天声人语 12/2 エチオピアの軍事衝突米国の大統領だったオバマ氏がノーベル平和賞に選ばれたとき、世界各地からの反応を紙面に載せるべく外電を探したことがある。褒めそやす言葉ばかりのなか、ポーランドのワレサ氏だけは違った▼时任美国总统的奥巴马获******时,为了在报纸上登载世界各地对此事的看法,我曾查找过国外通讯社的电讯。在一片赞誉声中,唯独波兰的莱赫·瓦文萨给出了不同评价。自主管理労組「連帯」を率いた抵抗運動が評価され、かつて平和賞を受けたその人の言葉は「早すぎる。彼はまだ何もしていないじゃないか」。オバマ氏の受賞理由は「核なき世界」を目指す理念と取り組みだったが、結局尻すぼみとなり、ワレサ氏の危惧(きぐ)は的中した▼曾领导独立自治工会“团结工会”进行抗议罢工运动的莱赫·瓦文萨也是******获得者之一。他评价道:为时尚早,奥巴马不是还没有做什么吗?奥巴马的获奖理由是其致力建立一个“无核世界”的理念和方针,但到头来终归是虎头蛇尾。莱赫·瓦文萨一语成谶。ノーベル各賞のなかで、平和賞はときに失望がついて回る。軟禁(なんきん)の身で賞に選ばれ、民主化の星だったアウンサンスーチー氏がミャンマーの政権に就いた後もそうだった。彼女の政権下で起きたロヒンギャ迫害(はくがい)は、まれに見る人道危機となった▼诺贝尔奖的各个奖项之中,和平奖时而给人带来挥之不去的失望。曾在深陷软禁的境遇下获奖、一度成为民主化启明星的昂山素季执政缅甸后便是如此。罕有的人道主义危机——罗兴亚人种族迫害便是发生在她的政权领导下。エチオピアでいま起きている事態も同じである。この国の政府と、北部の政党ティグレ人民解放戦線との間で軍事衝突が続いており、民間人も含めて数千人が犠牲になったと報じられる。政府を率いるのが、昨年の平和賞を受けたアビー首相である▼埃塞俄比亚现在的情况也是如此。据报道,埃塞俄比亚联邦政府与北部执政党提格雷人民解放战线(简称“提人阵”)之间持续发生武装冲突,代价是民众等上千人的牺牲。领导此政府的正是去年被授予******的阿比•艾哈迈德总理。隣国エリトリアとの紛争を解決した功績が認められての受賞だった。その際の彼の演説はいまとなってはむなしさを感じるばかりだ。「戦争を美化しようとする人がいるが、戦争は関わる人全員にとって地獄の縮図(しゅくず)だ」▼之所以能获得******,是因为他成功解决了埃塞俄比亚与邻国阿里特利亚的边界冲突。当时,他在演说中说道:“虽然有人想美化战争,但这对于与战争相关的所有人来说简直是深渊地狱的缩影。”在今天看来,他的话显得格外苍白无力。アビー首相の強硬(きょうこう)姿勢が、この地に地獄の縮図をもたらしているのではないか。平和を後押ししようとする賞が空回りする。そんな音が、聞こえるようだ。不正是阿比总理强硬的手段将“地狱的缩影”带到这片土地上的吗?我好像能听到一种声音:促进和平的诺奖要形同虚设了。
天声人语 12/1 欄干のない橋目の不自由な人にとって、鉄道のホームというのは「欄干のない橋」だ。よく言われる例えである。そんな怖い橋を杖(つえ)だけに頼って歩く。ひんぱんに列車が来る駅であれば、危険さは橋どころではないかもしれない▼ 我们常会听到这样的说法:“于失明者而言,铁路站台就像一座没有护栏的桥”。失明者仅凭一根手杖便在如此令人心惊胆战的“桥”上行走,若他们身处一个列车频繁来往的站台,则其危险性或许远非桥可比拟。痛ましい事故がまた起きてしまった。おととい東京都内の地下鉄の駅で、視覚障害のある男性がホームから転落し、電車にはねられ亡くなった。ホームドアがすでに設けられ、あと3カ月ほどで運用が始まるところだったという▼令人痛心的事故再次发生。前天,在东京某地铁站,一位失明的男子从站台跌落,遭电车撞击身亡。据说事发时,该站台已经设立了站台门,仅差3个月左右就要正式投入使用了。線路に落ちるのを防ぐホームドアの設置(せっち)は多くの会社が取り組んでいるものの、鉄道全体としてはまだ道半ば(みちなかば)である。設備に全てを頼るわけにはいかない▼如今,虽然许多铁道公司致力于设立站台门,以避免人们跌落站台,但就全国铁道站台设置情况来看,还远远不够。况且,我们也不能完全依赖这些设施。鉄道は身近ゆえ、大事故の報道に触れるたびに自分がその場にいたらと考える。かつて東京の新大久保駅で転落した人を助けようとした人が亡くなった時には、自分にはそんな勇気はないだろうと思った。では白い杖をついている人を目で追うことは。手助け(てだすけ)できることはないかと近寄って(ちかよって)いくことは▼铁道是我们日常生活的一部分,因此每当笔者看到铁路相关的重大事故报道时,总会设想,如果当时自己在场,会怎么做?曾经,当笔者看到在东京的新大久保站,有人为了救跌落站台的人而不幸身亡的新闻时,自觉或许并没有那份勇气。但我们是否可以让目光紧紧追随那些拄着导盲杖的人,或是上前问一声“有什么可以帮您的吗?”駅員のいない無人駅も全国で増えており、誰もが使いやすい鉄道という課題は重みを増している。作家の乙武洋匡(おとたけひろただ)さんがロンドンでの経験を本紙で語っていた。エレベーターのない駅では市民が何度も手を貸してくれたという。「車いすの人が困っていたら手伝う(てつだう)のは、財布を落とした人に駆け寄って届けるのと同じ感覚のようでした」▼如今随着全国不设站务员的“无人车站”不断增加,建设一个方便每一位乘客使用的铁路也变得越来越重要。作家乙武洋匡曾在本报谈及自己在伦敦的经历。其中提到,在没有直梯的车站,当地市民曾多次向他伸出援手。“在伦敦,帮助坐轮椅的人就像追上失主归还其掉落的钱包那样稀松平常。”周りに人がたくさんいても誰からも注意を払われなければ、その瞬間そこは「無人の駅」になる。纵使周遭人群熙熙攘攘,当人人漠视之时,那里便成了一个真正的“无人车站”。
天声人语 11/30 ハンマーの季節新型コロナウイルスへの構え(かまえ)として「ハンマー&ダンス」という言葉がある。米国発の言い回しのようで、移動制限などの強力な対策を、ハンマーを打ち下ろすことに例えた。ウイルスをガツンとたたく感じだ▼“hammer&dance”(重锤与舞蹈)是一种针对新冠病毒的防控措施。据说此说法来源于美国,将控制外出等强有力的防疫措施比作用锤子猛烈敲打,给人一种狠狠地重击病毒的感觉。それで感染が少し落ち着いたら、感染防止と社会経済活動を両立させていく。言わばウイルスとダンスをするようなものである。この冬、日本はどうやらダンスの季節が終わり、再びハンマーの出番となった▼随后,等疫情趋于稳定,便采取一边防疫、一边重启社会经济活动的“舞蹈”措施。可以说这个阶段就像是与病毒跳双人舞一样。今年冬天,日本多半是结束了“舞蹈”阶段,又迎来了“重锤”的出场。東京や大阪、名古屋などで飲食店の店じまいが早くなった。GoToトラベルやイートも見直しが進む。「我慢の3週間」と言われるが、今の対策で必ず収まるという確信は誰にもないだろう▼东京、大阪、名古屋等地的餐饮店将关店时间提前。“Go To Travel”、“Go To Eat”等经济振兴项目也正在被重新评估。虽然政府宣称“忍耐三周就好”,但谁也不能保证,凭借现在的措施就一定能遏制疫情。それでも第1波よりましな点はあり、マスクが出回り(でまわり)、その効果も研究により裏付けられてきた。新型コロナの分科会(ぶんかかい)は提言で、会食に警告(けいこく)を発する一方、仕事や学校の授業、病院の受診(じゅしん)など「感染拡大リスクの低い活動を制限する必要はない」と述べた▼即便如此,如今的状况比起第一波疫情时已有改善,比如口罩大量上市,其防疫效果也得到了研究的证实。****分科委员会建议应避免聚餐活动,但没有必要限制上班、上课、看病等感染风险较低的活动。気になるのは医療体制だ。例えば東京都では重症者(じゅうしょうしゃ)用に確保されたベッドは150床(しょう)というが「実際に使えるのは半分ぐらい」との指摘が一昨日(いっさくじつ)の紙面にあった。ダンスの季節に、体制強化は十分になされなかったのか。GoToなどに公金(こうきん)が回りすぎたのか▼令人担忧的是医疗体系。比如,前天的新闻报道指出:东京可供重症患者使用的床位有150个,但实际可以使用的大约只有一半。这不经让人反思,在“舞蹈”阶段,我们是否充分完善了医疗体系,是否在“Go To”项目上投入了过多的公款。米国の古いフォークソング「天使のハンマー」を思い出す。〈もし私にハンマーがあれば朝に晩に打ち鳴らす〉〈危険を知らせ警告を発する〉。自分の生活に自分で警鐘(けいしょう)を鳴らす。心のハンマーも手放せない。我想起了那首古老的美国民谣——《天使之锤》。“如果有锤子的话,我会从早敲到晚”“告知危险 发出警报”。自己的生活,需要自己敲响警钟。疫情尚未结束,我们还不能放下心中的铁锤。
天声人语 11/29 ヒット商品「再放送」毎年この時期に、その年の商品や出来事を振り返る「ヒット商品番付(ばんづけ)」なるものが発表される。今年、SMBCコンサルティングが東西(とうざい)の横綱(よこづな)に選んだのは「オンライン生活」「感染予防グッズ」と、順当(じゅんとう)なところだ。へえと思ったのは西前頭(にしまえがしら)2枚目の「再放送・再上映」である▼每年这个时候,都会有多个平台公布本年度“人气商品排行榜”,回顾过去一年中的畅销商品和发生的事件。今年,在SMBC咨询公司(日本三井住友银行子公司)公布的榜单中,东西横纲(第1第2位)依次为“线上生活”和“防疫商品”,这个结果是理所当然的。而位列西前头2(第12位)的是“重播与重映”,这令人颇为意外。コロナ下の撮影自粛により、往年のドラマがテレビでよく流れていた。映画館でもリバイバル上映がなされた。若い世代の心を動かし、予想以上の人気となった作品もあったようだ▼受疫情影响,拍摄受到限制,因此电视荧幕上常常播放着往年的影视剧,电影院也重新上映了往年曾上映过的影片。其中似乎有一些作品深深触动了年轻一代的心灵,受到了超出预期的狂热追捧。いわんや昔のファンをや。25年前のドラマ「愛していると言ってくれ」の再放送を楽しんだ人の声が紙面にあった。「ドラマの中に入っていく私はおばさんではなく、紘子さんになっていました」。紘子さんとは常盤貴子(ときわたかこ)さん演じる俳優の卵。聴覚(ちょうかく)障害者の画家と恋に落ちる▼年轻一代尚且如此,更不用说曾经的影迷们了。一位观众曾在本报表示自己十分享受重温25年前的影视剧《跟我说爱我》——“当我沉浸在剧中时,感觉自己成了广子,而不再是一位大妈”。广子是剧中的角色,一位极具潜力的新人演员,由常盘贵子饰演。剧中,她与一位失聪的画家相恋。かくいう私も中学時代に熱中したアニメ「未来少年コナン」に、約40年ぶりに心を奪われた。最終戦争により文明が破壊された後の世界で、少年が冒険を続ける。昔ほどは主人公に自分を重ねられなかったが▼如此说来,笔者也借此机会重温了一番《未来少年柯南》,时隔40年再一次被这部初中时代颇为痴迷的动画作品深深俘获。在核子战争将文明摧毁后的世界里,一位少年踏上了冒险之旅。然而,如今我的心境却未像少年时期那般与主人公如此重合。むしろコナンの育ての親の「おじい」に感情移入(いにゅう)している自分に気づく。悪役で、科学都市の政治指導者レプカの気持ちも少し考えてみた。政治を担う(になう)身としては、人々を飢えさせるわけにはいかない。そんな責任感が暴走した面もあるのか……見ていない人、ごめんなさい▼我注意到,这一次我反而将自身代入了抚养柯南长大的“爷爷”一角中。此外,关于剧中的反派角色——科学城市的政治首脑雷普卡的心情,我也略作了一些思考。身为一名政治领导人,固然不能使人民忍饥挨饿,或许也是这份责任感失去了控制,从而驱使其丧失了理智吧。自顾自地说了这么多,在此对没看过这部作品的读者们,说一声抱歉。ドラマやアニメ、あるいは小説であっても再会には再発見の楽しみが伴う(ともなう)。コロナが、いやコナンが教えてくれた。即便是影视剧、动漫或是小说,重温时也会伴随着新发现的乐趣。这正是疫情,不,是柯南告诉我们的道理。
天声人语 11/28 イチョウの杜を歩く全米図書賞を翻訳部門で受賞した柳美里さんの小説『JR上野駅公園口』の主人公は、昭和一桁生まれのカズさん。高度成長期に福島県から出稼ぎで上京した***********************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************先立たれ、気力を失う男************************************************************************************都先他一步离世,最终失去了积极生活的勇气。而疫情同样让人感到无能为力,因此在这个特殊时期读这本书,更有一种苦闷的现实感。〈妻子(つまこ)率(い)て公孫樹(いちょう)のもみぢ仰ぐかな過去世・来世にこの妻子無く〉高野公彦。イチョウには樹齢1200年と伝えられる長命な木もある。一木一木がそれぞれどんな人生の光と影を目撃してきたか。木々の年輪を推し量りつつ思いをめぐらせた。“今生携妻儿赏银杏,前后世妻儿皆不在。”(高野公彦)据说银杏树十分长寿,树龄可达1200年。不知这一株株银杏各自都目睹了怎样的人生光影。我一边估量着它们的年轮数,一边放飞了万千思绪。
