学スポーツ協会が主催する「UNIVAS AWARDS」で「サポーティングスタッフ・オブ・ザ・イヤー」最優秀賞に輝きました。2023年から、パラダンススポーツの選手として競技生活を始め、去年の8月に東京で行われた「パラダンススポーツ国際大会」で8位に入賞。世界選手権にも出場するかたわら、11月に開催予定の「パラ大学祭」運営代表としても活躍中です。ボールを蹴ることができないのに中央大学サッカー部に入部したきっかけ、事業本部でのスポンサー探しなどの苦労、2022年カタールW杯を独りで観に行こうと思った理由と、そこで起こった日本代表と同じピッチに立って一緒に国歌を歌うという思いがけないハプニングについて、パラダンススポーツを始めた理由、国際大会で外国人選手たちと交流するきっかけになった“歌”、「パラ大学祭」への抱負など、選手と運営の両方で活躍する持田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ水泳と車いすカーリングの二刀流・花岡恵梨香(はなおか・えりか)選手です。1989年生まれ、東京都出身の35歳。清水建設所属。2014年、国の難病に指定されている病気を発症。両手・両足にまひが残りました。2017年から本格的にパラ水泳を始め、わずか半年でジャパンパラ水泳競技大会の50mバタフライで優勝。2021年には日本パラ水泳選手権大会の50m背泳ぎで日本新記録をマークして、その後も更新しました。今年のジャパンパラ水泳競技大会では4種目で優勝。また2022年から冬季競技の車いすカーリングにも挑戦。競技と仕事を両立しながら、夏冬二刀流で活躍中です。パラ水泳との出逢い、左半身と右半身のまひの度合いが違う中どうバランスを取っているのか、競技歴わずか半年で優勝を飾ったジャパンパラ水泳競技大会での戦いについて、バタフライの泳法ルール変更・障がいが軽いクラスに変更という逆境をどう乗り越えていったのか、4冠を獲得した今年のジャパンパラ水泳競技大会と勝因について、車いすカーリングに挑戦した理由と、去年3位(ease埼玉)に輝いた日本選手権の話など、花岡選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラノルディックスキーの視覚障がいカテゴリーの選手とともに滑り、選手を誘導するガイドスキーヤー・藤田佑平(ふじた・ゆうへい)さんです。 1992年、北海道旭川市出身の32歳。両親がアルペンスキーヤーというスキー一家で育ち、学生時代はクロスカントリーの選手として活躍しました。2015年から、視覚障がいの選手と一緒に滑るパラノルディックスキーのガイドスキーヤーとなり、パラリンピックには、2018年の平昌大会に高村和人選手、2022年の北京大会に有安諒平選手のガイドとして出場。選手の「目の代わり」を務めています。パラノルディックスキーとの出逢いとガイドスキーヤーになったきっかけ、高村選手と出場した平昌大会で起こったハプニング、ボート競技の選手で、スキー未経験の有安選手とどうやってトレーニングを重ねていったのか、有安選手と北京で入賞を果たすまでの道のり、理想のガイド像など、藤田さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすハンドボールと車いすバスケットボールの両方で活躍する、諸岡晋之助(もろおか・しんのすけ)選手です。1994年生まれ、東京都出身の30歳。中学から大学まで、ハンドボールの選手として活躍しましたが、20歳のときに事故に遭い、右手と左足に障がいを負いました。21歳のときに車いすハンドボールに出逢い、本格的に競技を始めて日本代表に。22歳から並行して車いすバスケットボールにも取り組み、2023年度には強化指定選手に選ばれるなど“二刀流”で活躍しています。車いすハンドボールとの出逢い、現在所属するチーム「Knocku(ノッキュー)」の創立に関わった経緯、初めて結成された車いすハンドボール日本代表のメンバーとして今月エジプトのカイロで行われる世界選手権に懸ける意気込み、車いすバスケットボールとの二刀流を続けている理由、両立のカギ、今後の目標など、諸岡選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラテコンドーと身体障がい者野球の二刀流で活躍する市川青空(いちかわ・そら)選手です。 2000年生まれ、岐阜県出身の23歳。元軟式野球の選手で、実業団に入り国際大会にも出場するなど活躍していましたが、2020年、仕事中の事故で右腕を失い、足にも障がいを負いました。2022年4月に、パラテコンドーと出逢い、神奈川に移って本格的に競技を開始。2022年「全日本テコンドー選手権大会」58キロ級で3位となり、世界選手権ほか数々の国際大会に出場。2028年のロスパラリンピック出場を目指すかたわら、身体障がい者野球の選手としても全国大会でプレーしています。事故のあと再びスポーツを始めようと思った理由、パラテコンドーとの出逢い、恩師・洪君錫(ほん・くんそく)氏から学んだこと、足技のあるテコンドーで足の障がいをどうカバーしているのか、韓国の大学の寮で2週間合宿した“武者修行”について、身体障がい者野球も並行して始めた理由、二刀流のメリット、今後の目標など、いろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 元パラ陸上選手で、義足のパラリンピックメダリスト・山本篤(やまもと・あつし)さんです。1982年生まれ、静岡県出身の42歳。高校2年生のときに事故で左足のももから先を失いますが、パラ陸上に出逢い、義足で競技を始めます。夏季パラリンピックに北京大会から4大会連続で出場。2008年の北京大会では走り幅跳びで銀メダルを獲得。義足の陸上選手では日本人初のパラリンピックメダリストとなりました。2016年のリオ大会でも、走り幅跳びで銀メダルと、4×100mリレーで銅メダルを獲得。2018年にはスノーボードで平昌冬季パラリンピックにも出場しています。今年5月に現役引退を表明。22年間の陸上競技生活にピリオドを打ちました。