インターナショナル・バイブル・フェローシップ(プロテスタント)
2023.7.30.m4aさて、機会を狙っていた彼らは、義人を装った回し者を遣わした。イエスのことばじりをとらえて、総督の支配と権威に引き渡すためであった。 彼らはイエスにこう質問した。「先生。私たちは、あなたがお話になること、お教えになることが正しく、またあなたが人を分け隔てせずに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。私たちがカエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか。いないでしょうか。」イエスは彼らの悪巧みを見抜いて言われた。「デナリ銀..
2023.7.16.m4a前回はエゼキエル書24章から、「もう黙っていてはならない」、とのテーマで学びました。エゼキエルは自分の愛する妻の死を通して、約3年間、その身に苦しみを背負いながら、エルサレムが滅ぼされるその日を待つこととなります。しかし、エルサレムが滅ぼされるその日からは、エゼキエルはイスラエルの回復のメッセージを語るようになります。次回からは、回復をテーマにいくつか選んで学んでみます。エルサレムが滅ぼされる日を待つ間の約3年間、エゼキエルはエルサレムの周辺の国々へ..
2023.618.mp3Today we are going to talk about one of the basic things about christianity. It is “ecclesiology.” Ecclesiology is the study of the church. The Greek word for “church” is “ecclesia.” It means the people whom God called out to be..
2022.12.25Christmas.m4aメリークリスマス。皆様とご一緒に、2022年12月25日、このクリスマスの日に、イエス・キリストの誕生をお祝いしたいと思います。今まで4週間にわたって、アドベントの時期を過ごして参りました。毎週イエス・キリストのご生涯に関する聖書の箇所を旧約聖書から選んで読んで参りました。それらの箇所は、ある意味イエス・キリストを指し示して、救い主の働きをよく説明している箇所であったと思います。振り返ってみます。アドベントの1週目は、エレミヤ29..
2022.9.18.m4a今回は、エレミヤ書から14回目のメッセージです。前回は、「私の生まれた日は、のろわれよ。」(エレミヤ20章14節)とのテーマで語りました。20章では、エレミヤが逮捕され、むちうたれると言う出来事が起こります。そのような環境で、エレミヤは預言者として立つことの厳しさを経験します。そして祈りを捧げます。エレミヤの心の葛藤がよく示されている祈りです。14節には、「私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。」とあります。神の都である..
2022.9.4.m4a今回は、エレミヤ書から13回目のメッセージです。前回は、「あなたがたも、わたしの手の中にある。」(エレミヤ18章6節)とのテーマで語りました。エレミヤ書18章6節には、「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたにすることができないだろうか。 ―主の御告げ。― 見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ。あなたがたも、わたしの手の中にある。」とあります。神様はエレミヤに、ちょうど陶器師がなすようにイスラエルを壊し、また作り替えよ..
2022.8.21.mp3今回は、エレミヤ書から11回目のメッセージです。前回は、「彼らは、私の名が主であることを知る。」(エレミヤ16章21節)とのテーマで語りました。イスラエルの民が出エジプトを経験したように、バビロンから解放されて、イスラエルに戻ってくる時が訪れるとエレミヤは預言します。バビロン捕囚があるのならば、バビロンからの解放もあるのです。解放、それは神の新たなご計画です。それらの出来事を諸国の民は目撃するのです。神の視点は、諸国の民がイスラエルの姿を見て、神がお..
2022.7.31.m4a今回は、エレミヤ書から9回目のメッセージです。前回は、「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。」(エレミヤ13章16節)とのテーマで語りました。私たちは神の約束を忘れて、問題だけを見ることが多いです。しかし、神の約束を堅く握り、神の恵みを振りかえってみましょう。キリストを信じる者は罪の赦しをいただき、永遠の命が与えられるのです。キリストは天に私たちの住まいを用意してくださる方です。これは信仰者に与えられている神の約束です。イスラエルの民は、聖なる国民、..