天声人语 11/27 矢口高雄さん逝くレスラーまがいの覆面(ふくめん)をつけて連戦連勝(れんせんれんしょう)する力士「無敵」。漫画家矢口高雄さんが銀行員時代に描いた第1作の主人公だ。漫画誌に投稿するもボツに。理由を尋ねると編集長は「絵が下手だから」。すっかり自信を失ったという▼漫画家矢口高雄在银行就职时画了他人生中的第一部作品,作品主人公“无敌”面戴仿摔跤选手的蒙布,是一名战无不胜的力士。他向漫画杂志投了稿,最后却石沉大海,向编辑询问理由后,也只得到一句“画的太烂了”的回复,使他信心尽失。奥羽(おうう)山脈に抱かれた秋田県の旧西成瀬村生まれ。釣りと漫画が好きだった。中学卒業時、東京のブラシ工場への集団就職が内定したが、恩師が両親を説得してくれて高校へ。卒業して地元の銀行に職を得る▼矢口出生于地处奥羽山脉的秋田县旧西成濑村,喜好垂钓和漫画。初中毕业时,虽然已经被分配到对口的东京毛刷厂就职,但恩师说服了其父母,让他有幸继续读了高中,毕业后得以在当地的银行工作。辞表を出したのは30歳の春。幼い娘が2人いた。周囲の反対を押し切って上京、多摩川(たまがわ)に近い部屋を借りて描き始めたが、不安は尽きない。「妻子(さいし)を養える(やしなえる)か」「銀行に残ればよかった」。毛布にくるまって泣いたという▼30岁那年春天,他提出了辞职,当时还有两个年幼的女儿。矢口不顾周围人的反对决意上京,并租了多摩川附近的房子开始画画,但是不安的心情一直萦绕着他。“能养活妻女么?”“留在银行多好啊”。据说他也曾卷着毯子哭泣。訃報(ふほう)に接し、代表作『釣りキチ三平』を四十数年ぶりに読み直した。天衣無縫の少年が世界の川や海に挑む。さおのしなり、きらめく水面。どの絵にも心が通い、少しも古びていない。『マタギ』や『おらが村』では、東北の山村(さんそん)を舞台に厳しい自然を描いた▼听到矢口的讣报,我时隔四十多年重新拜读了他的代表作《天才小钓手》。天真烂漫的少年向世界上的海川发起挑战,韧性良好的鱼竿、波光粼粼的水面。每一幅画都活灵活现,丝毫不过时。《Matagi》《奥拉格村》这两部作品以东北地区山村为背景,描写了大自然的残酷。「どんどん道草を食おう」「寄り道をしよう」。講演ではそう語りかけた。自身、学校帰りに虫を採り、野の草や実をかじった経験が財産になったという。「すぐ漫画家にならず、銀行に勤めたのもよかった」とも語った▼他在演讲中对听众呼吁“希望大家能够尽情地培养兴趣爱好”“绕一些‘远路’”。他自己就是个例子,小时候放学后捉虫、叼草、吃果实的经验都成为了他日后的宝贵财富。他也曾说过:“当时没有走立即成为漫画家的路,而是在银行就职,这也蛮不错的”。「雪深い秋田の農家に生まれ」。永田町(ながたちょう)あたりでそんな名乗りを聞いたばかりだが、矢口さんも正真正銘のその一人。ボツや挫折、不安をすべて肥やし(こやし)にして、50年に及ぶ画業(がぎょう)を豊かに結実(けつじつ)させた。在永田镇附近,最近才听到有人自称“出生于地冻天寒的秋田农家”,这句于矢口也是当之无愧的,他将自己的落选、经受的挫折、感受的不安都作为肥料,用了50年,让自己的漫画事业开花结果。
天声人语 11/26 コロナ遺産政府が全世帯に配ったいわゆる「アベノマスク」と、思わぬところで再会した。福島県立博物館の倉庫だ。収められていた白い箱には「新型コロナウイルス感染症関係資料」の文字。博物館では2月末から身近(みぢか)な資料を収集(しゅうしゅう)してきた▼没想到,再次看到政府分发给每个家庭的“安倍口罩”,竟然是在福岛县立博物馆的仓库里。口罩收藏在白色的箱子内,箱子上面写着“****相关资料”。这家博物馆从2月底开始收集身边的资料。箱には、美術展中止の案内はがき、疫病よけの妖怪アマビエの新作だるま。地元の酒蔵(さかぐら)が急きょ製造した消毒用アルコール入りの酒瓶(さかびん)もある。学芸員(がくげいいん)の筑波匡介(つくばただすけ)さん(47)は「人の証言は時間とともに変わっても、モノは変わりませんから」と話す▼箱子里面有:关于停办美术展的通知明信片,疫情退散之神“尼彦”模样的不倒翁,盛放当地酒窖紧急制造出的医用酒精的酒瓶。47岁的博物馆专门职员筑波匡介先生称,“因为,人类的证言随着时间的流逝会发生改变,但物品不会变。”きっかけの一つは、大正期(たいしょうき)に流行したスペイン風邪の体系(たいけい)立った資料がなかったこと。たった100年前なのに確かなことがわからない。東日本大震災以降、数々の「震災遺産」を集めてきた経験をコロナ禍にも生かした▼大正时期爆发了西班牙大流感,但没有保存下来系统的资料,这成为收集资料的契机之一。距今仅仅100多年,我们就无法得知当时的详情。311日本地震之后,日本收集了许多“地震遗产”,此次就是将该经验运用到了新冠疫情。ただちにコロナ企画展を開く予定はない。「100年後、200年後、あるいはもっと先の人が分析できるように。いまは色々と残しておくことが必要です」。同じような取り組みはほかの博物館や大学でも進む▼但现在并没有计划立即举办“新冠展”。“为了让100年、200年以后甚至更久远的后代能够分析此次疫情,现在有必要留下各种各样的资料”。其他的博物馆和大学也在努力收集资料。実を言えば、筆者にも捨てられない1枚のチラシがある。春の緊急事態宣言のさなか、近所のスーパーが配ったものだ。「マスク着用」「少人数での来店」を呼びかける。いま見ても、あの頃の店員さんたちの疲れ切った表情が浮かぶ▼说实话,我也有一张不舍得扔掉的传单。是在春季紧急事态宣言之后,从附近的超市收到的。传单上面呼吁人们“佩戴口罩”、“不集体进店”。现在看到这张传单,仍能想到店员们疲惫不堪的表情。「歴史とは明確にされた経験である」と米詩人ローウェルは記した。モノが鮮明に伝える時代の空気。わたしたちの経験は、1世紀、2世紀後のコロナ回顧(かいこ)展でどう語られるのだろう。美国诗人洛威尔曾说过“所谓历史,就是证实过的经历”。物品可以清晰地传达时代信息。在一两个世纪以后举办的新冠回顾展上,人们会怎么评价我们现在的经验呢?
天声人语 11/25 アユの里で熊本県南部を流れる球磨(くま)川はアユの生息地(せいそくち)として知られる。急流(きゅうりゅう)育ちは筋肉質(きんにくしつ)で、体長(たいちょう)30センチ超の「尺アユ」も珍しくない。だが今年はまるで釣れない。7月の豪雨で流されてしまったからだ▼球磨河流经熊本县南部,作为香鱼的栖息地而为人们所熟知。香鱼在湍急的河水中长大,肉质饱满,长度超过30厘米的“盈尺香鱼”也并不罕见。但是,7月的暴雨将香鱼尽数冲走,导致今年的垂钓毫无收获。「網にかかっても数匹、みな小さい。エサの藻やコケがやられ、残った魚も育ちようがありません」。そう話すのは八代市(やつしろし)坂本町の森下政孝さん(79)。高齢化の進む地元に活気を取り戻そうと、3年前、アユ料理店「食処(しょくところ)さかもと鮎(あゆ)やな」を開いた▼79岁的八代市坂本町居民森下政孝称:“即使用渔网捕捞,也只能捞上来几条小鱼。我们向河里剩下的小香鱼投喂藻类和苔藓,却也没有生长的迹象”。当地老龄化愈加严重,为了让这片土地恢复活力,森下政孝于3年前开设了一家名为“坂本香鱼鱼梁”的香鱼料理店。夏と秋の限定で、住民が交代(こうたい)で切り盛りする。県外からもバスが次々に着き、昨季(さくき)は念願の黒字化を果たす。ところが今年はコロナ禍で店を開けず、豪雨は店のテーブルまで押し流した▼这家香鱼料理店只在夏天和秋天营业,由当地居民轮流负责。县外的巴士也相继载着客人来到这里品尝香鱼,去年店铺终于实现了心心念念的盈利。但是,由于新冠疫情,今年没有开业;由于暴雨的来袭,就连店里的桌子都被冲走了。ただ一つ、店に戻ってきた物がある。店名(てんめい)を大書(たいしょ)したスギ材の看板だ。川から八代海(やつしろかい)へ押し出され、20キロも先の天草(あまくさ)の島に漂着(ひょうちゃく)した。流木(りゅうぼく)回収中の島民が見つけ、翌月(よくげつ)ほぼ無傷(むきず)で再び店に。「コロナと水害のダブルパンチに参っていましたが、よしもう1回がんばろうと思いました」▼只有一物兜兜转转又回到了店里,那就是用大字写着店名的杉木招牌。招牌从球磨河冲进八代海,漂流到20公里外的天草岛。招牌被一位正在收集漂流木材的岛民发现,因此才得以于第二个月毫发无损地重回店里。森下政孝称:“虽然遭遇了新冠疫情和水灾的双重打击,但是我还是打算再努力一次。”流域を歩くと、氾濫(はんらん)の跡はなお生々しい(なまなましい)。川岸(かわぎし)にショベルの音が響き、壁や床のない家々が心細げ(こころぼそげ)に立ちすくむ。さらにダム建設をめぐって賛否が対立する兆しもある。人命と清流をともに守り抜く治水(ちすい)の決め手はないものか▼沿着河流漫步,可以发现河水泛滥的痕迹依旧鲜明。河岸上响起挖掘机的声音,由于洪水的袭击而变得断壁残垣的房子们在不安地伫立着。而且,围绕水库建设一事,当地持赞成和反对两种论调,出现了对立的迹象。难道就没有能够同时保护人命和清溪的治水方式吗?訪れた日、川面(かわづら)は晩秋の陽光(ようこう)に輝いていた。奇跡の看板は畳半分ほどの大きさで、墨痕(ぼっこん)もそのまま。持ち上げると両手にズシリと重い。店の片隅に置かれ、人々がアユ料理に再び舌鼓(したつづみ)を打つ日を待つ。我来到坂本町的那一天,晚秋的阳光熠熠生辉,映衬得河面波光粼粼。奇迹般归来的招牌约有一半榻榻米大小,黑色的字迹丝毫没有褪色。我将其抬起,感觉双手沉甸甸的。它被搁置于店铺的角落,等待着食客们再来品尝香鱼料理的那一天。
天声人语 11/24 もてなしの宴(うたげ)愛知県警を担当した記者に語り継がれる事件がある。参院選(さんいんせん)で、みそ煮込みうどんなど計2万円相当を有権者にふるまったとしてある陣営が摘発(てきはつ)された。東海地方で育った筆者(ひっしゃ)にはなじみのご当地麺ゆえ、「みそ煮込みで選挙違反か」と驚いた▼我从一名曾任爱知县警察的记者那里听过这样一件事。在参议院选举中,有一派因向选民贿赂总计2万日元的味噌乌冬面而被检举揭发。因为我从小在东海地方长大,乌冬面是本地十分常见的面食,所以对此感到十分震惊:“居然还可以用常见的味噌乌冬面来贿赂选民,进而违反选举法”。もう10年も前の事件だ。当時の記事を見ると、うどん接待を受けたのは有権者13人で、1人あたり千数百円。逮捕された県議は議員バッジを返上(へんじょう)し、罰金(ばっきん)を納めた▼这已经是十多年前的事了。据当时报道,议员方共招待了13位选民,平均下来每人受贿一千多日元。涉嫌贿赂的议员被逮捕,被议会除名后还缴纳了罚款。こちらは有権者1人あたりいったいいくらに相当するのか。安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」前夜に開いた夕食の宴(うたげ)である。告発を受けた東京地検が秘書らを聴取(ちょうしゅ)した▼那么在“赏樱会“前夕,由前首相安倍晋三后援会举办的大型晚宴中,平均每位选民又相当于受贿多少呢?近日,受理这起举报案件的东京地方检察院传唤了安倍的秘书们。会場は高級ホテル内の「鶴の間」「鳳凰(ほうおう)の間」「宴会場ギャラクシー」など。告発状の通りなら、800人ほどの後援会員らが各自数千円の値引き(ねびき)を受けていたことになる。計7年分を前首相側が肩代わりしたとすれば、かなりの額になろう。「一見(いちげん)の方とは違い信用できる客だったから」。前首相は国会で安値のわけを堂々と語った▼这场招待宴被安排在高级酒店的“鹤之间”、“凤凰间”、“宴会场银河”等包厢。若检举信所言属实,那么近800位后援会会员每人都享受到了数千日元的优惠。如果七年来,前首相及其秘书们一直都替会员们支付这数千日元的话,那就是一笔庞大的数目了。而前首相在国会就此行为堂堂正正地解释道:“因为他们都是值得信赖的客人而非新客。”「うそをついても人は信じる。ただ権威をもって語れ」。皮肉屋として知られた文豪チェーホフの言葉である。辞任表明から3カ月、国会で疑惑を否定した前首相の声は耳に残る▼讽刺小说家契诃夫曾说:“只要你有权威,即便是撒谎,人家也信你。”前首相发表辞职声明三个月后,于国会上否认自身嫌疑时说的话至今萦绕耳边。政治家が支援者をもてなして騒ぎに至った例は多々ある。カニ、メロン、似顔絵(にがおえ)入りうちわ、肖像(しょうぞう)写真付きのワイン。閣僚辞任や議員辞職に追い込まれた人もいる。ことここに至れば、自身の言葉で真相を語っていただくほかあるまい。政治家因贿赂支持者而引起争议地事件数不胜数。贿赂物品包括螃蟹、哈密瓜、印着肖像画的团扇以及带写真照片的红酒。也有许多人因贿赂丑闻被迫辞去内阁或议会职务。事已至此,前首相只能自己站出来严明真相了。