パラ陸上との出逢い、初出場でパラリンピックメダルを獲得した北京大会での裏話、一転、メダルなしに終わったロンドン大会で悟ったこと、リオ大会での復活銀メダルと、リレー競技での銅メダルについて、夏季・冬季競技の二刀流に挑んだ理由と得たもの、最後のパラリンピックとなった東京大会と、引退を決意した今年5月の神戸パラ陸上について、引退後に考えている新たな夢など、山本さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、スポーツジャーナリストで、日本パラ陸上競技連盟会長も務める増田明美さんです。 1964年、千葉県生まれ。現役時代は、陸上の長距離選手として活躍。1984年、女子マラソンが初めて正式種目に採用されたロスオリンピックにも出場しました。1992年に現役引退後はスポーツジャーナリスト、マラソン解説者として活動。また、自ら“パラスポーツの応援団長”を名乗り、障がい者スポーツを早くから積極的に取材されています。2018年から、日本パラ陸上競技連盟の会長に就任。今年は、5月に神戸市で行われた世界パラ陸上の大会実行委員長も務め、大会を成功に導きました。パラスポーツとの出逢い、熱を入れて取材するようになったきっかけと、目からウロコが落ちた選手からのひと言、日本パラ陸上競技連盟の会長を引き受けた経緯、パラ陸上界が現在抱えている課題、東京パラリンピックで印象に残った競技と選手、大成功に終わった神戸パラ陸上で行った新たな試み、パリパラリンピックでの目標など、増田さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラサイクリング(自転車競技)・藤田征樹(ふじた・まさき)選手です。1985年生まれ、北海道稚内市出身の39歳。 両足とも義足の自転車選手です。大学生のときにトライアスロンを始めますが、在学中の2004年、事故に遭い両足のひざから下を失いました。しかし義足でトライアスロンを続け、その後、自転車競技・パラサイクリングに転向。2008年、初めて出場した北京パラリンピックで銀メダル2個、銅メダル1個を獲得。全競技を通じて、日本選手初の「義足のパラリンピックメダリスト」になりました。以降、ロンドン、リオと3大会連続でメダルを獲得。5大会連続出場となるパリでは2大会ぶりのメダル獲得を目指します。事故後もトライアスロンを続けた理由、パラサイクリングを始めたきっかけ、義足で自転車を漕ぐときのポイント、初出場で銀メダルを獲得した世界選手権での戦い、初の「義足のパラリンピックメダリスト」となった北京大会、連続メダルとなったロンドン・リオ大会、コロナ禍に見舞われた東京大会などパラリンピックでの戦い、パリへの抱負など、藤田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・齊藤元希(さいとう・げんき)選手です。 2001年生まれ、神奈川県出身の23歳。先天性脳性まひのため車いす生活になりますが、中学1年生のときに卓球部に入部。2015年、パラ卓球に出逢います。ユースの国際大会で活躍。2021年、大学2年生のときに、バーレーンで行われたアジアユースパラ競技大会の個人戦・団体戦でともに優勝しました。また、シニアの大会でも好成績を収め、去年の中国・杭州アジアパラ競技大会では個人戦ベスト8、男子ダブルスで3位に入賞。今年は、出場が決定したパリパラリンピックで、さらなる飛躍を目指します。パラ卓球との出逢い、卓球に懸けるきっかけになったアジアユースパラ競技大会について、東京パラリンピック選考漏れをどうバネにしていったのか、成績が飛躍的に向上する契機になったプレーの変革について、パリ行きを決めた今年5月のパリパラリンピック最終予選での激闘、パリへの抱負など、齊藤選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ブラインドサッカー男子日本代表・中川英治(なかがわ・えいじ)監督です。1974年生まれ、北海道出身の50歳。クーバー・コーチング・サッカースクールのコーチとしてサッカーのプロ選手を育成。現在はヘッドマスターを務めるかたわら、2015年からブラインドサッカー男子日本代表のコーチとなり、視覚障がいの選手も指導しています。東京パラリンピック終了後、2022年1月から男子代表の監督に就任。初めて自力で出場権をつかみ取ったパリパラリンピックで、初のメダル獲得を目指します。ブラインドサッカーとの出逢い、指導者の立場から見た通常のサッカーとブラインドサッカーの違い、視力に障がいを持った選手にボードなどを使わずどうやって戦術を伝えるのか、コーチとして帯同した東京パラリンピックでの激闘、監督就任後どんなサッカーを目指し、選手にどんなトレーニングを課したのか、パリ行きを自力で決めた去年の世界選手権での戦い、パリへの抱負とメダル獲得のカギなど、中川監督にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・円盤投げ・鬼谷慶子(おにだに・けいこ)選手です。1994年生まれ、高知県出身の29歳。高校時代から、陸上の投てき競技の選手として活躍。国体にも出場しましたが、20歳のときに発症した病気のため手足にまひが残り、車いす生活に。8年ほどのリハビリ生活を経て、パラ陸上の円盤投げは去年から本格的に始めました。今年5月に神戸市で行われた世界パラ陸上で、14メートル49のアジア記録をマークして銀メダルに輝き、パリパラリンピック出場権を獲得。パリではメダルを狙います。投てき競技との出逢い、病気発症後、再び投てき競技に取り組もうと思ったきっかけ、同じ高知県出身の車いすラグビー日本代表・池透暢(いけ・ゆきのぶ)選手から受けたアドバイス、ハンマー投げの選手だった夫・健太さんとの二人三脚、ここ一番になるほど好記録を出せる理由、銀メダルに輝きパリ行きを決めた5月の神戸パラ陸上について、パリへの抱負など、鬼谷選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラ陸上・視覚障がいクラスの短距離ランナー・川上秀太選手です。 1998年生まれ、福井市出身の25歳。小学3年生のときに交通事故で視神経を損傷して視力に大きなダメージを受けましたが、中学から大学まで陸上部に所属して健常の部員と一緒に競技を続けました。2021年4月、社会人になったのをきっかけに、世界の舞台を目指しつつ地域の活性化に貢献しようとパラ陸上の大会にも出場。今年5月に神戸市で行われた世界パラ陸上の男子100mで銀メダルを獲得。パリパラリンピックでは、金メダルを狙います。