2022.7.3.m4a今回は、エレミヤ書から7回目のメッセージです。前回は、「誇る者は、ただこれを誇れ。悟りを得て、私を知っていることを。」(エレミヤ9章24節)とのテーマで語りました。9章では、涙を流しているエレミヤの姿が描かれています。エルサレムは滅ぼされるという神の裁きを語らざるを得ないエレミヤにとっては、それは大きな悲しみであったからです。しかし、このバビロン捕囚こそ、ユダの民は何が自分たちのアイデンティティで、また信頼すべきものなのか問い直す絶好の機会となるのです..
2022.6.19.m4a「誇る者は、ただこれを誇れ。悟りを得て、私を知っていることを。」(エレミヤ9章24節)今回は、エレミヤ書から6回目のメッセージです。前回は、「偽りのことばを信頼してはならない。」(エレミヤ7章4節)とのテーマで語りました。偽りの言葉とは、神殿は神ご自身の宮であるのだから、外国が攻めてきても絶対に安全だとの偽預言者の言葉であり、彼らの信仰のことです。これはちょうど日本人のご利益的な信仰と似ています。信仰者は、何を信じ、どう生きるかを決断しなければなりま..
2022.6.12.m4aイエスは、耳を傾けている人々にこれらのことをすべて話し終えると、カペナウムに入られた。 時に、ある百人隊長に重んじられていた一人のしもべが、病気で死にかけていた。 百人隊長はイエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、自分のしもべを助けに来てくださいとお願いした。 イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。 私たちの国民を愛し、私たちのために自ら会堂を建ててくれました。」..
2022.5.29.m4a今回は、エレミヤ書から5回目のメッセージです。前回は、「エルサレムよ。戒めを受けよ。」(エレミヤ6章8節)とのテーマで語りました。戒めるとは、同じ様な過ちをおかさないように注意するとの意味があります。私たちも、過去の出来事から多くのレッスンを受け取ることができます。エレミヤは、真実な悔い改めをしない民を見て、預言者としての働きに疲れ果ててしまう体験をしました。しかし、その思いを聞く耳のある者たちに語るようにと、神は彼に語りかけておられます。また、6章..
2022.5.15.m4a今回は、エレミヤ書から4回目のメッセージです。前回は、「背信の子らよ。帰れ。」(エレミヤ3章22節)とのテーマで語りました。神は民が悔い改め、立ち返ることを願っておられます。3章14節から18節には、神様は民の失敗を赦してくださり、彼らをもう一度シオンに集めてくださるとのメッセージが書かれています。回復の業は南ユダだけではなく、北イスラエルに対しても始まります。それは、すでに国を失い、捕囚とされた一握りのイスラエルの民から始まるのです。そこには、彼ら..
2022.5.1.m4aその後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「よくなりたいか」 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたと..
2022.4.24.m4a先月、ピーナッツ・バター・ファルコンという映画を見ました。アメリカの貧しい田舎が舞台で、ならず者の漁師がダウン症の青年と友だちになる話です。もちろん漁師が皆そうでないことはわかっていますが、映画に出てくる漁師は荒っぽくて、言葉は汚くて、体中に入れ墨があって、ライフル銃をいつ向けてくるかわからないような人たちでした。もし実際に会ったとしたら、怖い漁師たちでした。マルコの福音書には、イエスの最初の弟子は漁師であったと書かれています。今日は初めてイエスが弟..
2022.4.17.m4a今日はイースター礼拝です。第一コリント15章10節の言葉、「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。」 このみ言葉を取り上げてみます。イースターとは、キリストが死からよみがえられたことをお祝いするキリスト教の祭典です。イースターを通して、神の人類に対するご計画が明らかにされて行きます。神のご計画とは、罪を犯した人類に救いの道を提供することであり、人が永遠を神と共に生きる道を提供することです。人類の救いのご計画は、旧約聖書の中にまず預言され..
2022.4.10.m4aイエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と 言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。 イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。 これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要としている..