天声人语 11/22 個人的には、ということ個人的には……。わざわざそう断ってから発言する人がやけに多いように感じる。気のせいだろうか。「私はこう思う」と単に言えばいいのに、なぜかこの表現がよく使われる▼“就我个人而言……”,不知是否是我的错觉,似乎许多人在说话前总要特意加上这么一句铺垫。明明只要一句“我觉得”便足矣,但为何人们频频使用这种表达方式呢?それなら今までの話は何だったのか。まさか何かの組織を代表していたわけでもあるまい。疑問に思って同僚に尋ねると、本来の意味とは違って「相手の気に障る(さわる)かもしれないけどこれだけは言っておこう」といったときに使うという▼若是如此,那么之前的发言又是什么呢?发言者也并非代表某组织发言。疑云满腹的我询问了我的同事。据他介绍,“就个人而言”不同于其本意,一般在担心自己接下来说的话会让对方不快时作铺垫用。組織論が専門の同志社(どうししゃ)大学教授の太田肇(おおだはじめ)さん(65)は日本の企業などでの同調(どうちょう)圧力の強さを指摘する。周囲と異なる(ことなる)意見を言うには圧力にたえる「逃げ道」が必要で、それが「個人的には」といった表現になっているのではないかと▼组织论研究专家,同志社大学教授太田肇(65)认为,日本企业等组织中存在极大的“趋同压力”,而这一点是造成此现象的一个重要原因。由于人们在发表与周围人不同意见时,需要一条能够转移压力的退路,因此“就我个人而言”这种表达方式便应运而生了。「日本の組織には私より公(おおやけ)を優先する暗黙(あんもく)の前提(ぜんてい)がありますから」。ただ、前置きの後に本音を語れるような場合はまだましなのかもしれない。「最悪なのは本音が語られず、建前だけの組織です」と太田さん▼太田还表示:“因为在日本组织中,先公后私是一个约定俗成的前提”。如果人们铺垫了一番后便能吐露真言,也许情况还较为乐观。“最糟糕的就是那种人们无法吐露真言,光说一些场面话的组织”。「私の個人的意見は反対でありました」。日本が戦争に向かった経緯(いきさつ)について、A級戦犯(せんぱん)が東京裁判で語った言葉を政治学者の丸山真男が書き残している。自らの考えを「私情」(しじょう)と排し、ひたすら周囲に従うのをモラルとするような指導者の言動を丸山は「既成(きせい)事実への屈服」(くっぷく)だと喝破(かっぱ)した▼政治学者丸山真男记录了甲级战犯在东京审判中关于日本走向战争的原委的陈述。其中有一句便是“就我个人而言我是反对的”。丸山揭露了当时统治者将个人想法作为私心加以排斥,而将一味迎合周围人作为美德的丑恶言行,并称其为“对既成事实的屈服”。豊かで平和な社会は異論によって形成される。正直言ってあまり好きではない言葉だけど、そう前置きするだけで言いたいことが言えるのならば、もっと使われてもいいと思う。個人的には。一个丰盈而和平的社会正是由各种不同的观点所构成的。坦白说虽然我并不是特别喜欢“就我个人而言”这种表达,但如果这种铺垫式的话语能够让人尽情畅言的话,更多地使用这种表达也不赖。就我个人而言。
天声人语 11/23 蟻であっても飛行場に近い公園に寝転び、頭上(ずじょう)を行く機体のエンジン音を聞き比べる中学生2人。つらく出口のない日常から飛び立つ日を夢みる。公開中の映画「滑走路」にそんな場面があった▼正在上映的电影《滑走路》中有这么一幕:两位中学生在机场附近的公园里躺着,听着飞过头顶的飞机引擎声,将它们一一比较。他们梦想着有一天能够飞离这痛苦又无尽的日常生活。萩原(はぎはら)慎一郎さんの歌集『滑走路』から生まれた映画である。〈非正規(ひせいき)の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている〉。働きにくく生きづらい社会を独特の感性で切り取り、将来を期待されながら、歌集刊行(かんこう)を待たずに32歳で早世(そうせい)した▼这部电影诞生于萩原慎一郎的短歌集《滑走路》。“各位临时工朋友啊,不要认输,我也只是在不停地整理文件而已。” 萩原以独特的感性,用短歌来记录工作生活极为艰难的社会现状,也期待着未来,然而他在32岁那年就英年早逝,甚至没能等到自己的短歌集发行的那一天。〈屑籠(くずかご)に入れられていし鞄(かばん)があればすぐにわかりき僕のものだと〉。本紙の歌壇に初めて登場したのは19歳のとき。中学高校で受けたいじめによる心の傷は深く、大学を出た後も不調に悩まされた▼“只要有书包扔在废纸篓里,我立刻就能认出那是自己的东西。”19岁那年,萩原首次在本报的和歌栏目中发表了作品。他在初高中时饱受欺凌,心灵受到了严重的创伤,大学毕业后仍萎靡不振。非正規雇用(こよう)を主題にすえた歌で共感を呼ぶ。〈夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端(したっぱ)だから〉。それでも、同じような境遇(きょうぐう)の人々に向けるまなざしはあくまで温かい。〈牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給(じきゅう)以上だ〉▼萩原以临时工为题写的短歌引发了人们的共鸣。“黎明于我太残酷,因为这意味着,到了早晨我便身居底层。”即便如此,他也始终以温暖的目光面对拥有相同境遇的人。“牛肉盖饭店里有你努力的身影,你的努力不仅值这点时薪。”歌集にご両親が寄せた文章によれば、学校でも職場でも悩み続けた彼にとって、詠むことは「生きる希望」そのものだった。〈抑圧(よくあつ)されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字(みそひともじ)で鳥になるのだ〉。社会のひずみを鋭敏(えいびん)に感じとり、伸びやかな言葉をつむいだ▼短歌集中收录了萩原父母寄来的信,从中可以了解到,对于在学校和职场都烦恼不断的萩原而言,作短歌正是他“活下去的希望”。“不要总是压抑着,仅仅三十一字的短歌,我们便能化身自由的小鸟。”他敏锐地察觉到社会的弊病,却编织轻松的语句来表达。きょうは勤労(きんろう)感謝の日。コロナの収束(しゅうそく)は見通せず、解雇(かいこ)や雇い止め(やといどめ)の嵐が吹きやむ兆し(きざし)もない。〈今日という日を懸命に生きてゆく蟻(あり)であっても僕であっても〉。残された295首の魂の叫びを胸に刻む。今天是勤劳感谢日。新冠疫情何时结束难以预料,解聘与停止招工的风暴也毫无休止的征兆。“奋力活过今天,蚂蚁亦是,我亦是。” 萩原留下的295首灵魂的呼喊,深深地铭刻在我们心中。
天声人语 11/21 会食指南世の中には変わった師匠がいるもので、「あくび指南所」(しなんじょ)の看板を掲げて稽古をつけてやろうというのが、落語の「あくび指南」である。秋は月を見ながら、冬は炬燵(こたつ)でと四季折々のあくびがあるが、入門編は夏の船中(せんちゅう)のあくびだ▼落语《哈欠指南》中有一个奇怪的师傅,挂着“哈欠指南”的招牌,专门指导人们打哈欠。秋天哈欠的设定场景是赏月,冬天哈欠的设定场景则是坐在被炉周围,如此,四季的哈欠各不相同。而入门级的哈欠场景设定在夏天的船中。体をゆすって船の気分を出し「おい、船頭さん、船を上手(うわて)のほうへやってくんな」など台詞(せりふ)も決まっている。「船もいいが、一日乗ってると、退屈で……退屈で……」とここであくび。入門者は無理に出そうとするが、うまくいかない▼通过摇晃身体营造坐船的气氛,同时还有诸如“喂!船老大,别往上游走了!”等固定台词。“坐船虽然好,但是坐了一天也很无聊,很无聊…”。念到此处应打哈欠,但是作为初学者,无论怎么努力也还是无法成功酝酿出哈欠。話は、このところの政治家たちの「会食指南」である。あくび指南ほどばかばかしいとは言わないが、菅首相の「静かなマスク会食」にしろ、小池東京都知事の「5つの小(こ)」にしろ、問題の大きさに比べて、ちんまりした話だ▼今天要说的是最近政治家们提出的“聚餐指南”。虽然不像哈欠指南那么可笑,但是无论是菅总理的“带着口罩安静聚餐”,还是东京都小池知事的“五小”,与眼下面临的问题相比,这些方法实在是微不足道。きのうは田村厚生労働相が、飲食用のフェースシールドなるものの使い方をテレビカメラの前で実演していた。政治家たちは何かメッセージを発しているつもりなのだろうが、医療の専門家たちの危機感とは隔たり(へだたり)がある▼昨天,田村厚生劳动长官亲自在电视摄像机前演示了如何使用就餐专用的防护面罩,政客们似乎想要传达一些积极抗疫的信息,但其不同于医疗专家们所说的危机感。東京都医師会が緊急記者会見で、「GoToトラベルの一時中断を」と求めていた。今のまま放っておくと、必ず医療崩壊につながるという。経済との両立というと聞こえはいいが、感染防止の努力をGoToが打ち消しているのが現状(げんじょう)か。ここで事業を見直せば、よほど意味のあるメッセージになる▼据说东京都医师协会曾在紧急记者会上极力呼吁“暂停GoTo活动”。该协会认为,如果对现状置之不理,必然导致医疗系统崩溃。“经济发展与防疫两不误”听上去固然是一桩美谈,但如今现实却是,疫情防控的努力正在被GOTO政策逐步抹消。如果能重新审视该政策,这个信息将意义重大。政治家たちが会食指南に終始(しゅうし)するなら、この人たちに任せていて大丈夫だろうかと……あくびではなく、ため息が出る。如果政治家们依然坚持贯彻聚餐指南,我们不由担心:将国家交给这些人真的没问题吗……我没有打哈欠,只是叹了口气。
天声人语 11/20 奇っ怪な英語SF作家小松左京の『明日泥棒』に、奇っ怪(きっかい)な日本語をしゃべる宇宙人が出てくる。ゴエモンと名乗るこの人物は、様々な話し言葉を大急ぎで棒暗記(ぼうあんき)したとのことで、登場からこうだ。「コンツワ! けっこうなお天気でありおり侍(はべ)り」▼在科幻小说作家小松左京的作品《明日小偷》中,有一位日语奇奇怪怪的外星人登场。他自称五卫门,并临时死记硬背了一些口头表达,导致登场一开口便是“你嚎!今天天气真好哉”上は洋服で下はハカマという珍妙(ちんみょう)な格好も、彼なりに日本を研究した結果だ。郷に入れば郷に従えと言おうとして「汝(なんじ)らの国の諺(ことわざ)に、ゴーにいればストップにしたがえと……」。実は恐るべき超能力の持ち主なのだが▼他上穿西装下着日式裤裙,别看这装扮稀奇古怪,也算是他研究日本文化后的成果了。有一次,他想说“入乡随俗”,一开口却是:“尔等国家的谚语里有一句:想进入走的话,必须先随停”,但就是这样的人物,却拥有着惊人的超能力。ゴエモンほどでないにしろ、英語話者から見れば奇っ怪な言葉が我が国に氾濫(はんらん)しているようだ。改善を求めて通訳や研究者が「日本の英語を考える会」を発足(はっそく)させた。そのウェブサイトを見ると「Go To トラベル」がやり玉(やりだま)にあがる▼虽然不及五卫门这种程度,但是在英语使用者看来,日本现在充斥着奇奇怪怪的英语。一些译员以及研究者建立了“日本英语反思委员会”,以求改善现状。我看了一下他们的主页,发现“GO TO TRAVEL”成了一个活靶子。toの後に来る(いたる)べきは、京都や学校といった目的地を表す(あらわす)名詞だからだ。ウィズコロナやハローワークなど和製英語は世に多く、必要な情報が外国人に伝わらない恐れがあるという。変な英語もご愛敬(あいきょう)と言ってはいられないか▼因为“TO”后应该接“京都”或是“学校”这类表地点的名词。现在“With corona”“Hello Work”这类日式英语变得越来越多,因此很多必要的信息恐怕难以传达给外国人,看来现在也不是说“就算是奇怪的英语也要接纳”的时候了。カタカナ語でもう一つ気になるのは、悪い印象を薄める意図をときに感じることだ。国民総背番号(こくみんそうせばんごう)がいつしかマイナンバーになり、感染爆発でいいのにオーバーシュートと言う。行政発の新語にはとくに用心(ようじん)したい▼还有一点令人在意的是,片假名有时可以柔化一些有负面印象的东西,比如,不知从何时起,“国民编号”变成了“My Number”,说“感染爆发”大家也能懂,却偏要用“overshoot”,希望政府在创一些新词的时候要格外小心。いまカタカナで人々を煙(けむ)に巻くとしたら……。えー、コロナとエコノミーの問題に関しましては、GoToイートとマスクをコラボさせることによりソリューションを見つけたい、かように考えます。现在若是要用一些片假名来蒙人的话,“有关corona和economy的问题,希望通过GO TO EAT和mask的配合,找出一些solution”,就会变成这样的感觉。