陸上競技との出逢い、地元・福井工業大学のスポーツ健康科学科で出逢った陸上部顧問でもある恩師・内藤景(ひらき)准教授から教わったこと、社会人になってからパラ陸上の大会に出場を始めた理由、仕事との両立について、銀メダルを獲得した5月の世界パラ陸上について、直前に負傷するアクシデントがありながらなぜ大舞台で結果が出せたのか、パリへの抱負など、川上選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。今週のゲストは、新保大和(しんぼ・やまと)選手です。2000年生まれ、兵庫県西宮市出身の23歳。アシックス所属。生まれつき脳原性まひを抱えています。中学生のとき陸上部に入部。投てき競技を始めました。2017年、世界パラ陸上競技ジュニア選手権大会に出場して円盤投げ・砲丸投げでともに金メダルを獲得しました。シニアの大会ではメインを円盤投げに絞り、去年は世界パラ陸上で4位に入賞、パリパラリンピック出場権を手にしました。また、杭州アジアパラ競技大会でも銀メダルに輝き、今年5月に地元・兵庫の神戸市で行われた世界パラ陸上では銅メダルを獲得。パリでもメダルを狙います。投てき競技との出逢い、小柄な体でなぜ大柄な選手に負けないパワーが出せるのか、パリ行きを決めた去年の世界パラ陸上について、なぜ大舞台になればなるほど結果が出せるのか、銅メダルに輝いた今年5月の神戸世界パラ陸上、パリへの抱負など、新保選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 ゴールボール男子日本代表の要・田口侑司(たぐち・ゆうじ)選手です。 1991年生まれ、広島県出身の33歳。生まれつき視覚に障がいを持ち、調理師を目指していましたが、視力が悪化したため断念。その後ゴールボールを始め、2017年4月に代表入りしました。2017年・2019年のアジアパシフィック選手権でいずれも銅メダルを獲得。代表では攻守の要となるセンターを務め、2021年には東京パラリンピックに出場。2022年3月に代表からいったん退きましたが、去年から強化指定選手に復帰してパリパラリンピック代表メンバーに内定しました。パリでは初のメダルを目指します。ゴールボールを始めたきっかけ、司令塔にあたるセンターの魅力、東京パラリンピックでの激闘と収穫、一時退いた代表にまた復帰した理由、自力でパリ行きをつかみ取ったIBSAワールドゲームズの話、パリへの抱負など、田口選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラカヌー・宮嶋志帆(みやじま・しほ)選手です。 1991年生まれ、長崎県出身の32歳。株式会社コーエーテクモ クオリティアシュアランス所属。2018年、パラカヌーに出逢い、パラリンピックに出場するため競技を始めました。2022年、日本パラカヌー選手権で優勝。今年5月、パラリンピック最終予選を兼ねた世界選手権で日本の出場枠を獲得し、パリパラリンピック出場内定を勝ち取りました。女子選手の中で唯一、カヤックとヴァーの2種目に取り組んでいます。パラカヌーを始めた理由、初めての海外遠征、パラカヌー日本代表の枦木(ははき)監督に教わった新しい漕ぎ方とその成果について、パリ代表の座をつかみ取った世界選手権のレース、パリへの抱負など、宮嶋選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピック・パラローイング〔ボート競技)代表に内定した森卓也(もり・たくや)選手です。1974年、神戸市生まれの50歳。1995年、阪神・淡路大震災で被災し、自宅が半壊したため、1997年から、現在住む鳥取県米子市に移住しました。その後、先天性の病気で下半身がまひして車いす生活になりましたが、40歳からパラ陸上・砲丸投げを始め、日本記録を樹立。東京パラリンピックを目指しました。しかし事故で肩を負傷したため、ボート競技のパラローイングに転向して、去年10月のアジアパラ競技大会で銅メダルを獲得。今年4月、パリパラリンピック出場内定を勝ち取り、大舞台出場の夢をついに叶えました。阪神・淡路大震災での被災と、下半身まひをどう乗り越えて行ったのか、砲丸投げを始めた理由、パラローイング転向と苦労した部分、いったんは諦めながら、まさかの繰り上がりでパリ行きが決まった今年4月のパリパラリンピックのアジア・オセアニア最終予選の激闘、パリへの抱負など、森選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パリパラリンピック・ゴールボール女子日本代表のメンバーに内定した、安室早姫(あむろ・さき)選手です。 1993年、沖縄県生まれの31歳。1歳のときに病気で両目の視力を失いました。筑波大学附属視覚特別支援学校に高校から通い、そこで出逢ったゴールボールを2年生から本格的に始めます。大学3年生のときに女子日本代表入り。代表ではウイングもセンターもできるユーティリティプレーヤーとして活躍しています。2015年・2017年のアジア・パシフィック選手権、2017年ジャパンパラ競技大会で国際大会での優勝を経験。今年のパリパラリンピック女子日本代表に選ばれ、初の大舞台で金メダルを目指します。ゴールボールとの出逢い、大学時代に一度離れたゴールボールに再び戻ってきた理由、2015年のアジア・パシフィック選手権で国際試合初優勝を経験したときの心境、東京パラリンピックの代表に漏れたあと、どう気持ちを切り替えていったのか、パリへの抱負など、安室選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすバスケットボール・女子日本代表の中心メンバー、北田千尋(きただ・ちひろ)選手です。1989年生まれ、和歌山県出身の35歳。生まれつき股関節に障がいがあり、車いす生活を送っていましたが、大学3年生のときに車いすバスケットボールに出逢い、2009年から本格的に競技を始めました。2012年から、関西の女子強豪チーム「カクテル」に移籍。全日本女子選手権では優勝6回、MVP受賞を4回経験。2016年から2018年までオーストラリアでもプレーしました。2014年から女子日本代表入りを果たし、2021年の東京パラリンピックではチーム内最多得点をマーク。大会終了後、代表のキャプテンに就任。パリパラリンピックではメダルを目指します。