2022.4.3.m4a今回は、エレミヤ書から2回目のメッセージです。前回は、エレミヤが神によって召された出来事を学びました。その時神がエレミヤに、「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知っている」と語られました。あなたを知っているとは、選び出したと訳されている言葉が使われています。選び出した、知っている、との意味を持つ言葉を用いることで、神はエレミヤを選び、彼を親しい交わりにおいて育てて行こうとされたのです。神はエレミヤだけでなく、私たち一人一人の人生も知っておら..
2022.3.20.m4a今回からはエレミヤ書に入ります。エレミヤは南ユダが滅ぼされる、そのような時期に活躍した預言者の一人です。1章1節には、「ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。」とあります。アナトテとは、エルサレムの北東4キロほどにあった寒村です。エレミヤはこの貧しい村で、祭司の子として成長します。2節には、「アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。」と書かれています。ユダの王ヨシヤは宗教..
2022.3.13.m4a北澤牧師が体調不良のため、伊野牧師の代読になります。① 聖書は、荒野での試みに会われた後、宣教活動を始められた主イエス・キリストが、様々な人々と出会っていった、その出来事を記しています。・きょうはヨハネの福音書4章に記されている、「サマリアの女との出会いの記事」を皆さんとご一緒に観てゆきたいと思います。・場面は、サマリア地方の町、スカルという所にあった井戸の端(ほとり)です。・「主イエスは、なぜ、こんなところに座っておられたのだろうか・・」と、誰..
2022.3.6.m4a今回は、旧約聖書のイザヤ書から23回目のメッセージです。前回と同様に同じテーマからの2回目のメッセージです。65章でイザヤの祈りへの神の応答は3つの部分からなっています。まず、異邦人が福音を聞き、神の民とされて行くという応答です。2つ目は、イスラエルの民への神の裁きは変わることがないとの厳しい応答です。しかしその中にも残された民がおり、この人たちは神の祝福を受けて行くと言う応答です。3番目には、新しい天と新しい地を神は創造すると言う応答です。17節には..
2022.2.20.m4a今回は、旧約聖書のイザヤ書から22回目のメッセージです。前回、「私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。」(イザヤ64章8節)とのテーマからメッセージを語りました。この節は続いて、「私たちは皆、あなたの手で作られたものです。」あります。現実はどうであれ、神こそ私たちの創造主です。そして私たちを造り替えることができる方です。イザヤは、神の創造の御業に目を向けていきます。9節には、「主よ。どうかひどく怒られないでください。いつまでも、咎を覚えないでく..
2022.1.23.m4a皆さん、おはようございます。IBFで宣教メッセージを語らせていただく場にこうして戻って来られたことを感謝します。一年間のお休みを認めてくださったIBFの役員の方々に感謝します。おかげ様でこのお休みでリフレッシュできました。この素晴らしい教会で、準備万端、新しい気持ちでまたお仕えしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。さて、今日からマルコの福音書を学んでいきます。実はマルコの福音書を二人のノンクリスチャンの英会話の生徒さんと現在学んでいるという..
2022.1.16.m4a今回は、旧約聖書のイザヤ書から19回目のメッセージです。前回、「あなた方は恥に代えて、2倍のものを受ける。」(イザヤ61章7節)とのテーマからメッセージを語りました。イザヤ61章1節から3節の言葉を引用して、イエス・キリストは、今日聖書のこの御言葉があなた方が聞いた通り実現しましたと語っておられます。そこには「神である主の霊が、私の上にある。主は私に油を注ぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者を癒すために、私を遣わされた。」と書かれています。..
2022.1.9.m4a①昨年の6月から7回に渡りイエスさまの語られた譬え話の箇所からメッセージを語らせていただきました。・2022年も、新しいシリーズで語るようにとの命をうけましたので、きょうからは「イエスキリストの公生涯」というシリーズで語ってゆきたいと思っています。 ・もし、皆さんが、このシリーズを、お休みすることなく聞き続けてくださると・・約三年半のイエスさまの、その公生涯の歩みの全体像が浮かび上がってくると思います。・そして、そのことが、皆さんお一人お一人の、信仰の..
