『ラジレキ 〜りーとん・そっしーのラジオ歴史小話〜』 〜歴史 × ビジネス × 雑談ネタ × ゆるさ〜 意外な組み合わせを、"歴史大好き" りーとんと、"音の職人" そっしーの二人が織りなす、ゆるく聞きやすく、時に痛快に展開するポッドキャスト(Podcast)番組。 番組公式Twitter: https://twitter.com/radio_history_ 〇サブチャンネル「学び直し!日本史総復習編」の各プラットフォームURL〇 Anchor: https://anchor.fm/radio-history-sub1 Spotify: https://open.spotify.com/show/703yn4jPEuhv4FnU70RaUb Note : https://note.com/1minute_history/m/m9d688be6e06a

アメリカ合衆国が北部と南部に分かれて激しい内戦となった「南北戦争」。通常、この内戦の背景には「奴隷制」を巡る考え方の相違があったと言われますが、実はもう一つ大きな論点があったのです。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

当時まだ弱小の曹操に仕えて、後方支援や叱咤激励・人材発掘など多彩なサポートをした荀彧でしたが、その最後には不審な点がありました。『後漢書』や『魏氏春秋』で語られる荀彧の非業の死にあった背景とは何か。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

りーとんが三国志のDVDボックスを買って三国志熱が高まっている!そんな中、今回紹介するのは荀彧(じゅんいく)という人物。まだ弱小だった曹操に仕えた荀彧は先見の明がある人物でした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

アメリカ第37代大統領ニクソン。ニクソンショックやウォーターゲート事件など何となく印象の宜しくない大統領ですが、そんな彼は再起を果たした人物なのです。一度の失敗で終わらない、再チャレンジの認められる社会になって欲しいですね。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

何か間違いや失敗があったら謝罪するっていうのが大事ですね。昔から謝罪するときには「自責」を念頭におかないと炎上するっていうのは人間社会の常のようです。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

寝るときにもメガネをかけてたシューベルト。18世紀末から19世紀前半を31年という短い生涯で駆け抜けた「歌曲の王」。けして裕福ではなかった家庭から時代を代表する音楽家が誕生した背景に触れています。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

神童として名を馳せているモーツァルト。しかし彼の自己認知は必ずしもそうではなく「練習したら誰でもできるよ、こんなん」といった感じ。そんな厭味ったらしいモーツァルトでも作曲には苦労したようです。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

偉大な音楽家として名を残しているベートーヴェンですが、プライドや意地の強さも超一級。同時代人が残した数々の証言(いちぶ誇張もある?)から読み取るベートーヴェンの人となりをご紹介。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

小学生でも知っている抜群の知名度を誇るにも関わらず、ここまでラジレキでの登場がなかったベートーヴェン。フランス革命と同時期を過ごした人物のエピソードをご紹介。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

中国史では憤死が良く出てきます。そのためか小説の三国志演義では、諸葛孔明の必殺技のように使われている。なぜ、中国史で憤死が良く出てくるのかも含めて語ります。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

「憤死」した日本史・世界史の人々を取り上げます。日本史では、憤死は、崇徳上皇・早良親王・菅原道真といった怨霊となった方々とリンクします。世界史ではカノッサの屈辱を与えた側のグレゴリウス7世が逆襲にあってるんですよね。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

刑死した近藤、戦死した土方、病死した沖田の三者三様の死に様が、コンテンツとしての新選組に与えた影響を語ります。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

幕末の大人気コンテンツである「新選組」。しかし、このラジレキでの登場頻度は少ない気が。その背景にりーとんが持っていた苦手意識があったのです。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

ヨーロッパの国際秩序を再編しようと精力的な動きを見せているナポレオン。そのナポレオンと対峙したプロイセン王妃ルイーゼのお話。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

10世紀から11世紀にかけての中国は宋王朝の時代。軍事的には弱体だったこの宋は、北方の遼に勝つことができませんでした。和平条約がもたらした意外な効用とは何だったのでしょう。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

まずはいつもどおり2025年の大予言を振り返り、その結果を採点。続いて2026年の大予言をします。今年は珍しくリートンが断言した。根拠ないくせに(笑)ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

2025年「ラジレキ」 のベストエピソードを発表!そっしーが選ぶ「思わずシェアしたくなるde賞」 3作品に加え、3つの作品を紹介。2025年の1年間、ラジレキをご視聴ありがとうございました!ベストエピソードとして紹介したエピソードhttps://open.spotify.com/playlist/1cWodS1KCKjaNRhBG0dIim?si=NPRrfD7hRiizlkCZYXtxMQ&pi=GRH_wkJkQP-49ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