天声人语 11/19 小春日和の挿話劇中劇は、物語に彩り(いろどり)を添える。ケストナーの児童文学『飛ぶ教室』では、ドイツの寄宿舎(きしゃくしゃ)の少年たちが創作劇の稽古(けいこ)をする。クラス全員が飛行機に乗って世界を回り、現地で授業をするという楽しげな劇である▼“剧中剧”,可以为故事情节添姿加彩,这里是指,少年们本身是剧中的主人公,而该剧情节中里也有他们排练戏剧的故事。作家卡斯特纳所著的《会飞的教室》是一部儿童文学,讲述德国一群寄宿在学校的少年们自编自演的一场戏,剧情十分有趣:全班同学乘坐飞机,周游世界,在当地上课。あるときはイタリアのヴェスヴィオ火山に飛び、燃え立つ炎をながめながら、噴火(ふんか)で滅んだ古代文明を学ぶ。またあるときはエジプトのピラミッドに降り立ち、ミイラに出合う。学校でクリスマスに上演し、みなを喜ばせた▼有时,孩子们飞到意大利的维苏威火山,一边眺望熊熊燃烧的烈火,一边学习因火山喷发湮灭的古代文明;有时,降落到埃及的金字塔,邂逅木乃伊。这场戏在学校的圣诞节晚会上上演,让同学们大饱眼福。私たちの季節の物語も冬へと向かっていたはずが、ここ数日は劇中劇を思わせるような陽気が続いている。〈挿話めく小春日和と云ふがあり〉相生垣瓜人(あいおいがきかじん)。いつもより長くて心地よい挿話を置いてくれたのは、どなたかの思いやりか▼我们的“季节”这一故事,情节理应发展到了冬季,但是这几天,天气持续晴朗,让人不觉想到剧中剧。俳人相生垣瓜人曾作俳句:“有云 插曲般 小春日和”。是谁如此体贴,带给我们这既悠长又愉悦的插曲?信州小諸(こもろ)での暮らしを綴(つづ)った『千曲川(ちくまがわ)のスケッチ』で、島崎藤村(しまざきとうそん)は小春を愛(いと)おしんでいる。「いくら山の上でも、一息(ひといき)に冬の底へ沈んではしまわない」。秋から冬になる頃の小春日和は「この地方での最も忘れ難い、最も心地の好(よ)い時の一つである」▼岛崎藤村生活在信州(今长野县)的小诸市时,曾写过散文集《千曲川风情》,表达了对小春时节的喜爱之情。“不管山上多高的地方,都不会一下子进入深冬”。从秋天过渡到冬天时的小春日和时节“是这个地方最难忘,最舒适的时节之一”。きのうは富山(とやま)や鳥取(とっとり)などで、季節外れの夏日となった。「小夏日和」とでも言いたくなる日差しのなかを歩けば、当たり前ながら木々は確実に冬へと向かっている。街路樹(がいろじゅ)の葉が風で落とされて、丸裸(まるはだか)に。サザンカの赤い花も、いつも通りの美しさである▼昨天,富山县和鸟取县都出现了错季的夏季天气。现在的气候暖和得可以说是小夏日和,走在温暖的阳光下,确实能够感觉到随着冬天到来,树木也逐渐适应气候的变化。街道旁的树木被风吹掉了树叶,变得光秃秃的。红色的茶梅一如既往地美。日本気象協会によると、今年の冬の特徴は、いつもよりゆっくり寒くなることだという。不安になるニュースが多いなか、少しだけ心が落ち着く知らせである。据日本气象协会的消息,与以往相比,今年冬天的特点是放缓了变冷的脚步。现在有很多令人不安的消息,而这个消息稍稍让人平静一点。
天声人语 11/18 パンとサーカスローマていこくのこうていのなかには民衆(みんしゅう)の機嫌を取るために娯楽(ごらく)の提供に励む者たちがいた。それを象徴(しょうちょう)する言葉が「パンとサ一カス」である。サ一カスとは曲芸(きょくげい)ではなく、戦車(せんしゃ)競走(きょうそう)で用いられた楕円(だえん)形のコ一スを指すのだと、西洋史家本村凌二(りょうじ)さんの著書に教(おそ)わった▼在罗马diguo的历代huangdi中,有为了使民众开心而致力于提供娱乐项目的统治者。象征这一现象的词语为“面包与竞技场(circus)”。西洋史学家本村凌二在其著作中称,这里circus一词并非杂技,而是指战车竞速中所使用的椭圆形赛道。馬に引かれた戦車が疾走(しっそう)するレ一スを観衆が楽しんだというから、一種のスポ一ツイベントであろう。統治のため「サ一カス」が重視されるのはいつの時代も変わらないようだ。東京五輪をめぐる昨日の朝刊記事を読んで思った▼这是一种由马儿拉着战车来进行的竞速比赛,由于观众们都十分乐在其中,进而成为了一种体育赛事。在读完昨日晨报中关于东京奥运会的报道后,我不禁想到:不管在哪个时代,出于统治目的而重视“竞技场”的现象都未曾改变。「五輪は最大の政権浮揚(ふよう)策」との認識が政府·与党に広がっているという。来年夏の五輪·パラリンピックの後、それを菅政権の成果として衆院(しゅういん)を解散すれば、選挙に勝ち、政権を長期化できるというもくろみである▼政府和执政党普遍认为“奥运会是最能刺激政权的政策”。政府计划,若能在明年夏天成功举办奥运会及残奥会,并将此作为菅政权的功绩以解散众议院的话,菅首相就能够赢得选举并长期把持政权。来日している国際オリンピック委員会のバッハ会長に対し、菅首相は「大会を実現する決意だ」と語った。「人類がウイルスに打ち勝った証し」にするという。しかし世界を見渡すと、打ち勝つという言葉がむなしく思えてくる▼面对访问日本的国际奥林匹克委员会主席巴赫时,菅首相称“一定要召开奥运会”,并将其作为“人类战胜病毒的证明”。但是,放眼世界,我认为“战胜”一词实在是空洞。米国では感染者数が1日10万人を超え、欧州も再度のロックダウンである。それでも開発中のワクチンを頼りに五輪を開き、海外からの観客も招く(まねく)つもりだという。しかし忘れてはいけない。欧州では夏季休暇(かききゅうか)で多くの人が国境(こっきょう)を越えた後で、感染が拡大した▼美国感染人数一天就超过10万人,欧洲也再度实施封锁。即便如此,日本政府还是想借助于尚处于开发阶段的疫苗来召开奥运会,并吸引海外游客参加。但是,有一点不可忘记:在欧洲,许多人在暑假期间选择出国游玩,疫情正是在此后开始扩散。「パンとサ一カス」のパンは日々の暮らしを支える。無理なサ一カスで医療崩壊を招くようなことがあれば、暮らしそのものが危うく(あやうく)なる。“面包与竞技场”中的面包支撑着人们的日常生活。如果强行举行竞技而导致医疗系统崩溃,那么人们的日常生活也会受到威胁。
天声人語 11/17 下駄を預ける 比喩(ひゆ)表現を使いつつ、さていつまで通用するだろうと思うことがある。例えば「下駄(げた)を預ける」。相手に物事の処置を任せる意味だが、下駄も見なくなったし、お店などで履物(はきもの)を預ける習慣(しゅうかん)も減った気がする▼当我使用一些比喻时,有时会想,这些词到底能用到什么时候呢?比如“寄存木屐”一词,它的意思是将一切事务委托他人处理。然而如今木屐逐渐淡出人们的视野,寄存鞋子的店铺也有所减少。「すきま風が吹く」はどうだろう。恋人や夫婦の間でよく吹くものだが、現実のすきま風は家屋(かおく)の密閉性が高まるにつれて減っている。〈♪傷ついてすきま風知るだろう〉という杉良太郎(すぎりょうたろう)さんの名曲も今なら生まれていたかどうか▼再比如“缝隙来风”一词,它的延伸义为“恋人或夫妻之间的隔阂”。而现实生活中,随着房屋的密闭性加强,这些从门缝等缝隙中乘虚而入的风也有所减少。若是放到今日,杉良太郎的名曲(“缝隙风吹,知我伤悲”)恐怕便不会诞生吧。すきま風のない暮らしは快適だが、あえて換気しなければ空気がそこにとどまるということでもある。寒い季節が訪れ、窓を閉め切るようになったのも理由の一つだろう。各地で新型コロナの感染者数が増えている▼虽然在不漏风的房屋里生活十分惬意,然而如果不给室内进行通风换气,会造成空气无法流通。眼下,各地****患者数量不断增加,其原因之一,大概是因为寒冷的冬季到来,人们纷纷紧闭窗户吧。目立つのが北海道で、札幌市では不要不急の外出自粛を求める方向になったというから、第1波を思い起こさせる事態である。違うのは、「Go To」事業があるために「出ないで」「動かないで」と政治家たちが強く言いにくくなっていることか▼在北海道札幌市,政府或要求市民减少不必要、非紧急的外出。这一举动格外引人注目,不禁让人回想起第一波疫情来临时的情形。而与此前不同的是,如今碍于“GO TO”政策,或许政治家们很难再强烈地要求人们“不要外出”,“不要走动”吧。寒い場合は窓を小さく開ける、せめて隣の部屋の窓を開けるなどの対策を専門家はすすめている。自宅や職場はともかくとして問題は公共(こうきょう)の場である。お店でも電車やバスでも「窓を開けていいですか」ともっと気軽に言えるようになればと思うのだが▼对此,专家提出了一些建议,其中包括在天气寒冷时,稍稍打开窗户,或是至少打开隔壁房间的窗户等。且不论在家中或在公司里,公共场合尤为棘手。希望人们在商店,电车,公交等公共场所,也能够更加轻松随意地询问“可以打开窗户吗?”ウイルスの特性もだんだんと分かってきた。どこにどんなリスクがあるのか、生活を点検したい。自分の立ち居振る舞いについて、政府や自治体に「下駄を預ける」のではなく。如今,病毒的特性也渐渐为人知晓,希望大家能够全面排查生活中存在的风险及风险的寓居之处。在自我防护上,我们不应全权委托给国家或地方政府。
天声人语 11/16 坂田藤十郎さんを悼む(いたむ)日本文学者のドナルド・キーンがその舞台を京都で目にしたのは、1953年だった。「私が歌舞伎に開眼(かいがん)したのはこの時だった。そして、最初に魅了されたのは女形(おやま)であった」。著書『能・文楽・歌舞伎』にそう記している▼1953年,日本文学研究者唐纳德·基恩在京都第一次欣赏了坂田藤十郎的表演。后来,基恩在其著作《能剧、文乐、歌舞伎》中写到:“那天,我明白了何为歌舞伎之美。而且,最先令我着迷的是其中的‘女形’。”演目(えんもく)は、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)作の「曽根崎(そねざき)心中」。主人公のお初(おはつ)を演じた女形は二代目中村扇雀(せんじゃく)、後の四代目坂田藤十郎(とうじゅうろう)さんである。目を奪われたのはキーンだけではなかったようで、世に扇雀ブームが起きた。お初が男の手を取って死に場所へと向かう姿は、当時としては斬新(ざんしん)だったという▼基恩观看的演出是近松门左卫门的作品《曾根崎殉情》。扮演剧中主人公阿初的“女形”是第二代中村扇雀,即后来的第四代坂田藤十郎。沉醉于表演中的不只是基恩一人,当时社会上也出现了一股“扇雀热潮”。阿初牵着男人的手迈向死亡之地,在那个年代,这样的情节是十分新颖的。「新しい女形の誕生」ともたたえられた上方(かみがた)歌舞伎の若き(わかき)役者は以来、近松作品に光をあて続ける。「近松座」も結成(けっせい)し、お初を演じたのは実に1400回にのぼる。人間国宝(こくほう)にもなった藤十郎さんが88歳の生涯を閉じた▼此作品后,世人称赞这位年轻的上方歌舞伎演员代表了“新‘女形’的诞生”,之后他出演的近松作品也都备受瞩目。后来,他创立了“近松剧院”,光是“阿初”这一角色就足足演了1400多次。11月12日,被誉为“人类国宝”(重要无形文化财产保持者)的藤十郎与世长辞,享年88岁。少年のころは歌舞伎がそれほど好きではなかったというが、指導者に恵まれ開眼した。能や京舞(きょうまい)などの第一人者たちを師匠に、芸を磨いた▼据说,少年时代的坂田并没有多喜爱歌舞伎,在有幸遇到良师后,才领悟到歌舞伎的精髓。后来,他还拜“能剧”、“京舞”首屈一指的大家为师,继续磨炼演技。元禄(げんろく)時代の上方の名優、初代坂田藤十郎にあこがれ、その名を継ぐのが長年の願いだった。江戸を代表する市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)の名は受け継がれているのに、藤十郎は絶えて久しかったからだ。政治や経済、そして文化の東京一極集中(いっきょくしゅうちゅう)が進むこの国にも思うところがあったに違いない▼藤十郎非常敬仰元禄时代的上方名演员——初代坂田藤十郎,他多年的夙愿便是能继承他的名字。因为代表江户歌舞伎的“市川团十郎”的家名一直得以沿袭,而代表京阪地区歌舞伎的藤十郎之名却迟迟无人继承。一定是因为他对日本政治、经济及文化中心一齐向东京首都圈靠拢这一现状有着自己的想法,才会做出这一选择吧。役作りは原作を読み直すところから始めた。千回以上演じた役でも「今度はこうしよう、明日はこう演じてみよう」と臨むのだと自著(じちょ)にある。体の動く限り、つやのある役を演じ続けた。藤十郎对角色的塑造是从重读原作开始的。他在自己的著作中提到,即便是面对演了一千次以上的角色,仍会抱着“今天这样演,明天换一种方式演”的态度。对他来说,只要身体还能动,就会继续扮演娇艳动人的“女形”。