2022.1.2.m4a今回は、旧約聖書のイザヤ書から18回目のメッセージです。前回、「永遠の誇り、代々の喜びの町」(イザヤ60:15)とのテーマからメッセージを語りました。シオンが永遠の誇り、代々の喜びの町と変えられる時がくるのです。これらの預言は、国を失い、バビロンに捕囚とされた方々にとって、どんなに希望にあふれた言葉であったろうかと私は思います。現在、このコロナ禍の中に生きる私たち信仰者にとっても同じです。いろいろな不安の中に生きる私たち神の民を、いつか永遠の誇り、喜び..
2021.12.26.m4a今回は、旧約聖書のイザヤ書から17回目のメッセージです。前回、「主は絶えず、あなたを導いて」(イザヤ58:11)とのテーマからメッセージを語りました。イザヤ58章には、形式的な当時の礼拝の姿が映し出されています。偽善の祈りと断食に対する神の非難のメッセージが語られています。しかし、今私たちは、十字架で贖いの業をなし遂げてくださったイエスを信じて歩んでいます。毎週、礼拝に集い、イエスに精一杯の感謝をささげています。形式的な断食の必要はもうありません。..
2021.12.12.m4a今回は、旧約聖書のイザヤ書から16回目のメッセージです。前回、「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」(イザヤ56:7)とのテーマから2回目のメッセージを語りました。イザヤは新しい祈りの家がユダヤ人や異邦人も含めて作られていくことを預言しています。終末の時代に生きている私たち信仰者は、新しい祈りの家で礼拝をささげています。教会こそ、祈りの家であり、聖なる宮であり、また神の御住まいです。新しい礼拝をささげる、それが新約時代に始まったのです。..
2021.12.5.m4a「あなたはどう読んでいますか」①きょうの聖書箇所は、当時の宗教指導者の一人が、「イエスを試そう」という、実に陰湿な悪意を持ちながら、主イエス・キリストに近づいていった。そのときのことを記しています。・この宗教指導者は、旧約聖書の専門家でした。彼は、主イエスに、このように質問します。→「先生、何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」・この質問は、単刀直入で、一見とてもいい質問のように聞こえます。しかし、この一見すばらしい質問の、その..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から15回目のメッセージです。前回と同じテーマからの2回目のメッセージです。イザヤは新しい祈りの家がユダヤ人や異邦人も含めて作られていくことを預言しています。それではユダヤ人の現状はどのようなものだったのでしょうか。56章9節から57章全体にかけて、堕落した指導者たちの様子や堕落した民の姿が表現されています。本当に悲しくなる内容です。しかし現状を正しく認識して、彼らも変えられることや、私たち異邦人も祈りの家に招かれていることを感謝したいと思っています..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から14回目のメッセージです。前回私は、「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。」(イザヤ55:1)とのテーマで語りました。イザヤは、53章でイエスの十字架での罪の贖いの業を、54章では、回復の業が始まることを、そして、55章では、渇いている者はみな、水を求めて出て来いと、神が備えておられる救いを受け入れるように、さらに私たち信仰者に神ご自身を求めて生きるようにチャレンジしています。ところで、56章からは、第6部に入ります。救い主イエスの働き..