ついにラジレキのエピソード数が1000を突破!四桁に突入しました~。リスナーの皆さんのお蔭です。ありがとうございます!前回と今回はそっしーが選んだラジレキの厳選エピソードをご紹介します。

ついにラジレキのエピソード数が1000!四桁に突入しました~。リスナーの皆さんのお蔭です。ありがとうございます!今回と次回はそっしーが選んだラジレキベストエピソードをご紹介します。

1590年に念願の天下統一を果たした秀吉。しかし、1591年に豊臣秀長が死んでしまいました。もし、秀長が秀吉よりも長生きしていたら豊臣政権は長続きしたのでしょうか?

2026年大河ドラマは「豊臣兄弟」。兄の秀吉を支えた豊臣秀長の活躍について話をします。本能寺の変後の混乱の中、秀長のある活躍がその後の天下取りへと続いていくのでした。

何とか最終的には自分の血縁に地位を譲りたいと願ったアウグストゥス。妻の連れ子であるティベリウスを後継者と指名するも、さらにその先の後継者まで指名する念入りさ。しかし、死神が跋扈するのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

二代目に人を得るとうまく組織は発展するといいますが、そもそも候補者不足だとどうしたらいいんだろうって感じになっちゃいますよね。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

賠償金を取ることができなったポーツマス条約に国民は怒り、日比谷焼打事件が勃発し時の内閣が退陣に追い込まれます。作家の司馬遼太郎はこの事件が日本の歴史の分水嶺になったと評価していますが、そこにはどんな理由があるのでしょうか。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

日本海海戦で圧倒的な勝利を得た日本。しかし、戦争継続能力は限界を迎えていました。日露戦争で日本が賠償金を取れなかった理由や戦争における勝利とは何かを語ります。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

フランス救国の英雄として、ナチスドイツとの戦いに尽力したシャルル・ド・ゴール。しかし彼の本骨頂は第二次世界大戦後のフランス国内政治にあったのでした。必要に応じて、政治制度は変えていいんだよという学びを得られるでしょう。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

人名がついている空港がありますが、パリの空港のシャルル・ド・ゴール空港も人名由来です。日本人にあまり馴染みのないシャルル・ド・ゴールとはどんな人物なのでしょうか。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

現代書籍のタイトルでも多用されている「解体新書」というワード。初出というか原点は、杉田玄白と前野良沢による蘭学書の翻訳書『解体新書』です。その杉田玄白と慶応義塾創設者である福沢諭吉には意外な関係があるのです。

現代書籍のタイトルでも多用されている「解体新書」というワード。初出というか原点は、杉田玄白と前野良沢による蘭学書の翻訳書『解体新書』です。医者の家系に生まれた杉田玄白がオランダ語を学ぶまでのいきさつについて語ります。

戊辰戦争に敗れた旧幕府側に擁立されていた能久親王は、戦後にプロイセン留学へと旅立ちます。その地で一人の未亡人と婚約をするのですが。。。その後も続いた能久親王の流転の人生を追います。

VUCAの時代と呼ばれる現代ですが、それ以上に大きな変革・動乱の時代が幕末です。その幕末において、もっとも翻弄された人物の一人として挙げられるのが皇族・能久親王です。

日本の10倍の国力を誇ったロシアと対峙した日露戦争。この国難の中で日本海海戦を勝利へと導いた東郷平八郎ですが、その勝利のさなかにあっても浮かれることはありませんでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

反対されながらもイギリス留学にこぎつけた東郷平八郎。その学びの成果を近代日本最初の対外戦争である日清戦争で見せたのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

明治新政府が成立すると東郷平八郎はイギリスへの官費留学を希望します。しかし、今も昔も留学には多額の金銭的負担が生じます。当初、東郷平八郎の留学にはある理由で難色が示されたといいます。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

「東洋のネルソン」と呼ばれた東郷平八郎。彼が生まれた加治屋町は、東郷平八郎だけでなく数多くの明治の英傑を輩出したのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

トラファルガーの海戦前にネルソン帝国は「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」という有名な信号旗を送ります。ネルソンタッチという新戦法を駆使して、未曽有の大勝利を得ることに成功しましたが、戦闘中の銃弾にネルソンは倒れてしまいます。ネルソンが最後に残した言葉は、「神に感謝する。私は義務を果たした」でした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