車いすバスケとの出逢い、リオパラリンピック予選敗退の直後に転職を決意した理由、豪州行きを決意した理由と成果、東京パラリンピック出場で感じたこと、女子代表キャプテン就任とチーム統率について、地元・大阪で豪州に勝ってパリ行きを決めたパラリンピック世界最終予選について、パリへの抱負など、北田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ水泳・宇津木美都(うつぎ・みくに)選手です。 2003年生まれ、京都市出身の21歳。生まれつき右腕のヒジから先がありません。3歳から水泳を始め、中学生のときにパラ競泳の道へ。2017年、パラ競泳日本選手権・50m平泳ぎでアジア新記録を樹立。2018年、アジアパラ競技大会・100m平泳ぎで金メダルを獲得しました。2021年、教員になる夢と競泳を両立するため大阪体育大学に進学。東京パラリンピックにも出場して、100m平泳ぎで6位入賞を果たしました。大学4年生になる今年はパリパラリンピック出場が内定。初のメダルを目指します。パラ水泳との出逢い、高校時代からのスランプをどう克服したのか、初の大舞台・東京パラリンピックでの戦い、去年の世界選手権・100m平泳ぎ4位でつかんだ自信、パリ内定のときに感じたこと、将来先生になりたい理由など、宇津木選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすカーリング・中島洋治(なかじま・ようじ)選手です。 1964年、長野県生まれの60歳。23歳のときに事故に遭い、車いす生活に。パラリンピック出場を目指して車いすカーリングを始めました。2004年「第1回日本車椅子カーリング選手権大会」にチームを結成して出場。初代王者に輝くと、第6回まで連続で優勝を経験。2010年にはバンクーバーパラリンピックで日本代表の司令塔・スキップを務めました。車いすカーリングの普及にも積極的に取り組んでいるほか、男女がペアで戦う「ミックスダブルス」で、次の冬季パラリンピック出場を目指しています。当時まだ日本に入って来たばかりだった車いすカーリングとの出逢いと、指導者もいなかった頃の試行錯誤、通常のカーリングとの違い、バンクーバーパラリンピックでの激闘と、リンク以外でも印象に残ったこと、今年3月、韓国で行われた「世界車いすミックスダブルスカーリング選手権大会」でメダルにあと一歩の4位となった戦いの裏側など、ベテラン・中島選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ水泳・荻原虎太郎(おぎわら・こたろう)選手です。 2002年、千葉市生まれの21歳。現在、順天堂大学の4年生です。4歳のときに軟骨肉腫を発症。右肩・右脚などに機能障がいを抱えています。中学からパラ水泳を始め、複数の種目で日本記録をマーク。2018年のアジアパラ競技大会では、金メダルを含む4個のメダルを獲得し、2019年、ジャパンパラ競技大会では3冠を達成しました。2021年、東京パラリンピックでは4種目に出場。今年3月にパリパラリンピック出場が内定。初のメダルを目指します。パラ水泳との出逢い、アジアパラ競技大会など世界での活躍、順天堂大学に進学した理由、18歳で出場した東京パラリンピックでの激闘と大舞台で得た収穫について、昨年の世界選手権で上位入賞できた要因、パリに向けての抱負など、荻原選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすマラソン・吉田竜太(よしだ・りょうた)選手です。 1981年、東京都生まれの42歳。24歳のとき、事故により脊髄を損傷して下半身不随となり、車いす生活に。その後、車いすマラソンを始め、頭角を現します。2013年、パラリンピック出場を目指すため、当時の勤務先だった品川区役所を退職。競技活動に専念できる環境を求めて、SUS株式会社に入社しました。去年の大分国際車いすマラソン、今年の東京マラソンでいずれも4位に入賞。5月に神戸で行われる世界パラ陸上で、パリパラリンピック出場権獲得を目指します。車いすマラソンを始めたきっかけ、公務員を辞めて競技一本に絞った理由、コロナ禍の中、東京パラリンピックへの挑戦で得たもの、パリパラリンピック出場に向けての意気込みと、出場権を懸けた今週金曜に神戸で開幕する「世界パラ陸上」への抱負、これからの目標など、吉田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 車いす陸上のプロランナー・伊藤智也(いとう・ともや)選手です。 1963年、三重県鈴鹿市生まれの60歳。1998年、多発性硬化症を発症して車いす生活になりますが、翌年から車いすで陸上競技を始め、2005年からプロの車いすランナーとして活動。2008年の北京パラリンピックでは400mと800mの2種目で世界新記録をマークして金メダルを獲得しました。2012年のロンドンパラリンピックでは、200m・400m・800mの3種目で銀メダルを獲得。一度引退しますが、2017年の夏から再び現役に復帰して、2021年、東京パラリンピックに出場。今年のパリパラリンピック出場と、12年ぶりのメダル獲得を目指します。車いす陸上を始めたきっかけ、これまで出場したパラリンピックについて、初出場のアテネ大会・2冠を制した北京大会・銀メダル3個のロンドン大会の話、一時引退した5年後に再び競技を始めた理由、東京パラリンピック出場と直前のクラス変更の話、パリ挑戦に向けての意気込みとこれからの目標など、還暦を迎えたとは思えないバイタリティあふれる伊藤選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 車いすフェンシング・笹島貴明(ささじま・たかあき)選手です。 1990年シンガポール生まれ、東京育ちの33歳。2014年、休暇中の事故により脊髄を損傷、車いす生活に。2015年、東京都が主催するスポーツ選手発掘事業に参加して車いすフェンシングに出逢い、2016年から日本代表として活動を始めます。国内外の大会に出場し、2018年のアジアパラ競技大会では男子フルーレ団体とサーブル団体で銅メダルを獲得しました。講演活動や普及活動にも取り組む一方、IT系企業・株式会社インターネットイニシアティブで社員として働きながら、パリパラリンピック出場を目指しています。