天声人语 11/15 セイタカアワダチソウは……セイタカアワダチソウは律義者(りちぎもの)である。身近(みぢか)な自然についての著作(ちょさく)が多い菅野徹(すがのてる)さんがそんなふうに書いていた。24年にわたり横浜の自宅近辺(きんぺん)で開花時期を記録したところ、うち21年間は9月末日(まつじつ)からの4日間に収まったという▼菅野彻曾写过诸多关于身边的大自然的著作,他曾写道“一枝黄花是非常遵守花期的花中君子”。他在横滨的老家附近历时24年观察一枝黄花的开花期,结果发现21年间此花就只在9月30号到10月3号的这四天开花。だからカレンダーがなくても「9月は終わり、10月が来た」とわかるのだと(『町なかの花ごよみ鳥ごよみ』)。強い繁殖力(はんしょくりょく)ゆえに疎んじられることもある野草(やそう)だが、見る人が見れば立派な「秋告げ花」である▼菅野彻在《城市里的花季与鸟季》中写道,就算没有日历,一看到一枝黄花盛开,就知道“9月结束了,10月来到了”。一枝黄花因其强大的繁殖能力,常被人当成野草一样厌恶,但真正懂花草的人,则会称赞其为美丽的“报秋花”。草花や鳥や虫たちが季節を告げる。風物詩であり、大切な気候の指標(しひょう)でもある。そんな考え方から各地の気象台は開花や初鳴きなど57種の「生物季節観測」を続けてきた。しかし来年からは桜や梅などの目立つところを残し、対象を大きく削減することになった▼花草、鸟类甚至昆虫都可以预告某个季节的来临。它们不仅是像风物诗般的存在,更是重要的天气指标。借此想法,各地的气象台便一直对57种左右的植物开花和鸟虫初鸣之类生物现象进行观测,探究其与季节更替的关系。但据说,明年除了保留明显可以预告季节变化的樱花和梅花之外,将会大大减少观测的对象。都市化や温暖化により、気象台付近の観測が難しくなっているためという。確かにトノサマガエルやアキアカネは地域によっては見つけにくくなっているに違いない。ただヒグラシやシロツメクサなどはまだ身近に思えるのだが▼由于城市化和温室效应的影响,在气象台附近进行观测变得愈发艰难。一部分地区很难再见到黑斑蛙和秋蜻蜓的影子,不过螗蝉和浆花还是很容易在身边看到的。物事を把握するには地をはう虫の目と、上から眺める鳥の目がある。気象観測は今や鳥の目どころか宇宙の目である。もはや虫の目、いや人の目は不要という流れとなった。しかし、環境破壊や温暖化の大きな変化をつかむのに、それだけで十分だろうか▼要想把握好情况,既要以陆地上昆虫的眼睛“见微”,也要以空中鸟类的眼睛“见著”。气象观测如今已经不仅仅是在用鸟类的眼睛看世界,而是宇宙之眼(指卫星观测)。而现在,别说昆虫的眼睛,连人类的眼睛好像都不再需要了。可是,人类要想把握住环境破坏以及全球变暖的巨大变化,恐怕只“见著”还是远远不够的。カエルが身近にいて、毎年律義(りちぎ)に生を繰り返していた頃のことを思う。私たちの暮らし方が生き物を消していく。速度はどこまで増しているのだろう。我们还能在身边看到青蛙,可我总会想到每年都遵循着开花期生长的一枝黄花。我们的生活方式正导致生物物种一个接一个地消失,那这消失的速度又会增长到什么程度呢。
天声人语 11/14 卵を胸に優優良良良良良良良良良良可可可可。これは1951年春の小柴昌俊(こしばまさとし)さんの全成績である。「東大の物理学科をビリで卒業したと言っても信じてもらえない」。母校(ぼこう)で講演した際、自分の成績表をスクリーンに映し出した▼回母校演讲时,小柴昌俊将自己的大学成绩单投映在屏幕上,展示给众人。优秀、优秀、良好、良好、良好、良好、良好、良好、良好、良好、良好、良好、及格、及格、及格、及格。这便是他1951年春季学期的所有成绩。他告诉大家,就算说自己是以东大物理学专业最后一名的成绩毕业的,也没人会相信。訃報(ふほう)に接して自伝を読み直すと、若いころは幾度(いくど)も逆風を浴びている。父のような軍人か、チャイコフスキーのような音楽家にあこがれたが、小児まひ(しょうにまひ)に夢を絶たれた。受験は失敗続き。大学時代は家庭教師や米軍の仕事で家計を支えた▼接到讣告后,我重读了一遍他的自传。年轻时,他曾几度遭遇逆境。小时候,他的梦想是成为和父亲一样的军人,或是像柴可夫斯基一样的音乐家,却不幸患上了小儿麻痹症,导致梦想破灭。随后在考试上也屡屡受挫。大学时,为补贴家用,他做过家教,还协助过美军工作。「この世に摩擦というものがなくなったらどうなるか。記せ」。一時期教えた中学ではそんな試験問題を出している。用意した正解は「白紙答案」。摩擦がなければ鉛筆の先が滑って紙に字は書けないからと説明し、生徒を驚かせた▼在曾任职的中学里,他出过这么一道试题。“请回答:如果这个世界没有了摩擦会怎么样?”而他事先想好的正确答案是:空白的回答栏。之后他向学生解释道:如果没有摩擦,铅笔的笔尖便会打滑,写不了字。意外的答案令学生瞠目结舌。2002年のノーベル賞受賞後は、子ども向けの講演を数多くこなす。「教科書を疑い、究明の卵をいつも心に持って」「達成したいと思う卵をどう孵化(ふか)させるか考えて」と訴えかけた▼获得2002年的诺贝尔物理学奖后,他开展了多场面向儿童的演讲。演讲中,他呼吁孩子们要“质疑课本,永葆最初的探究之心”,“认真思考如何孕育自己这颗想成功的种子”最大の功績は素粒子(そりゅうし)ニュートリノの観測。物理に疎い(うとい)当方など、16万光年のかなたから何がどう岐阜県の地底(ちてい)に届いたのか、いまだに理解できない。それでもノーベル賞と聞くと、真っ先に小柴さんの福々しい笑顔が浮かぶ。「失われた20年」のさなか、当時の日本がどれほど励まされたことか▼小柴昌俊在物理学领域做出的最大贡献莫过于探测到基本粒子——中微子。对于不了解物理的我们来说,至今可能仍无法理解这些中微子到底是怎样从距地球16万光年的遥远宇宙到达岐阜县地下的。尽管如此,一听到诺贝尔物理学奖,脑海里还是会马上浮现出小柴那幸福的笑脸。当时日本正处在经济停滞期——“失去的二十年”中,他的成功大大鼓舞了日本。小柴さんの愛した東京・杉並(すぎなみ)の散策路をきのう歩いた。「宇宙 人間 素粒子」「夢を大切に」。自筆(じひつ)の言葉を刻んだ記念碑(きねんひ)のてっぺんで特大の卵が輝いていた。昨天,我在小柴喜爱的东京杉并区的散步路径上漫步。走到他的纪念碑前,看到顶端刻着亲笔题字的“宇宙 人类 基本粒子”,“珍惜梦想”,这些话语就像他那颗热爱探索的赤子之心一样,熠熠生辉。
天声人语 11/13 早すぎた疫学者(えきがくしゃ)感染拡大のさなかは外食や芝居、習いごとを控えるべし。物品(ぶっぴん)の贈答(ぞうとう)は断り、古着(ふるぎ)は一夜水に浸して洗うこと……。江戸後期の甲州に「3密回避」や「外出自粛」「隔離」を説く医者がいた▼传染高峰期应暂停外出就餐、看戏和学艺。不要互相赠送物品,穿过的衣服用水浸泡一夜再清洗……。早在江户后期,甲州的一位医者便已经提出了类似“远离三密(密闭空间、密集人群、近距离对话)”、“自觉在家禁足”以及“隔离”的主张。漢方医の橋本伯寿(はくじゅ)。長崎で蘭学者に師事(しじ)し、中国や日本で病疫がどう広まったか内外の医書や史書を読みあさる。天然痘、麻疹(はしか)の本質は人から人への「伝染」だと見抜き、体内の「生気」がそれら体外の「毒気」(どくけ)と闘うと指摘した。再びの感染はなく、すでにかかった人を看護要員にせよとも訴えた▼这位具有先见之明的医者名为桥本伯寿,是一名中医。他曾在长崎师从一位兰学家,为研究传染病在中国和日本的传播途径而饱览了海内外的医书、史籍。他发现天花和麻疹实际上是由人“传染”给人的,人体内的“生气”和体外的“毒气”作斗争,“生气”胜则不会再感染。由此他提出,病人的看护需由已经免疫的人来担任。甲府市(こうふし)の医師、吉岡正和さん(71)は、埋もれていた伯寿の主著『断毒論』を掘り起こし、昨春その評伝(ひょうでん)を出版した。「ウイルスもワクチンも知らない時代に、抵抗力や免疫に通じる理論を独力で深めたのは驚きがです」▼甲府市的吉冈正和医生今年已经71岁高龄。去年春天,他就伯寿的主要著作《断毒论》出版了一本评传,这部作品此前一直被埋没。“在人们对病毒和疫苗都还一无所知的时代,他竟凭借一己之力钻研出抵抗力和免疫的相关理论,让我感到十分惊讶。”卓見(たっけん)ではあったが、生存中に偉人扱いされた節はない。天然痘の猛威(もういい)を免れた(まぬがれた)離島や秘境(ひきょう)の名を挙げ、代官所(だいかんしょ)に「隔離避難所」を設けるよう請願(せいがん)したものの、日の目を見ずに終わる。伯寿は1822年に没した(ぼつした)▼即使有如此卓识,但伯寿在有生之年似乎并未成名。他曾向代官所请愿,列举出了一些天花未曾肆虐过的离岛和鲜为人知的土地,希望在那里建造“隔离避难所”,然而最终不了了之。伯寿于1822年与世长辞。むろん、いまの医療の常識に照らせば、伯寿の理論には誤りがいくつもある。たとえば種痘(しゅとう)では天然痘を防げないと力説(りきせつ)した。それでも、感染予防策に関しては、その知恵は現下のコロナ禍でも十分に通用する▼当然,参照现在的医疗常识,伯寿的理论中能散见一些错误。比如,他曾强烈指出接种牛痘不能预防天花。但即便如此,他在疫情防控方面所提出的理论在新冠肆虐的现下依旧十分适用。冬を前にコロナ感染者数のグラフは日ごとに上へ伸び、第3波の到来はだれの目にも明らかだろう。「避ければ免れ、避けざれば冒(おか)される」。早すぎた疫学者の渾身(こんしん)の教えをいま一度かみしめる。临近冬天,新冠感染人数与日俱增,第三波疫情的到来已成定势。“远离即无虞,靠近则侵袭”。让我们再次细细品味这位领先于时代的传染病学专家耗尽毕生所传授的教诲吧。
天声人语 11/12 ある骨の物語不思議な写真がある。角(つの)が絡み合ったまま息絶えたヘラジカ2頭の骨だ。激しく闘い、外れなくなったのだろう。撮影したのは24年前に亡くなった写真家星野道夫さん。この1枚から今秋、絵本『あるヘラジカの物語』が生まれた▼这是一张让人难以置信的照片:照片中是两头驼鹿的头骨,它们在死前可能经过了激烈的争斗,以致于它们的鹿角紧紧纠缠在一起,无法分开。这张照片是离世24年的摄影家星野道夫的作品,今年秋天,以该照片为背景的绘本《一只驼鹿的物语》正式出版。作者の鈴木まもるさん(68)を静岡・伊豆に訪ねた。「昨夏(さくか)の深夜、ずっと昔に見たあの写真を夢でみたんです」。星野さんとは家族ぐるみの付き合い。布団から飛び出すと一心に鉛筆を走らせ、徹夜で草案を仕上げた▼我曾到静冈县伊豆采访过作者铃木守(68岁),据他讲,他和星野一家的私交一直很好。他还说:“去年夏天的一个夜里,我梦到了很久之前见过的那张照片。”醒过来以后便立马掀开被子,在画纸上运笔如飞,熬夜完成了绘本的草图。2カ月後、写真の舞台アラスカへ飛ぶ。星野さんの随想(ずいそう)を頼りに大地を歩き、動物をスケッチした。肌を刺す空気、またたくまに原野(げんや)を覆う雪に驚いた▼2个月后,铃木守就飞往了阿拉斯加,也就是拍摄照片的地方。按星野随感文中提及的地方走走停停,画一些动物写生。寒冷刺骨的空气,转瞬间便覆盖整片原野的漫天大雪,一切都令他震惊不已。絵本では、疲れ果てたヘラジカ2頭をヒグマやコヨーテたちが食べていく。「小さい子が怖いと感じる絵本にはしたくない。それでも、生の体が肉になり骨になる。その現実は描きたかった」。残酷すぎるか、雪で隠しすぎたか。何度も描き直した▼在绘本中,精疲力尽的两头驼鹿最后被棕熊和草原狼分而食之。铃木说:“我虽然不想画一些小孩子看了会害怕的图,但我还是想要描画出一个事实,那就是一切生物终会化为腐肉白骨。”画的内容太过残酷血腥,或者画的雪景太多都不合适,他前前后后改了好几遍。思えば、命の循環は星野さんの生涯の主題だ。彼の残した一文にヘラジカ(ムース)を食べる場面がある。「ムースの体は、ゆっくりと僕の中にしみこんでゆく。その時、僕はムースになる。そして、ムースは人になる」。写真家は思いをはせる。「生きる者と死す(しす)者。有機物と無機物。その境(さかい)とは一体どこにあるのだろう」▼细想来,星野终其一生拍摄的主题都是“生命的循环”。在他留下的一篇文章里还写到了吃驼鹿肉(美国驼鹿)的场景,“驼鹿的身体就好像缓缓渗入我的体内,这个时候,我变成了驼鹿,而驼鹿变成人。”由此,这位摄影家又想到:“生者与死者,有机物与无机物,区别究竟在哪里呢?”絵本の終盤、ウサギがヘラジカの骨をかじる。〈マイナス50度、しずかなきびしい冬のアラスカ〉。冬が迫る現地で繰り広げられている命のリレーを想像した。在绘本的结尾《零下50度,寂静严冬里的阿拉斯加》中,作者凭想象绘出了这样一幅画——在严冬即将到来之际,一只野兔正在啃食驼鹿的骨头,宛若在进行一场生命的接力。
天声人语 11/11 平安朝の秋平安朝を生きた藤原道長(ふじわらのみちなが)は10月28日、鎌倉(かまくら)時代の藤原定家(さだいえ)は11月7日、江戸後期の頼山陽(らいさんよう)は11月11日。どれも京の都で紅葉をめでた日付を現代の暦に換算したものである。いまの紅葉シーズンに比べるとかなり早い。关于京都赏红叶的日子,平安时代的藤原道长写的是10月28日,镰仓时代的藤原定家为11月7日,而江户时代后期的赖山阳则写的是11月11日。这些都是换算成公历后的日期,相比与现在的红叶季要早得多。公家(くげ)や文人たちの日記から紅葉の時期を推定したのは、農業気象学が専門の青野靖之(あおのやすゆき)・大阪府立大准教授(58)。「古い文献(ぶんけん)が多く残る京都だからこそ調べられました」。紅葉をめぐる記述(きじゅつ)から秋の気温を推定した。集まった「見ごろ情報」は平安以降1100年に及ぶ。大阪府立大学的副教授青野靖之今年58岁,研究领域为农业气象学。他从王公大臣及文人雅士的日记中推算出过去的红叶季,并说道:“因为京都有许多古老的文献,所以才得以调查。”从红叶的描述中可以推断当时秋天的气温。他收集了平安时代之后从1100年至今的“赏叶信息”。紅葉の時期は太陽活動の強***********けて周期的に早まったり遅くなったりした。だが江戸後期から見ごろはどんどん遅くなっていく。戦後の高度成長期以降は、紅葉を報じる新聞記事が11月後半に集中する。「都市温暖化の影響でしょう。人や建物が多く、排熱や照り返しで熱がこもります」。红叶季的时间受太阳活动强弱影响产生周期性变化,有时来得早,有时却稍晚一些。但从江户后期时起,赏叶时间变得越来越晚。自二战结束,日本经济进入高速成长期以来,有关红叶的报道都集中在11月中下旬。青野副教授表示:“这是热岛效应所造成的。城市人口与建筑物较多,废热排放与光线反射造成了热堆积。”青野さん作成の紅葉年表を携え(たずさえ)、先週、京都を本社ヘリから取材した。比叡山(ひえいざん)の頂上(ちょうじゅおう)こそ赤に染まりつつあるが、道長が999年に赴いた(おもむいた)嵯峨は黄色が点在するのみ。定家が1226年に「紅葉之(の)盛」と書いた賀茂あたりは木立(こだち)の緑がなお優勢だった。上周,笔者带着青野先生制作的红叶年表,从总神社附近开始对京都的红叶情况进行调查。比叡山顶的叶子已经开始变红,而999年藤原道长于同一时段到访嵯峨地区时,却只剩下了零星的黄。1226年,藤原定家对贺茂地区冠以“红叶之盛”的美名,而现在这一地区依旧是满眼绿色,郁郁葱葱。それにしてもさすが古都である。平安や鎌倉の昔から紅葉狩りの名所として聞こえた神社仏閣(ぶっかく)がいまも立つ。時を超えて錦秋(きんしゅう)の美を守り継ぐ千年の歴史を思う。尽管如此,京都依旧不负古都之名。一些神社寺院从平安与镰仓时代起即为欣赏红叶的名胜景点,至今仍然林立。它们历时千年,守护锦秋之美。このまま温暖化が進めば、歳末にカエデやイチョウが色づき始め、年明けに山々が赤く燃える時代が来るかもしれぬ。道長や定家は困惑(こんわく)するだろうか。若气候变暖继续加剧,恐怕枫叶与银杏要到年末才会开始变色,人们要等到第二年年初才能见到火红的群山。道长与定家也一定会为此感到不解吧。