イギリスの首都ロンドンにあるトラファルガー広場。この広場にネルソン提督の銅像が立っています。ナポレオンの野望を打ちのめしたこのネルソン提督は、現代コンプラでは許されざるある違反をしていたのです。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

「地中海に向かえ!」の大号令に成功し、占領軍を追い払ったケマルは、トルコ共和国を成立させます。建国の父、初代大統領となったケマルが次に追い払ったのは、イスラム宗教色でした。世俗化を進める改革への反発と現代に至っての反動についてみていきます。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

第一次世界大戦で最終的に敗北してしまったオスマン帝国でしたが、その中で大活躍したのが、ムスタファ・ケマルという男です。彼の活躍によって当時イギリスの海軍大臣だったチャーチルは辞職に追い込まれました。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

オスマン帝国の改革・革命を目指したエンヴェル=パシャですが、第一次世界大戦の敗北によって亡命を余儀なくされます。しかし、その後も彼は自分の理想・目標を掲げて突き進むのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

ロシアの脅威に晒されていたオスマン朝は近代化を進めますが、なかなか前に進みません。それに業を煮やした青年層が革命を起こして実権を握ります。日本の明治維新を参考にしますが、革命から数年して第一次世界大戦が勃発してしまうのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

関ヶ原の戦いは、西軍にとって無謀であると知りつつ大谷吉継は石田三成への友情に殉じる決意をします。大谷吉継が示した石田三成への忠告と、関ヶ原の戦いでの活躍を紹介します。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

「100万の軍を任せてみたい」と豊臣秀吉に言わしめた大谷吉継。彼は石田三成と深い絆で結ばれていましたが、それにはある茶会でのエピソードがあったといわれているのです。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

現代では皇居にも銅像がそびえたっている楠木正成ですが、実は彼が忠義の士であると評価されるようになった背景には、水戸の黄門様である徳川光圀と明から亡命してきた朱舜水という朱子学者による再発掘があったのです。そして、楠木正成と石田三成の意外な共通点とは。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

後醍醐天皇に味方し、鎌倉幕府滅亡への戦いで籠城戦・ゲリラ戦で大活躍した楠木正成について、ご紹介します!ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

スペイン継承戦争でバイエルンを占領され、フランスへの亡命を余儀なくされたマクシミリアン2世エマヌエル。彼の代ではバイエルンは「王国」に昇格することはできませんでしたが、ニンフェンブルク宮殿の拡張工事やハプスブルク家との婚姻外交などを経て、息子はなんと非ハプスブルク家として300年ぶりに神聖ローマ皇帝となったのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

ドイツ南部の要衝の地バイエルン。ここの領域の格は「選帝侯」でした。できれば「王」を名乗りたい。しかも同格だったプロイセン選帝侯は、1701年に「王」を名乗りだす。そんな中マクシミリアン2世エマヌエルはスペイン継承戦争でフランスに味方する決断を下します。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

陰謀うごめく玉座に幼いときからつけば「狂気」をまとうのはある意味仕方ないかもしれません。しかし、その狂気が家臣の心を惑わせるとなると国内は混乱をきたしてしまうのです。賢明王の父と勝利王の息子に挟まれた、狂気王シャルル6世をご紹介。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

バイエルン王ルートヴィヒ2世は、ノイシュヴァンシュタイン城を建設します。ウォルト・ディズニーにも影響を与えた世界遺産。しかし、既に城は軍事的機能としての意味を失い、王の住まいであればヴェルサイユ宮殿などがもてはやされる中、中世騎士道を夢見た浪費がバイエルン随一の観光資源に繋がったのでした。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

イギリス最長の君主は、エリザベス2世。次点でヴィクトリア女王。イギリスというと女王というイメージをもたらしている二人の君主に次いで三番目で影の薄いジョージ3世を紹介します。ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8

神聖ローマ皇帝になれなかったフランソワ1世。なんとかハプスブルク家を打倒しようとイタリア戦争にのめり込んでいきます。その中でおこなわれたパヴィアの戦いでは、フランソワ1世、カール5世の両者が戦場で相まみえます。その結果はフランソワ1世にとって屈辱的なものとなりました。その巻き返しとして彼がとった行動とは?ご質問・応援コメントはこちらから:https://forms.gle/GuC45eyq4vKTA6Ux8