車いすフェンシングとの出逢い、競技を始めてすぐに“パラリンピック金メダル宣言”をした理由、初の海外遠征で感じたこと、アジアパラ競技大会で初めて獲得したメダルにまつわる話、そのとき感じた日本代表の重み、健常のフェンシング選手との交流など、笹島選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、日本ブラインドサッカー協会(JBFA)事業推進部・大会運営グループマネジャーの宮島大輔(みやじま・だいすけ)さんです。 1992年、福岡県生まれ、東京育ちの32歳。子どもの頃からサッカー観戦が好きでしたが、18歳のときに事故に遭い車いす生活に。大学卒業後、2016年にボランティアスタッフとして日本ブラインドサッカー協会に関わり始めました。2017年に契約職員として協会入り。2021年、正職員となり、現在は日本代表の試合や、LIGA-i(リーガ・アイ)の試合など、協会が主催する試合の運営を統括する運営委員長を務めています。ブラインドサッカーとの出逢い、観る側から運営する側に回ってみようと思ったきっかけ、JBFAの正職員になった経緯、初めて運営を担当した大会でのアクシデントと、それをどう乗りきったのか、国内リーグ「LIGA-i」が発足した理由と、パラスポーツでは珍しい有料興行に踏み切った理由、これからの集客策など、日本のブラインドサッカーを陰で支える宮島さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすバスケットボール女子日本代表を指揮する、岩野博(いわの・ひろし)ヘッドコーチです。 1964年、茨城県生まれ、千葉県出身の59歳。高校時代に事故で脊髄を損傷して車いす生活になりました。リハビリ中に車いすバスケットボールと出逢い、地元の強豪・千葉ホークスに入団。26歳のとき日本代表に選ばれ、パラリンピックには1992年のバルセロナ大会からアトランタ・シドニーと3大会連続で出場しました。2002年からは、オーストラリアに渡り、プロ選手として活躍。2008年に現役を引退し、2010年から社会人女子チーム「カクテル」のヘッドコーチ、2021年から女子日本代表のヘッドコーチも兼任しています。4月17日から大阪で行われるパリパラリンピック世界最終予選で出場権獲得を目指します。車いすバスケットボールとの出逢い、2002年にオーストラリアへ渡った理由、現役時代、マレーシア代表の指揮を引き受けた理由、女子日本代表のヘッドコーチに就任した経緯、女子日本代表にとって大きな壁となっているライバル・中国との激闘、昨年6月の世界選手権で残した爪痕、いよいよパリ行きを懸けたラストチャンスとなる世界最終予選への抱負と、カギを握る選手について、岩野ヘッドコーチにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、シッティングバレーボール・波田(はた)みか選手です。 2001年生まれ、埼玉県出身の22歳。小学1年生からバレーボールを始めますが、6年生のときに骨肉腫を発症。右足に人工関節を入れる手術を受けました。2015年から、床に座ってプレーするシッティングバレーボールを始め、中学生のときに早くも女子日本代表入り。チーム最年少ながらセッターとして代表チームを引っ張っていましたが、2021年、水頭症・脳腫瘍を発症して東京パラリンピック出場は断念。ボランティアとして代表チームを支えました。現在は再び女子日本代表に復帰。今年のパリ大会で、初のパラリンピック出場を目指します。シッティングバレーとの出逢い、セッターの役割と面白さについて、最年少で代表入りしたとき、年上ばかりのチームムメイトとどうコミュニケーションをとったのか、東京パラリンピック直前での水頭症・脳腫瘍発症と闘病生活の支えになったもの、東京パラリンピックにボランティアとして参加しようと思った理由、いよいよ来月、中国で行われるパリパラリンピック世界最終予選への抱負など、波田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、シッティングバレーボール日本代表・佐々木一成(ささき・かずなり)選手です。 1985年生まれ、福岡県出身の38歳。生まれつき両足と右手が不自由で、普段は義足をはいて生活しています。2013年、床に座ってプレーする「シッティングバレーボール」に出逢い都内のチーム・台東スマイルでプレー。2014年、初めて日本代表に選ばれ、2021年の東京パラリンピックにも出場しました。アスリート活動と並行して、ギークス株式会社で広報・サスティナビリティ推進部部長としてさまざまな発信を行っているほか、生きづらさをテーマにしたWEBメディア「プラス・ハンディキャップ」も運営するなど幅広く活躍しています。シッティングバレーとの出逢い、小柄な体格のハンディをどうカバーしているのか、一時代表落選を経験しながら再び返り咲いた原動力、東京パラリンピックでの激闘とその裏側、会社業務との「二刀流」を続けている理由、昨年エジプトで開催された初のワールドカップでの戦いと、いよいよ来月行われるパリパラリンピック世界最終予選への抱負など、佐々木選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ射撃・岡田和也(おかだ・かずや)選手です。 1969年生まれ、三重県鈴鹿市出身の54歳。つなひろワールド所属。2006年、仕事中の事故で左腕の上腕部から先を失いますが、趣味のゴルフを右腕だけで続け、その後、障がい者ゴルフの国際大会に出場。これをきっかけに、東京パラリンピック出場を目指して2016年から本格的にパラ射撃を始めました。2017年から強化指定選手に選ばれ、国内外の大会で活躍。去年の10月に中国・杭州で行われたアジアパラ競技大会で、日本のパリパラリンピック出場枠を獲得。自身の初出場に大きく前進しました。射撃を始めた理由、右腕だけでどうやって銃を支えて撃っているのか、射撃用の特殊な義手の話、障がいが重いSH2クラスから障がいが軽い選手と同じSH1クラスに移った理由、コロナ禍の影響もあって出場が叶わなかった東京パラリンピックと、パリに向けての思い、杭州アジアパラ競技大会でコーチがかけてくれた一言など、岡田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、元パラアイスホッケー日本代表で、パラスポーツチャレンジャーの永瀬充(ながせ・みつる)さんです。 1976年生まれ、北海道出身の48歳。高校1年生のとき、神経の難病を発症してヒザから下がまひ。