天声人语 11/10 56連敗のスピリッツ選手は本意でないだろうが、負けることで注目を集めるチームもある。おととい閉幕した野球の東京六大学リーグで東大の連敗は引き分けをはさんで56に伸びた。過去最多の94ほどではないものの、新チームは勝利を経験した選手が不在で迎えることになる。▼虽然可能并不是选手们的本意,但是有的队伍却因失败而备受关注。就在前天,东京六大学棒球联赛落下帷幕,算上平局东大已连败五十六场。虽然没有达到历史最多的九十四连败,但是随着一些有成功体验的选手的退出,新的队伍还是迎来了连败。手をこまぬいてきたわけではない。今年度は東大から初めてドラフト指名され中日で活躍した井手峻(たかし)監督(76)が指揮をとった。引き受けた当初はそのレベルに驚いたという。▼东大并没有因此作罢,今年首次任命了中日球团的井手峻教练为其选拔队员。据说在井手峻教练接受任命之初,就被选手们的水平震惊了。「私の時代と違う。選手は豊富な知識があり、科学的な練習で基礎体力も上がっている。学生コーチ主体の練習も無駄がない。でも勝てない」。他大学は2番手、3番手(1)投手でも時速150キロ近い速球を繰り出す。東大の進化以上にリーグもレベルを上げている。▼井手峻教练表示“这和我的时代完全不同,选手们都具备丰富的知识,通过科学的练习也提高了身体素质。学生训练的核心练习也并不是做做样子,但是还是赢不了。”因为,其他大学不是最厉害的投手也能数次投出时速近150km的球,不止是东大在不断进步,联盟整体的水平更是提升了不少。その背景をたどれば受験の関門(かんもん)の高さにいきつく。推薦制度を活用するところに比べ、部員約100人の6割は浪人経験者だ。しかし、敗れてもなおプライドは失わず、この「宿命」を選手が言い訳にすることはない。▼究其背景,是选拔门槛的高低不一。在灵活运用推荐制度的队伍中,大约一百人中有六成队员是有经验的“替补”(等待能够拥有出场机会的人)。败则败矣,自尊尚在,选手们从未拿宿命做借口。学生スポーツの純粋さを引き合いに出すのは気がひけるが、グッドルーザー(よき敗者)の精神を失ったかのような超大国のリーダーの振るまいをみれば潔さ(いさぎよさ)は際立つ(きわだつ)▼以学生运动的纯粹性(不计较输赢)举例虽然有些惭愧,但是反观某超级大国领导者毫无败者风度的所作所为,其高下立见。さて東大の突破口(とっぱこう)はどこにあるのか。「妙案はない。細かい努力を一つ一つ積み重ねるしかない」と井手監督。自己を冷徹(れいてつ)にみつめ、足らざるものを補い(おぎない)、あきらめることなく挑み(いどみ)続ける。そのアイデンティティーはリーグに一つの明確な魅力を加えている。那么,东大的出路到底在何方?井手教练回答道:没有捷径可走,只能一点一点积累。冷静透彻地分析自我,弥补不足,永不放弃继续挑战,这一同一性为联盟增添的魅力显而易见。
天声人语 11/8 最古の民主主義アメリカという国は変わった政治をしているらしい。そんな情報は江戸期の日本にも徐々に入っていた。漂流(ひょうりゅう)して米本土で一時暮らしたジョン万次郎から聞き取った書物(しょもつ)がある。「才能や学識(がくしき)を持った多くの人のなかから、これぞと思える人物を選んで大統領とする……」▼美国政治模式与日本的有所不同。这一点在江户时期就已经慢慢传到了日本。约翰万次郎曾漂流到美国,在那里生活了一段时间。根据万次郎的口述整理而成的书中写道:“(在美国)人们会从一众才华横溢、学识渊博的人中选拔一个最合适的人来担任大总统……”任期は4年だが「その人の徳が高く、政治力も抜群(ばつぐん)であるならば、任期を重ねてその職を続けることができる」(『漂巽紀略〈ひょうそんきりゃく〉』、谷村鯛夢〈たいむ〉現代語訳)。だから才能ある者が、「我こそは」と集まってくるという。身分(みぶん)社会に生きる日本人には驚きだったに違いない▼总统任期虽然只有四年,但“若此人品德高尚、执政能力强,便可以继续连任。”(《漂巽纪略》,谷村鲷梦现代语译本)因此,(在竞选总统时)才华出众的人会纷纷涌现积极宣传自己。当时生活在阶级社会的日本人对此一定会感到十分惊讶。世界で最も古い民主主義。周りから敬意を持たれ、自分たちも誇りにしてきた米国で大統領選挙がもみくちゃになっている▼美国拥有世界上历史最为悠久的民主主义,受到周围国家的尊敬,国民也引以为豪。但是如今的总统选举却混乱不堪。開票所の近くでトランプ支持者が集計(しゅうけい)の中止を求めて抗議し、バイデン支持者と罵(ののし)り合う。ペンシルベニア州フィラデルフィアでは銃で武装した男2人が逮捕された。開票所襲撃しょうげき)を計画した疑いというから穏やかではない▼在开票所附近,特朗普支持者不断抗议要求停止计算票数,并和拜登支持者相互对骂。在宾夕法尼亚州的费城,警方逮捕了两名持枪武装人士。这两个男子有欲袭击开票所的嫌疑,整个事态并不安稳。あおっているのはトランプ大統領その人だ。根拠を示すことなく「集計で多くの不正行為が行われている」と主張する。相手の党は競い合う(きそいあう)ライバルではなく倒すべき敵。そんな意識がトランプ政権の4年間でこの国に根付いてしまったか▼而煽动支持者情绪的正是特朗普本人。他没有证据,却声称计票过程中存在作弊现象。对立政党不是竞争对手而是应该打败的敌人——这种意识是在特朗普执政的四年间根植于这个国家的吗?大統領と同じ共和党の上院議員が「全ての票を集計するのは民主主義の核心だ」とツイートしたという。そんな当たり前の発言が注目されるのが今の米国政治である。選挙後にどう立て直せるか。道は険し(けわし)そうだ。和总统同为共和党的参议院议员在推特上写道:“计算全部的票才是民主主义的核心”。而这种理所应当的发言都能引发关注,这就是如今的美国政治。选举之后美国政治要如何回归正途呢?这条路恐怕是荆棘遍布。
天声人语 2020/11/7 田沢ルールと脱藩江戸時代、自分の藩を勝手に抜け出す「脱藩」(だっぱん)は犯罪行為だった。司馬遼太郎は『竜馬がゆく』の中で、坂本竜馬脱藩直前の場面に姉を登場させ、こう語らせた。「脱藩すればもう二度とお国に戻って来れませんよ」▼在江户时代,擅自脱离所属藩国——即“脱藩”,属于一种犯罪行为。在司马辽太郎所著的《龙马风云录》中,主人公坂本龙马准备脱藩前,他的姐姐对他说:“一旦脱藩,就再也无法踏入藩国了。”きょうだいや親類と生涯会えなくなり、藩に残る一族にも大変な迷惑をかけるのだと。さてこちらも、まるで幕藩体制(ばくはんたいせい)のようなと言いたくなる。プロ野球についこの間まで存在したルールのことだ▼据说脱藩者在脱藩后,一生都无法与兄弟及亲人相见,其留在藩国的家族也会因此受到巨大牵连。最近刚废止的职业棒球相关条款——“田泽条款”与这一幕藩体制可谓如出一辙。有望なアマチュア選手が日本球界を経ず海外の球団に入ったとする。後で日本でプレーしたいと言っても、2~3年はドラフトの指名を受けられない。選手には痛い空白だ。すぐにでも大リーグに挑戦したい若者への脅し(おどし)であろう▼条款规定,如果业余种子选手不进入日本球界而直接与海外球队签约,即便之后想回到日本比赛,也必须要等两三年才能参加选拔。这段痛苦的空白期对于想早日挑战日本大联盟的年轻选手来说是一大威胁。12年前に米球界に飛び込んだ投手の名を取ったこの「田沢ルール」は9月にようやく廃止された。問題を調査していた公正取引委員会はそれでもひとこと言いたかったのだろう。独占禁止法違反の恐れがあったとの見解(けんかい)を公表した▼“田泽条款”以12年前直接签约美国棒球队的投手田泽纯一命名。日本棒球机构于9月自行废止了这一条款,(调查被迫中止)。即便如此,但此前一直负责调查该问题的日本公正交易委员会似乎仍想作出一些声明,公开发表见解称:“田泽条款有违反《禁止垄断法》的嫌疑。”日本で就職活動をせず、新卒で海外に出た人には罰を科す。もし経団連がそう言いだしたら大変なことだ。スポーツだから、特別な世界だからと許される時代ではない。球界は自覚したのか、それとも公取委(こうとりい)に叱られそうだからやめただけか▼若日本经济团体联合会提出处罚那些不在日本工作而直接前往海外的应届毕业生的话,可就乱套了。这个时代不会因为体育世界与其他领域不同就网开一面。不知这次是棒球界自己意识到了问题,还是说仅仅是因为担心被公正交易委员会斥责才废止了条款?脱藩者の処遇(しょぐう)は藩により差があったようだ。土佐藩のように重罪に問う藩がある一方、事実上黙認する藩もあった(磯田道史〈みちふみ〉著『龍馬史』)。外の空気を吸わせるのも悪くない。そう考えた藩主がいたのかもしれない。矶田道史所著的《龙马传》中提道:“各个藩国对脱藩者的处置似乎有所不同。除了像土佐藩一样从严处置的以外,也有一些藩国实际上对脱藩行为予以默认。”或许有一些藩主认为,让脱藩者感受一下藩国之外的世界也未必是一件坏事吧。
天声人语 11/6 木枯らし1号木の葉の色づきにも順番があって、毎日街路樹(がいろじゅ)を眺めていると、紅葉のリレーのようだ。サクラの葉が散ったと思うと、ハナミズキの葉がワインレッドに染まっている。その木も寂しくなった今はイチョウの黄色に目を奪われる▼树叶染色也有其自身的顺序。每天眺望街道两旁的树木,宛如红叶的接力。樱花树叶一散,四照花的叶子便染上了酒红。如今,银杏的金黄夺人瞩目,衬得萧疏的四照花都失了颜色。絵のように美しい。口をついて出てくる紋切り型(もんきりがた)の表現に真理がある。画家たちが切り取りそうな、そんな一瞬を目にした幸福である。東山魁夷(ひがしやまかいい)が画集に添えた文で、晴れた日の紅葉の鮮やかさを述べたあとに、こう続けていた▼“美如画卷”这种千篇一律的赞美的确有它的道理。能亲眼看见连画家都想勾勒的画面,也是一种幸福。东山魁夷在画集里用文字描绘了晴天映衬下的艳艳红叶,并写道:「しかし、ある時の旅で私は少し薄曇りの空の下に、紅葉の山の一つ一つの樹相(じゅそう)が、落着(おちつ)いた赤さで、静かに息づいている情景に心を打たれた」。そうして描いた「秋翳(しゅうえい)」はほの暗さのなかに輝きがある。こんな風景にいつか出会うことができれば▼“但是,我在一次旅行中看到:薄薄阴云下,红叶山上一棵棵树木,寂寂的似火燃烧,静静的吐纳呼吸。那一刻,我被这一幕打动了”。从他由此创作的画作《秋翳》中,可以在昏暗的一片里见得点点光辉。如果我也能有机会遇见这样的美景就好了。気がつくともう晩秋で、おとといは東京でも木枯らし1号が吹いた。舞い落ちていく葉を見ていると、寂しげなのに、どこか楽しげでもある。その上を歩くとサクサクという秋の音がする▼注意到时,已然晚秋。即使在东京,秋风也于前天初来。看见飞落的树叶,有缕缕寂寞,却也有丝丝愉悦。踏上落叶,能听到沙沙作响的秋声。フランスの詩人ルミ・ド・グールモンに、恋人に呼びかける連作がある。「落葉」と題した一編は、〈シモオン、木の葉の散つた森へ行かう〉と始まる。そして〈シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?〉の言葉を何度も繰り返す▼法国诗人雷·德·古尔蒙创作了一部呼唤爱人的诗集。在一篇题为《死叶》的作品中,他以“西茉纳,到林中去吧,树叶已飘落了”开篇,不断重复:“西茉纳,你爱死叶上的步履声吗?”。(戴望舒译)〈夕べ、落葉のすがたはさびしい/風に吹き散らされる時落葉はやさしく叫ぶ!〉(堀口大学訳)。ひとりで歩くのも、誰かと歩くのもいい。朝に冬を感じ、昼に暖かさを楽しむ。そんな贅沢(ぜいたく)な季節である。“傍晚,落叶影寂寂;随风飞舞,落叶轻声低语”(堀口大学译)。独行或同行皆是趣味。早晨感受冬天,中午享受温暖,这就是如此一个奢侈的季节啊。