①きょうの聖書個所には、主イエス・キリストの口から語られた、次のような譬え話が記されています。 ・あるところにぶどう園を経営している主人がいました。 この日、ぶどう園の主人は、労働者を雇う為に、市場に出掛けて行きました。 ・最初は、朝早く。 次に、朝の9時頃。 そして昼の12時頃。 更に午後の3時頃にも出掛けていって、労働者を雇い、ぶどう園に送ったのでした。 ・その後、この主人は、夕方の5時頃、市場に行ってみたところ・・何と、このような時間にも、まだ数人がそこに立っている..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から13回目のメッセージです。前回私は、「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」(イザヤ54:8)とのテーマで語りました。イザヤは、イエスの十字架での罪の贖いの業を53章で預言しています。そして続く54章では、エルサレムに向けて、回復の業が始まることが預言されています。誰も住まなくなった町、荒廃した町、エルサレムに向かい、喜び歌えと呼び掛けています。それは十字架での贖いの業が完成したからです。バビロンにとらわれて行った人たちも贖なわれ、回復の..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から11回目のメッセージです。前回は、「わたしを仰ぎみて救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ45:22)とのテーマで語りました。わたしを仰ぎみて救われよ。そのように、神様は全世界の人たちに向けて語りかけておられます。そして、救われて行く信仰者をイスラエルの子孫と呼んでくださり、主によって義とされる(25)と約束されています。イスラエルの子孫とは、神によって選ばれた真の契約の民のことです。それでは、神が用意しておられる救いとはどのよう..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から10回目のメッセージです。前回は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)とのテーマで語りました。救いは私たちの善行によって与えられるものではありません。私たちが救われたこと、それは神のご意思であり、神ご自身の恵みの業です。43章25節に、「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思いださない。」と神のご意思が書かれているからです。神が私たち一人一人を尊..
自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から9回目のメッセージです。前回からはイザヤ書の第五部に入りました。それは、40‐55章にあたります。その内容としては、主のしもべであるイエスによる救いが主に預言されています。40章では、全能の神によるシオンの救いが語られています。救い主が、私たちの羊飼いとなられ、私たちをふところに抱いてくださり、私たちに力を与えてくださるのです。イザヤは、その方と共に歩むように読者にチャレンジしています。41章では、解放者なる神の働きが預言されています。それは、..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から7回目のメッセージです。前回からはイザヤ書の第三部に入りました。それは、24‐35章にあたりますが、世界の裁きと、神の国の成立に関する預言が書かれています。イエスがもう一度戻って来られ、世界を裁き、悪を滅ぼし、シオンの山に立たれ、神の国がこの世に実現する。そのようにイザヤはこれらの箇所で預言しています。イエスはもう一度戻って来られます。そして、すべての民族、国々に、また、私たち一人一人に正しい裁きをなされます。前回語ったことを簡単に振り返ってみま..
ルカの福音書15章25節〜32節 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。 それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 しもべは彼に言った。『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。』 すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。 しかし、兄は父に答えた。『ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破っ..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から6回目のメッセージです。前回はエジプトに向けて語られている宣告を学びました。諸外国への宣告は、13章から23章にかけて書かれています。その中から私は、バビロンに対しての宣告とエジプトへの宣告を取り上げてみました。神は民族の歩みをご覧になり、神の定めた時に、高慢な民を裁かれます。それだけではなく、悔い改める者には回復の道をも備えておられます。これは聖書の確かな約束であると思います。イザヤはさらに進んで、救い主が来られることで、絶対的な平和がこの世界..
みなさんに二つお聞きしたい事があります。一つ目はみなさんは心の中で何か伝えたいもの、事があるでしょうか? 2つ目はそれはどのようにして伝えたいと思っているでしょうか? 現代ではネットの発展により、以前に比べて物事を伝えやすい環境にあるように思えます。例えばYoutube! 僕は高校まで野球をやっていたと言う事もあり、野球関係のYoutubeを見る時があります。その時に例えば、元日本ハムの片岡選手などはプロ野球の選手しかしらないようなニッチな情報をYoutubeを通して伝え..
今回は、旧約聖書のイザヤ書から5回目のメッセージです。先週からはイザヤ書の第二部にあたる諸外国への宣告について学び始めています。この宣告は13章から23章にかけて書かれています。その最初はバビロンに対してのものでした。簡単に振り返ります。バビロンへの宣告の中心的な言葉の一つは、14章4-6節に書かれています。「しいたげる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。彼は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って..
今回は、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」(ヤコブ5:7)からの2回目のメッセージです。前回、主が来られる時まで、農夫や預言者、またヨブを手本として耐え忍びなさいとヤコブは励ましていると語りました。特にヨブの忍耐を手本にあげています。5章11節には、「あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。」と書かれています。ヨブはなぜ自分が苦しまなければならないのか、その理由..