歩行が困難になりました。1995年、19歳のときに、脚に障がいを持った選手がそりに乗ってプレーするパラアイスホッケーを始め、ゴールキーパーとしてプレー。日本代表の守護神として活躍しました。パラリンピックには、1998年の長野大会から4大会連続で出場。2010年のバンクーバーパラリンピックでは準決勝で強豪・カナダを破る大金星を挙げ、銀メダルを獲得しました。また「パラスポーツチャレンジャー」として、現在も様々な競技に挑戦。パラスポーツの普及にも取り組んでいます。パラアイスホッケーとの出逢い、まさに“1期生”としてプレーした創生期の日本代表について、初めて出場した長野パラリンピックと、強豪・カナダを下し銀メダルに輝いたバンクーバーパラリンピックでの激闘について、パラスポーツ普及に必要なこと、「パラスポーツチャレンジャー」として挑戦している競技など、永瀬さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・八木克勝(やぎ・かつよし)選手です。 1990年生まれ、愛知県豊橋市出身の33歳。生まれつき両腕に障がいがあり、ヒジから先が短いため、手を伸ばせません。中学1年生から卓球を始め、鍛え上げられた足腰を生かした豊富な運動量を武器に国内外の大会で活躍。立ってプレーするクラスで2番目に障がいが重い「クラス7」で戦い、2021年、東京パラリンピックにも出場しました。去年、中国の杭州で行われたアジアパラ競技大会・男子シングルスで、東京パラリンピックの金メダリストを破るなどの活躍を見せ優勝。パリパラリンピック出場内定を勝ち取りました。卓球との出逢い、手を伸ばせない状態でどうやってプレーしているのか、それをカバーするためのフットワークの鍛え方、古武術をトレーニングに取り入れている理由、憧れの舞台・東京パラリンピックでの戦いについて、大会後競技をやめようか迷った末にパリを目指すことにした理由、パリに向けての抱負など、八木選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラ馬術・城寿文(じょう・としふみ)選手です。1974年生まれ、福岡県出身の49歳。高校生のときに馬術部に入部。卒業後は、乗馬用の馬に蹄鉄を打つ装蹄師として活動しながら、馬術の競技会に出場していましたが、2019年、事故に遭い両脚を骨折。右脚に感覚障がいと機能障がいが残りました。2020年からパラ馬術に挑戦。この年、全日本(ぜんにほん)パラ馬術選手権に出場して、最も障がいが軽い「グレードⅤ」のクラスで優勝しました。今年行われるパリパラリンピック出場を目指しています。脚に障がいが残ったあと、それをどうカバーして馬術を続けたのか、東京パラリンピックを観て受けた刺激、障がいをカバーするためルール内で許されている馬具の改良について、馬とどうコミュニケーションを取るのか、演技の際に特に気をつけていること、リズムの合わせ方、パリに向けての抱負など、城さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすマラソン・喜納翼(きな・つばさ)選手です。 1990年生まれ、沖縄県うるま市出身の33歳。中学・高校生時代はバスケットボール選手として活躍。沖縄県代表にも選ばれました。大学1年生のときトレーニング中の事故により車いす生活となり、2013年、車いすで陸上競技を始めます。2016年、大分国際車いすマラソンで初マラソン・初優勝の快挙を成し遂げ、2019年の大分国際では、1時間35分50秒の日本記録をマークしました。東京マラソンは、2020年・2022年と2度優勝。2021年の東京パラリンピックでは7位に入賞。今年行われるパリパラリンピックに2大会連続出場を目指しています。車いす陸上との出逢い、初マラソンとなった2016年・大分国際車いすマラソンでの優勝劇について、海外マラソン出場で得たもの、目標でありライバルでもあるレジェンド・土田和歌子選手の存在について、初の大舞台となった東京パラリンピックでの激闘、地元・うるま市の子どもたちからもらった声援について、パリへの抱負など、喜納選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラアーリェリー・大江佑弥(おおえ・ゆうや)選手です。 1988年生まれ、岡山県倉敷市出身の35歳。高校時代は倉敷商業で、硬式野球部のレギュラーとして活躍しました。20代のとき3度にわたり脳出血を発症。右半身まひの障がいが残りました。退院後、口で弓を引くスタイルでパラアーチェリーを始め、国内外の大会で活躍。去年の11月にタイのバンコクで行われた国際大会で、日本に史上初めて開催国枠以外でパラリンピック出場枠をもたらし、世界ランキングもトップ10入りを果たしました。現在は倉敷市の職員として勤務しながら、今年行われるパリパラリンピック出場を目指しています。アーチェリーとの出逢い、左手ではなく口で弓を引くスタイルにした理由、初めて出場した米ラスベガスでの国際大会と初出場・初優勝の快挙で得た自信、倉敷市役所に転職した理由と市のバックアップについて、日本の出場枠を獲得したバンコクの国際大会での活躍、メンタルの鍛え方、パリへの抱負など大江選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ陸上・車いすの鈴木朋樹(すずき・ともき)選手です。 1994年、千葉県館山市生まれの29歳。トヨタ自動車所属。生後8ヵ月のときに遭った事故で脊髄を損傷したため、幼い頃から車いす生活になりました。小学5年生から本格的に車いすで陸上競技を始め、トラック競技と車いすマラソンの二刀流に挑戦。2019年、車いすマラソンの世界選手権で銅メダルを獲得します。2021年、東京パラリンピックに出場。4×100mユニバーサルリレーでアンカーを務め、銅メダルに輝きました。今年開催されるパリパラリンピックで、2大会連続メダルを目指します。陸上との出逢い、影響を受けたパラリンピアン・花岡伸和さんに教わったこと、トラック競技に加えて車いすマラソンも始めたきっかけと、そちらに重点を移した理由、東京パラリンピックで得た経験とユニバーサルリレーでのメダル獲得について、パリへの抱負など、鈴木選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、窪田幸太(くぼた・こうた)選手です。 