むかしむかし、京の都に、源博雅(みなもとのひろまさ)という、とても笛の上手な人がいました。 その頃、都では集団の泥棒がいて、人々は大変困っていました。 ある晩の事、博雅(ひろまさ)の屋敷にも集団の泥棒が押し入りました。 泥棒たちは手に手に、弓や、なぎなたを持っています。「みんな、すぐに隠れるんだ! 見つかっても決して抵抗はするな!」 博雅の言葉に、召し使いたちはみんな思い思いのところへ逃げたり隠れたりしました。 博雅も縁の下に隠れて、ジッと息を潜めました。 やがて泥棒たちは、品物やお金を取って出て行きました。 博雅は縁の下からはい出すと、「行ってしまったらしい。みんな、出てきても大丈夫だ」と、召し使いたちに声をかけました。 さいわいみんなは無事で、怪我人もいません。「なにより無事で良かった。・・・しかし、よく取って行ったものだ。壊れたなべのふたまでないではないか」 博雅があきれながら座敷の中を調べてみると、さいわい置き戸棚が一つ残されていました。「どうせ、中の物は持って行ってしまったのだろう」 それでも開けてみると、中には博雅が愛用している笛が一本入っていました。「これはありがたい。良い物を残してくれた」 博雅は笛を取ってそこに座ると、静かに笛を吹き始めました。♪ひゅー、ひゅるるりりるー 美しい笛の音色は、高く、低く、暗い外へ流れていきました。 博雅の家から引き上げた泥棒たちは、夜ふけの都を歩いていましたが、「いい笛の音だなあ」と、先頭にいた泥棒の親分が、ふと足を止めました。「本当に、いい音色だ」「うん、いい音色だ」 みんな耳をすませて、ウットリとして聞き入りました。 そして聞いているうちに、泥棒たちは自分たちのしたことが恥ずかしくなってきたのです。 みんな博雅の素晴らしい笛の音色を聞いて、心が清らかになったのです。「おい、みんな引きかえそう。取って来た物を返そうではないか」 親分の言葉に、子分たちも頷きました。 さて、それからしばらくすると、あの泥棒たちが引き返してきたので、博雅は驚いて笛を吹くのを止めました。 そして泥棒の親分は、驚く博雅の前に両手をついて言いました。「あなたの笛の音を聞いているうちに、泥棒が恥ずかしくなりました。取った物はお返しします。これからは心を入れ替えて、真面目に働きます。ですからどうか、お許し下さい」 手下たちも、そろって頭を下げました。 そして盗んだ荷物を元の場所に置くと、泥棒たちはどこかへ行ってしまいました。おしまい
坂本真绫欧洲游记—From Every Where 9-320歳で初めて海外に行ったときは電子辞書が手放せなかった。ロンドンでレコーディング。現地のスタッフやミュージシャンに直接気持ちを伝えたいと思っても、文法が間違ってないか、発音がおかしくないか、こんなこと言って笑われないかって、そればかり考えて。自分から話しかける勇気もなかなか持てなかった。だけど彼らは私の英語力にお構いなく「どうしたい?」「どう思う?」「この曲はどんな歌詞?」とまっすぐ目を見て聞いてくる。そして良いと思ったときには、ワンダフル、ファンタスティック、ジーニアス、ストロング、フレッシュ、ビューティフル、ラブリー、そんなキラキラした単語をたくさん使って伝えてくれる。人を褒めると言うことに照れがない、それはお国柄の違いって部分もあるのかもしれない。でも私だって本当に「嬉しい!」「ありがとう!」「かっこいい!」って気持ちが先行しているのなら間違った英語だって日本語でだって構わないから、笑顔いっぱいで表現すればよかったんだ。それができなかったのは、ことばのせいだけじゃない。自分がどうしたいかじゃなく、私がいつも相手にどう見られるかを優先して考えてるからなんだと気づいてしまった。 初めての外国で緊張もしたし、英語ができなければ何も通じ合えないと思い込んでた。でもその旅で結局思い知ったのはことばの壁よりも、素直に人と接するのが下手な私のコミュニケーションの壁のほう。それは日本で暮らしている日常でも同じことなんだ。私は、他人がどう思うかをいつも気にしている。誰かのためにことばを選んで、誰かの望む答えをしていくことが、「自分のしたいこと」だとずっと思い込んできたところがある。結局私すごいかっこつけたがりなんだと思う。いつも誰かに認めてほしい、褒めてもらいたいって願望が、人よりも強いんじゃないかって気がする。かっこいいと思われたい、少しでも尊敬されるような人間になりたいっていう気持ち、ほかの人にもあるのかなあ。しかもたちが悪いことに、私はそういうところを隠そうとしてるし、自分でも見ないふりをしている。さも「全然他人のこととか気にしないんで」みたいな余裕な態度を取りながら、内心びくびくしている。こんな思いにとらわれてしまうのは、たぶん、とことん自信がないからなんだってこともわかってるんだ。自分に自信がある人はきっと人からどう思われようと気にならないはずだもの。かっこわるい。悔しい。わかっちゃいるんだけど。あれから、たくさんの国に行った。ひとりでも行った。ホームステイもした。その度に思う。外国でことばが通じないときに感じる疎外感は、同じ日本語で話しているのに自分の気持ちがうまく伝えられない、人と腹を割ってわかり合えないと思う時のそれに比べたら、どうってことない。私は英語が喋れないことよりも、自信のなさを取り繕ってかっこつけていることのほうがよっぽど恥ずかしい。こうやってひとりになりたい願望が強いのは、正論ぶったことばかり言ってる学級委員みたいな自分から少し解放されて楽になりたいからなのかも。いや、もしかしたらその逆で、徹底的にことばというツールを自分から取り上げた環境でどれだけ気持ちを外にぶつけられるか、試して、いじめて、鍛えたいのかも。でも、作詞をしている時や文章を書くときだけは、真実の自由になれるのに。誰のためでもなく自分のために、正直に想いをことばにできるのに。自分の中から生まれることばに堂々と責任を持っていられる。だから本当はできるはずなんだ。ひとりで内側に籠って書くときだけじゃなくて、声や態度でも、外に向かってちゃんと想いを伝える術が私にもあるはずなんだ。私なりに思う「世界共通三大良いことば」。こんにちは、ありがとう、おいしい。入り口はいつもそこ。世界中どこだって、挨拶することと、お礼を言われることと、おいしいものを食べることが嫌いな人はいないもの。20岁的时候第一次出国,电子词典根本不离手。在伦敦录音的时候,虽然想跟当地的工作人员和音乐人直接表达自己的想法,但总是顾忌语法是不是错了,发音是不是奇怪,这么说会不会被笑什么的。几乎丧失了想自己表达的勇气。但是他们却根本不介意我的英语能力,直接当面问我“怎么了?”“你怎么看?”“这曲子配什么歌词?” 觉得对的时候,他们会跟我说wonderful、fantastic、genius、strong、fresh、beautiful、lovely这些闪亮亮的褒义词。不吝啬对别人的赞美,这也许是因为国情不同的缘故。但其实我想回复“开心”、“谢谢”、“好棒”诸如此类的心情的时候,用错误的英语,或者直接用日语回答都没关系,带着满满的笑容去表达就好了。而做不到这点,并不只是语言能力的问题。我发现我考虑的不是自己想要如何做,而是先想对方会怎么看我。因为第一次出国很紧张,坚信自己不会英语的话什么都无法沟通。但是那次旅行结束后我发现比起语言壁垒,不擅长直率地与他人接触,挠头的人际关系才是我真正的壁垒。这跟我在日本日常生活中经历的一样。我总是在意别人怎么想。我一直认为为对方而选择恰当的语言,给予别人期待的回答就是我想要做的事情。 结果我发现是自己一直在逞强。我总是觉得自己想得到认可和赞美的欲望比其他人要更强烈。希望别人觉得我很厉害,希望自己多少能成为受人尊敬的人,这种心情别人是否也会有呢。而且糟糕的是,我把这种心情隐藏起来,装作自己也看不到。表面上表现得从容不迫,仿佛“完全不在意他人的想法”似的,但其实内心却战战兢兢。 被这种想法所束缚住的,说到底大概就是缺少自信吧。对自己有信心的人肯定不会去在意别人的想法。真是惭愧啊。好不甘心啊,明明这些自己都心知肚明。 从那以后,我去过很多国家。也有一个人去的。也有过寄宿于当地人家庭的经验。那时候我在想。在国外语言不通的时候所感受到的疏离感,和即使同样用日语交流也无法顺畅地传达自己的心情,跟别人不能推心置腹地坦诚相待的时候相比,都算不得什么了。比起我不会讲英语,明明没有自信却仍在逞能更加让自己觉得羞愧。渴望独处的意愿强烈的原因大概就是想让自己从仿佛义正言辞的班干部的状态中稍稍解放开来,变得轻松一些。不,也许正好相反,也许我想知道在彻底抛弃语言这种工具的环境中,自己是否会被击垮?我想去尝试,去刁难和锻炼自己。 但是,只有在作词或写文章时得到了真正的自由。不为任何人仅为自己诚实的写出自己的想法。为发自内心的语言堂堂正正地负责。所以,其实我可以做到。我一定有能力,不只是一个人关起门来写东西的时候,在面对向他人时,通过声音和态度也可以好好地传达出自己的想法。 我所认为的“世界通用三大良言”。你好,谢谢,好吃。大千世界无论何处,他们是永远的入口。没有人会讨厌礼貌的寒暄、真诚的道谢和品尝美食。
盗っ人小僧むかしむかし、彦一(ひこいち)と言う、とてもかしこい子どもがいました。 ある日の事、彦一は殿さまのお使いで、船に乗って遠くの島に行く事になりました。 そしてその夜は、船で寝る事になりました。(さて、そろそろ寝るとするか)と、思ったその時、「海賊だー!」と、言う叫び声がしました。 海を見てみると、手に手に武器を持った海賊が乗る海賊船が、もう間近まで迫っています。「大変だー! 奴らに身ぐるみはがされるぞ!」「大切な物を早く隠すんだ!」 お客たちは持っている金や大切な物を、どこに隠そうかと大騒ぎです。 でもどこに隠そうと、海賊は隠した物を見つけてしまうでしょう。 そこで彦一は台の上に乗って、大きな声で言いました。「みんな、落ちついて! 海賊はどこに隠しても見つけてしまいます。ですから、お金は少しだけ自分のふところに入れて、あとは全部わたしに預けて下さい。わたしが必ず、海賊からお金を守りますから」 彦一が自信たっぷりに言うので、お客たちはワラにもすがる思いで彦一にお金を預けました。「わかった。お前に任そう」 すると彦一はお金を少しずつ袋(ふくろ)に分け、見ただけでは分からない様に着物のあちこちに隠しました。 そしてお客に頼んで、柱に体をグルグル巻きにしばりつけてもらいます。 それからしばらくして船に乗り込んで来た海賊の親分(おやぶん)は、お客から財布(さいふ)を取り上げにかかりました。「よしよし、素直に従えば、乱暴はしないからな」 そして柱にしばられた彦一に気づいて、親分は声をかけました。「小僧! そのざまはどうした?」 すると彦一はうそ泣きをして、目に涙を浮かべます。「おら、みなし子で、腹が減ってたまらねえから、船に忍び込んで客の財布を盗もうとしただ。だども見つかって、一文も取らねえうちに捕まってしもうただ」 それを聞いた親分は、ニヤリと笑うと、「小僧のくせに盗みに入るとは、大した奴だな。だが、この船の客はみんな貧乏人ばかりで、大した稼ぎにはならねえ。お互い、今度はもっと金持ちを狙うとしよう」 親分はそう言いながら、子分とともに自分の船に戻っていきました。 その後、お金も少し取られただけで済んだお客たちは、かしこい彦一にとても感謝したという事です。おしまい
ぽぽの随筆 「国際母語(こくさいぼご)の日」から<1>こんにちは。雨水(うすい)も過ぎ、花粉(かふん)が飛び始めているとのニュースが出ています。今年の花粉は例年より早く多く、花粉症(かふんしょう)の人は対策(たいさく)を十分にということです。私も花粉症があるので対策を十分にと言われても困ります。さて、今日2月21日は「国際母語(こくさいぼご)の日」です。ウキペディアによると、―――言語(げんご)と文化の多様性(たようせい)、多言語(たげんご)の使用、そしてあらゆる母語の尊重(そんちょう)の推進(すいしん)を目的として、国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん)(ユネスコ)が1999年11月17日に制定(せいてい)した、国際デーのひとつである。―――ということだそうです。 母語ということで私が考えるのが「継承語(けいしょうご)」のことです。「継承語」とは簡単に言えば親から受(う)け継(つ)いだ言葉で、この言葉は、1988年に言語学者(げんごがくしゃ)の中島和子(なかじまかずこ)氏によって“Heritage Language”の日本語訳として発表された比較的新しい用語であり、研究分野です。私の息子は中国で生まれ育ちました。彼にとっての母語は中国語です。「現地語(げんちご)」が中国語で、父親の母語が中国語、母親である私も中国語が問題なく使えましたので彼の母語と「生活言語」が中国語になったのは自然なことでした。では、彼にとっての日本語とは? 「外国語」でしょうか?日本語は「母語」とは言えないし、かといって「外国語」でもありません。親から受け継いで学習する「継承語」という言い方がふさわしいということになります。 「国際母語の日」から<1> 終わり ウキペディア 维基百科受(う)け継(つ)ぐ 继承現地語(げんちご) 当地语言