今回は、「主が来られる時まで耐え忍びなさい。」(ヤコブ5:7)からのメッセージです。主が来られる時まで、農夫や預言者、またヨブを手本として耐え忍びなさいとヤコブは励ましています。今日は、耐え忍ぶことについて考えてみます。ところで、前回は「主の御前でへりくだりなさい。」(ヤコブ4:10)とのテーマでメッセージを語りました。へりくだる者とは、自分の不完全さを認めて、神により頼み、神の与えてくださる救いを待ち望む者のことです。そのような者を、主は高くしてくださると約束されています。..
主イエス・キリストの語られた6つの譬え話 その1 ルカの福音書15章1節~7節①主イエス・キリストの語られた6つの譬え話から、神さまのメッセージを受け取ってゆきたいと思っています。きょうは、その第一回として、「いなくなった一匹の羊の譬話し」の所をご一緒に読んでゆきたいと思います。・この譬え話は、当時の人たちのだれでもがよくわかる話でした。また、現代に生きている私たちにとっても、この話はけして難しいものではありません。・100匹の羊を飼っていた羊飼いがいて・・、その羊飼いは..
今回は、「主の御前でへりくだりなさい。」(ヤコブ4:10)からのメッセージです。へりくだる、そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます、との約束が続いています。へりくだる生き方を学んで行きたいと思います。ところで、前回は「平和をつくる人になろう」(ヤコブ3:18)とのテーマでメッセージを語りました。私たちはイエスに出会い、罪を悔い改め、人生が変えられて新しい生き方をスタートした者たちです。神はそのような私たちを、平和をつくる人に、また義の実を結ばせる種を蒔く人にならせよ..
今回は、「平和をつくる人になろう」(ヤコブ3:18)からのメッセージです。前回は「行ないのない信仰はむなしい。」(ヤコブ2:20)とのテーマでメッセージを語りました。特に、アブラハムの信仰から信仰と行ないは常に共に進むものであり、行ないのない信仰がむなしく、死んだものではとの指摘を受けました。今日は、行いに視点を置きながら、私たちの言葉に気をつけること、そして平和を造る人になるとのチャレンジを受けたいと願っています。それでは、ヤコブの手紙3章1-18節を読んでみてください。3..
今回は、「みことばを実行する人になりなさい。」(ヤコブ1:22)からのメッセージです。前回からはヤコブの手紙を学び始めています。「試練に耐え忍ぶ人は、さいわいである。」 (ヤコブ1:12)からメッセージを前回語りました。試練に耐える、神からの知恵を求める、試練と誘惑の違いを認識する、そのような内容を語りました。本当に信仰は表に現われる、当然なことではと私は思いますが、口先だけではない、行動を伴う信仰を持ちたいと心から願っています。今回は、言葉に気をつける、兄弟愛を実践する、..
今回は、「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(へブル13:8)からの2回目のメッセージです。いつまでも変わらないイエスがおられる、なんと励ましに満ちた約束の言葉ではないでしょうか。今日はこの箇所と、20、21節の祝禱(頌栄)のことばに焦点を置いて学んで行きたいと思っています。大祭司であるイエス、またイエスのなした贖いの業にも言及します。イエスは時代を超えて神の業を成してくださっている、その事実に気づき、ご一緒に感謝をする者でありたいと願っています。..
Today is the second Sunday of the Easter season.Easter season; a time when we recall and celebrate the resurrection of Jesus Christ.But it isn't just so we can be filled with thanks and express that thanks to God.It's a time when the church..
ハピー・イースター、そのようにご挨拶いたします。今日はイースター礼拝です。イエスが墓からよみがえられたことをお祝いする日です。イースターの喜びを共にしてまいりましょう。簡単にイエスの十字架での出来事と復活の出来事を振り返ってみます。マタイ27章33、34節には、「ゴルゴタという所に来てから、彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。」と書かれています。苦みを混ぜたぶどう酒は苦しみを和らげるためのものです。それ..