2000年、千葉市生まれの23歳。生まれつき左腕をほとんど動かせず、右腕だけを使って泳ぐパラスイマーです。0歳からスイミングスクールに通い、小学5年生から本格的に競泳を始めました。その後、日本体育大学に進学。水中に潜ってキックする「バサロキック」をマスターしてスピードアップに取り組み、2021年、東京パラリンピックに出場。去年の8月に行われたパラ水泳世界選手権・100m背泳ぎで銀メダルに輝き、パリパラリンピックの日本の出場枠を獲得しました。今年はパリ大会出場と、初のメダルを目指します。水泳を本格的に始めたきっかけ、日体大で出逢い、現在専属コーチを務める鷲尾拓実コーチから学んだこと、背泳ぎをメインにした理由、東京パラリンピックで得た貴重な経験について、去年の世界選手権銀メダルで見えた課題、パリへの抱負など、窪田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ゴールボール女子日本代表のキャプテン・高橋利恵子(たかはし・りえこ)選手です。 1998年、広島市生まれの25歳。先天性の目の病気により、幼い頃から視覚に障がいを持っています。高校から筑波大学附属視覚特別支援学校に進学。2年生だった2014年、ゴールボールに出逢い、筑波大学進学後の2018年、世界選手権で初の日本代表入り。2019年のアジア・パシフィック選手権ではセンターでフル出場。優勝に貢献しました。2021年には東京パラリンピックに出場して、銅メダルを獲得します。2023年から女子日本代表のキャプテンに就任。11月のアジア・パシフィック選手権でチームを準優勝に導き、今年行われるパリパラリンピックへの出場を決めました。ゴールボールとの出逢い、初めての国際試合、長年日本代表のセンターを担っていた先輩・浦田理恵選手から受けた助言、東京パラリンピックで初戦大敗のあとどう立て直していったのか、銅メダルを懸けた3位決定戦と初メダルの心境、代表キャプテンになって変わったこと、パリ行きを決めたアジア・パシフィック選手権について、パリへの抱負など、高橋選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、 パラアイスホッケー日本代表キャプテン・熊谷昌治(くまがい・まさはる)選手です。 1975年、長野県出身の48歳。2008年、事故で右足のヒザから下を失います。その後、そりに乗ってプレーするパラアイスホッケーと出逢い、2010年から本格的に競技に取り組み、始めて3ヵ月で日本代表入り。2018年、平昌(ピョンチャン)パラリンピックにも出場しました。今年4月から日本代表のキャプテンに就任。10月の世界選手権では日本のBプール全勝優勝とAプール昇格に貢献しました。現在は地元のクラブチーム「長野サンダーバーズ」で若手の育成にも力を入れる一方、2026年、ミラノ・コルティナダンペッツォで開催される冬季パラリンピック出場を目指しています。 意外な縁で取り組むことになったパラアイスホッケーとの出逢い、競技経験が数ヵ月の状態で日本代表になったときの努力、平昌パラリンピックで経験した完全アウエーの韓国戦について、元カナダ代表のブラッドリー・ボーデン氏を指導者に迎えて日本代表のホッケーはどう変わったのか? その成果が出た世界選手権Bプールでの全勝劇とこれからについて、熊谷選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、身体障がい者野球・小寺伸吾(こでら・しんご)選手です。 1989年、兵庫県出身の34歳。小学生のときにソフトボールを始め、高校・大学では硬式野球部でプレーしました。卒業後の2013年、事故で左手首から先を切断。接合手術を受け成功しましたが、左手の機能はまだ完全に回復していません。2015年、社会復帰と同時に、地元・兵庫に拠点を置く身体障がい者野球の強豪・神戸コスモスに入団。すぐに頭角を現し、走・攻・守3拍子揃ったプレーで日本代表にも選ばれました。今年9月に行われた「第5回 世界身体障がい者野球大会」で日本の世界一に貢献。この大会で首位打者となり「長嶋茂雄賞」を受賞しました。身体障がい者野球との出逢い、通常の野球とルール面での違い、左手が思うように動かない状態でどうやって打球を捕球するのか、日本代表での戦いと、海外勢から受けた刺激、みごと連覇を飾った「第5回 世界身体障がい者野球大会」でのエピソードと活躍できた理由、今後の夢など、小寺選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ空手・今井俊浩(いまい・としひろ)選手です。1973年、群馬県出身の50歳。小学3年生から空手を始め、社会人になっても続けていましたが、徐々に視野が狭くなる網膜色素変性症のため、42歳からパラ空手の全日本選手権に出場を始め、7度優勝を飾っています(「形」の部)。今年10月、世界パラ空手道選手権・視覚障がいの部に初めて出場し優勝。50歳で金メダルの快挙を達成しました。現在は地元の群馬県前橋市で家具メーカーを経営しながら、自身の道場で後進の育成も行っています。パラ空手転向を決意したきっかけ、長年しのぎを削るライバル・大庭康資選手から受ける刺激について、初出場初優勝の快挙を達成した世界選手権について、道場で後進の選手たちに教えている心得、今後の夢など、今井選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ・パワーリフティング男子65キロ級・奥山一輝(おくやま・かずき)選手です。 1997年、千葉県船橋市出身の26歳。先天性の二分脊椎症のため、幼い頃から車いす生活を送っています。小学校6年生から車いすテニスを始め、競技を続けていましたが、高校2年生のときにパラ・パワーリフティングと出会い、2015年の全日本選手権で優勝。2017年の世界選手権59キロ級ジュニアの部で銅メダルを獲得しました。その後も次々と日本記録を塗り替えるなど活躍。順天堂大学進学後、2年生からパラ・パワーリフティングに専念しています。現在は社会人アスリートとして、男子65キロ級で来年のパリパラリンピック出場を狙います。パラ・パワーリフティングに出逢ったきっかけ、車いすテニスとの二刀流をやめてパラ・パワーリフティング一本に絞った理由、2020年10月の「チャレンジカップ京都」で日本新記録を3連発した背景について、東京パラリンピック出場を惜しくも逃したあと、パリに向けてどう気持ちを切り替えていったのか、これから目標にしている大会など、奥山選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、車いすテニス・荒井大輔(あらい・だいすけ)選手です。 1988年、東京都葛飾区出身の35歳。生まれつき右足に障がいを持ち、2歳のときから義足で生活を送っています。中学時代に義足で軟式テニスを始め、就職してから車いすテニスに出逢い、27歳で本格的に競技を始めました。2017年からプロのテニスプレーヤーとして国際大会でも活躍。2019年には6つの大会でシングルス優勝を果たして世界のトッププレーヤーとなり、2021年、東京パラリンピックに出場しました。今年は4大大会に初めて出場。来年のパリパラリンピックで初のメダルを狙います。義足でテニスを始めた理由、27歳のときに車いすテニスに出逢ったきっかけ、それまで勤めていた会社を辞めてプロテニスプレーヤーになった理由、現コーチ・穂積善行さんの指導を受けるようになって変わったところ、東京パラリンピック前日に父が急逝、そのショックをどう乗り越え試合に臨んだのか、初の4大大会となった全豪オープン・ダブルス準決勝での戦いと、全仏オープン・シングルスで戦った小田凱人選手との戦いなど、荒井選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラスポーツクラブの運営や、パラスポーツ振興を目的として活動する、一般社団法人・Knockü(のっきゅー)の代表理事・岡田美優(おかだ・みゆ)さんです。 神奈川県出身。福島大学を経て、現在、早稲田大学大学院・スポーツ科学研究科の博士課程に在学中です。中学校から大学までハンドボールを続け、全国大会にも出場しました。2022年にKnocküを設立し、代表理事に就任。障がいのあるなしに関係なく参加できるパラスポーツのイベントやコミュニティを運営したり、パラスポーツを通じた教育研修プログラムを実施しています。また、今月行われた「日本車椅子ハンドボール競技大会」では、Knocküが運営するスポーツクラブ「Knockü S.C.」が初参加で初優勝を成し遂げました。パラスポーツと出逢ったきっかけ、パラスポーツが一般にも身近な存在になっているドイツに留学して学んだこと、在学中にKnocküを設立した理由、立ち上げたときの苦労とメンバー集めについて、スポーツクラブ「Knockü S.C.」での活動内容と、監督的な立場で参加した「日本車椅子ハンドボール競技大会」での優勝について、スポーツ庁「障がい者スポーツ振興ワーキンググループ」の委員としての活動、今後の夢など、日本におけるパラスポーツ振興について岡田さんにいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラアルペンスキー座位のレジェンド・チェアスキーヤーの森井大輝(もりい・たいき)選手です。 1980年、東京都あきる野市生まれの43歳。トヨタ自動車所属。4歳からスキーを始めますが、高校2年のときバイク事故で脊椎を損傷。その後、長野パラリンピックを観てチェアスキーを始め、冬季パラリンピックには、2002年のソルトレークシティ大会から6大会連続で出場しています。2006年、トリノ大会での銀メダルを皮切りに5大会連続でメダルを獲得。通算獲得メダルは、銀メダル4個・銅メダル3個。3年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会では、悲願の金メダルを狙います。初メダルとなったトリノでの銀メダル、負傷しながら勝ち取ったソチでの銀メダルなど各メダルの思い出、まだ記憶に新しい平昌・北京での激闘、ミリ単位で調整するチェアスキーへのこだわり、3年後のパラリンピックに懸ける思いなど、森井選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、ブラインドサッカー界のレジェンド・黒田智成(くろだ・ともなり)選手です。 1978年、熊本県八代市生まれの45歳。小児がんの影響により生後3ヵ月で左目を失い、小学1年生のときに全盲になりました。筑波大学大学院在学中にブラインドサッカーと出逢い、2002年に結成された日本代表の初代メンバーに。スピード感溢れる、斬れ味鋭いドリブルを武器に、20年以上にわたって代表のエースストライカーとして活躍。2021年に行われた東京パラリンピックにも出場、チームを5位に導きました。来年行われるパリパラリンピックへの連続出場と、メダル獲得を目指しています。初出場となった東京パラリンピックでの激闘について、予選リーグ初戦・フランス戦での快勝劇、5位の座を懸けて戦ったイラン戦の裏側、いよいよ来年に迫ったパリパラリンピックへの抱負など、日本のブラインドサッカーの歴史とともに歩んできた黒田選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.
「ニッポンチャレンジドアスリート」は、パラアスリート本人や、パラスポーツ・パラアスリートを支える人たちから、競技のこと、これまでの活躍や活動、現在そして未来のことなどを、インタビュー形式でお話頂くラジオ番組です。 今回のゲストは、パラ卓球・立位の立石アルファ裕一(たていし・アルファ・ひろかず)選手です。 1983年、福岡市出身の39歳。先天性二分脊椎症のため、つま先に力が入りません。小学4年生から卓球を始め、競技のときは両脚に装具を着けて立ってプレー。元卓球選手の弟・立石イオタ良二さんをコーチに付けて国際大会でも活躍し、今年8月に行われたサウジアラビアパラオープンでは、立位の男子シングルス・男子ダブルスで優勝。来年のパリパラリンピック出場を目指しています。また2021年の東京パラリンピックでは解説者を務め、パラ卓球の普及にも力を入れています。初めて代表に選ばれたときに感じたこと、初の国際試合で自分より障がいが重い選手がプレーするのを観て衝撃を受けた話、弟のイオタ良二さんをコーチに迎えた理由と、そのお陰で伸びた部分、コロナ禍の間に決断した杖をついてプレーするスタイルに変えた理由、東京パラリンピック中継の解説役を引き受けた理由、いま力を入れていることなど、立石選手にいろいろお話を伺いました。See omnystudio.com/listener for privacy information.