ぽぽの随筆 バレンタインデーこんにちは。晴れたり降ったり、暖かかったり寒かったり、春の花が咲いたかと思えば雪がちらついて、季節がよくわからなくなるような今日この頃です。 さて、今日は2月14日、バレンタインデーです。クリスマスと同じように、元々(もともと)はどういった日だったのか気にする人もなく、世間(せけん)ではそわそわと浮立(うきた)った様子です。デパートやケーキ屋などではもう3週間くらい前からバレンタインチョコの特設(とくせつ)コーナーができて、色とりどりのチョコレートが並んでいます。私が先日チョコを買いに行った時には、高校生の女の子たちがそこでにぎやかに品定(しなさだ)めをしていて、とても微笑(ほほえ)ましく思いました。日本の文化や流行に詳(くわ)しいみなさんならご存知でしょう、日本のバレンタインデーは、女性から好きな人にチョコレートを贈(おく)る日になっています。今日私は息子と日本語教室の参加者にチョコレートを贈りました。所謂(いわゆる)、義理(ぎり)チョコというやつです。それから自分にも一つ 実は今日は「ザ・ローリング・ストーンズの日」でもあります。ストーンズがデビューから28年経った1990年2月14日に初めて日本公演を行(おこな)ったことからこの日を記念日としたのだそうです。高校時代からのストーンズファンの私はこの日のほうが大切、今日は一日、ストーンズの曲をBGMにしました。バレンタインデー 終わり バレンタインデー 情人节元々(もともと) 本来,原来浮立(うきた)つ 兴奋不已品定(しなさだ)め 评定,品评微笑(ほほえ)ましい 令人喜欢,作为旁观者看禁不住笑詳(くわ)しい 熟悉的,精通的義理(ぎり)チョコ 送给朋友、同事或上司的巧克力。里面不含爱情的元素。ザ・ローリング・ストーンズ The Rolling Stones滚石乐队デビュー 初次亮相,第一次进入文艺界
ぽぽの随筆 さあ、今日からこんにちは。立春(りっしゅん)も過ぎ、暦(こよみ)の上では暖冬(だんとう)と言われた冬も終わり、春になりました。ところが最近は思いのほか寒く、満開(まんかい)になった白梅(しらうめ)に冷たい風や霰(あられ)が当たるのが見るに忍(しの)びない、そんな日々が続いています。さて、春節(しゅんせつ)はいかがでしたか?私たちの公衆号は今日からまた更新を再開し、みなさんと一緒に日本語学習(がくしゅう)の時間を共有(きょうゆう)していくことになりました。みなさん亥年(いどし)もまた、よろしくお願いします。 私たちの公衆号直通霓虹は、メンバーも少なくそれぞれ仕事があり、公衆号専属(せんぞく)というわけにはいきません。公衆号の運営(うんえい)にしろコンテンツにしろ、自分たちは何をどうしたいのか、公衆号を見てくれるみなさんは何を望(のぞ)んでいるのだろうか、どうしたら満足してもらえるのか、いろいろ模索(もさく)しながら続けています。今日から亥年の公衆号がスタートしますが、私が毎週二回更新する「ぽぽの随筆」「毎日一題」に何か変化をつけようか、それとも別のことを始めるべきかと考えています。とはいえ、ここまで続けた内容を継続(けいぞく)することにも意義があると思うので、悩(なや)ましいところです。 さあ、今日から 終わり 霰(あられ) 软雹,冰雹忍(しの)びない 不忍,忍不住コンテンツ 内容スタート 开始悩(なや)ましい 恼人的,苦恼的
ぽぽの随筆 春節も近づきましたこんにちは。玄関先(げんかんさき)の白梅(しらうめ)はもう半分以上咲いて、庭の白梅が5、6輪(りん)開いたでしょうか、それに裏山(うらやま)の梅も咲いたらしく、裏で洗濯物を干しているとほんのりと香りが漂ってとても爽やかな気分になります。 さて、春節(しゅんせつ)も近づいてきましたね。早い人だと来週には休暇に入るのではありませんか。春節期間の鉄道や飛行機のチケットは年々取りにくくなっているようですが、親孝行(おやこうこう)な中国の人たちは、大変な思いをしてもせめて一年に一度は家に帰りたいという気持ちが強いのだと思います。 お父さんお母さんの顔が見たい、おばあちゃんの得意料理が食べたい、ふるさとの友達に会いたい、孫の顔を見せてあげたい、そういう理由もあるでしょう。家に帰ると恋人はいるのか結婚しないのかと質問攻(しつもんぜ)めに遭(あ)うから困るという人も多いと聞きます。春節には家に帰るものだと、そういう習慣になっているから帰るということもあるでしょう。なにはともあれ、春節です。私たちの公衆号も少し早いけれど来週からお休みになります。みなさんよいお年を、楽しい春節、一家団欒(いっかだんらん)をお過ごしくださいね。私はもう少し受験生の息子と頑張ります。大学入試もずいぶん複雑になって、センター試験だ一般入試だ二次(にじ)試験だとまだまだ気(き)を抜(ぬ)けないのです。では、亥年(いどし)にまたお会いしましょう。 春節も近づきました 終わり 輪(りん) 朵ほんのり 微微,隐约親孝行(おやこうこう) 孝敬父母質問攻(しつもんぜ)め 处处受到提问一家団欒(いっかだんらん) 全家欢聚気(き)を抜(ぬ)く 喘口气,轻松一下
ぽぽの随筆 カレーの日こんにちは。家の白梅(しらうめ)が綻(ほころ)んで、得(え)も言(い)われぬ清(きよ)らかな香りを漂(ただよ)わせ始めました。水仙にしろこの白梅にしろ、寒い頃に咲く花の香りはどうしてこうも潔(いさぎよ)く凛(りん)としているのでしょう。冬に咲く覚悟(かくご)が感じられるようです。さて、今日1月22日は「カレーの日」なんだそうです。1982年のこの日、全国学校栄養士協議会(ぜんこくがっこうえいようしきょうぎかい)で学校給食(きゅうしょく)創立35周年を記念して、1月22日の給食(きゅうしょく)のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉(いっせい)にカレー給食が出されたことにちなんで定(さだ)められました。ということで、今夜はカレーにしようかな(^.^)最近のお気に入りは牛(ぎゅう)すじカレー、牛すじは行(い)きつけのスーパーで週に一度安売りになるのでよく買います。時間はかかりますがカレーや煮込(にこ)みにするととてもおいしく、息子も大好きです。インドカレー、タイカレーなども好きですが、家で作るのは普通のカレーがほとんどです。カレーは一年中作るので、季節の野菜で作ったり肉の種類を変えて作ったり、それから作るときには大きな鍋にいっぱい作って当日は普通に食べ、次の日にはカツカレーやカレーうどんなどにアレンジして、目先(めさき)を変えて食べています。今日は……、ひき肉が冷凍庫(れいとうこ)にあるのでキーマカレーにします!カレーの日 終わり 綻(ほころ)ぶ 微开,初绽,绽开得(え)も言(い)われぬ 难以言表的,妙不可言的凛(りん)とした 凛然カレー 咖喱給食(きゅうしょく) 学校营养餐一斉(いっせい) 一齐,同事牛(ぎゅう)すじ 牛腱子,牛筋行(い)きつけ 常去煮込(にこ)み 炖菜インド 印度,印式タイ 泰国,泰式カツカレー 猪排咖喱アレンジ 改编,改改目先(めさき)を変える 变换花样キーマカレー 肉糜咖喱ひき肉 肉馅
ぽぽの随筆 姪のおめでたこんにちは。もうすぐ大寒(だいかん)、本来(ほんらい)ならば一年で一番寒い頃です。さすがにこの一両日(いちりょうじつ)は少し冷え込んではいますが、それでもこれで大寒かと首(くび)をかしげるような冬の暖かさです。 さて、センター試験を間近(まぢか)に緊張の日々を送っていましたが、久しぶりにほっと明るいうれしいことがありました。姪(めい)のおめでたです。主人のほうの姪で、アメリカにいる上の姪のところにはすでに二歳になる子供がいるのですが、今回のおめでたは下の姪です。去年日本に旅行に訪れた、日本語を勉強していたこの姪は小さい頃からずっと可愛がっていました。weixinで「哺乳瓶(ほにゅうびん)が買いたいんだけど」とメッセージが入り、「え?おめでた?」と返したところあともう2か月で生まれるとのこと。すぐベビー用品店に走りました。いくら私が経験者だとはいえ、出産(しゅっさん)はもうずっとずっと昔のこと、店員さんに相談しながら買い物をしました。可愛らしいベビー用品に囲(かこ)まれて、とても楽しかったです。息子の赤ちゃん時代を思い出して懐かしくなり、頼まれたもの以外にもあれもこれもといろいろ買ってしまいました。 ベビー用品店から郵便局(ゆうびんきょく)に直行(ちょっこう)して、姪のいる西安(せいあん)に国際小包(こづつみ)にして送りました。すると五日目(いつかめ)には届いたとのメッセージが。早く届いて安心しました。母子(ぼし)ともに元気で生まれてきますように。早く可愛い赤ちゃんに会えますように。 姪のおめでた 終わり 一両日(いちりょうじつ) 一两天首(くび)をかしげる 怀疑,奇怪,歪头思考間近(まぢか) 临近,接近,马上おめでた 喜事,有喜哺乳瓶(ほにゅうびん) 奶瓶ベビー 婴儿,小宝宝出産(しゅっさん) 分娩,生孩子直行(ちょっこう) 直奔,径直前往小包(こづつみ) 包裹
ぽぽの随筆 平成(へいせい)こんにちは。最近は本当に暖かく、もうこのまま春になるのではないかと思うほどです。今日は天気が崩(くず)れ、昨日までの明るい太陽は見られませんが、寒い寒いと口では言いながら気温は10度を超えています。 さて、今年の4月30日で31年間に渡った平成(へいせい)の時代が終わります。テレビでもなんでも、なにかというと「平成最後の~~」とうるさく感じるほどです。少し前に終わったお正月恒例(こうれい)の大学駅伝(えきでん)でも春高(はるこう)バレーでも高校ラグビーやサッカー選手権でも、優勝者(ゆうしょうしゃ)は「平成最後のチャンピオン」と呼ばれました。1989年1月7日に昭和天皇が崩御(ほうぎょ)し、たった一週間の昭和(しょうわ)64年が終わり、翌日から平成元年(がんねん)となりました。当時私は留学生として北京にいました。インターネットもなく情報も遅く、日本のことをとても遠くに感じたものです。生まれてからずっと「昭和」で、馴染(なじ)みのない「平成」が始まったといわれても、外国にいてはまったく実感(じっかん)がありませんでした。 以来馴染みのないまま28年が経ち、一昨年(おととし)「平成」の日本に戻ってきてやっと慣れたと思ったらまた元号が変わります。次の元号(げんごう)は4月1日に発表になり、5月1日から新しい元号に切り替わるということです。一生のうち、そう何度もあることはないこの歴史的な日を今度はしっかりこの目で見届(みとど)けようと思います。平成 終わり 駅伝(えきでん) 长跑接力赛春高(はるこう)バレー 春季全国高中排球锦标赛ラグビー 英式橄榄球チャンピオン 冠军崩御(ほうぎょ) 驾崩実感(じっかん) 真实感,实际感受元号(げんごう) 纪年的名号,年号見届(みとど)ける 看准,看清
ぽぽの随筆 忙しくなってきた庭の白梅(しらうめ)の蕾(つぼみ)が日に日に膨(ふく)らんできています。最近はまた少し冷え込んでいますが、やはりこの冬は暖冬(だんとう)らしく、ネットで買った雪かきショベルはまだ一度も使っていません。まあ、使わないに越(こ)したことはありませんが。 さて、センター試験まで十日(とおか)を切(き)りました。最終的に志願(しがん)を私立大学に絞(しぼ)った息子にとっては、全ての大学の出願(しゅつがん)が始まり、忙しくなってきました。今はWEB出願がほとんどですが、便利なようで却(かえ)って昔より用意することが増えていて面倒(めんどう)だという印象を持ちました。受験票用の写真は従来(じゅうらい)の紙に印刷された写真が要(い)るところもあれば、写真データが必要なところもあります。出願登録から始まり、WEB上の出願書類を印刷しなければならず、家にパソコンやプリンターがあるのが前提(ぜんてい)なのも驚きました。もちろん実家にもありますが、今(いま)どきの入試には困惑(こんわく)することが多いです。来週末が出願締(し)め切(き)りなので、来週早々には受験料を振り込み、必要書類をそろえて手続きをしようと思っています。受験料も思っていたよりも高額(こうがく)で、複数受験のため出費(しゅっぴ)は結構痛いです。でも、それよりなにより、息子には言っていませんが息子本人より私が緊張して夜は眠れないわ胃は痛くなるわで……。しっかりしなきゃ、と自分に言い聞かせています。 忙しくなってきた 終わり 雪かきショベル 铲雪用的铲子~ないに越(こ)したことはない 胜过切(き)る 低于某数值絞(しぼ)る 集中,限定,缩小对象的范围出願(しゅつがん) 报考プリンター 打印机今(いま)どき 如今,当今,现时締(し)め切(き)り 截止言い聞かせる 劝告,劝说,训诲
ぽぽの随筆 謹賀新年(きんがしんねん)明(あ)けましておめでとうございます。昨年中はこの随筆に「毎日一題」、それに公衆号の他のメンバーの記事をごひいきにしていただき、ありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 日本海側にしては珍しく、好い天気のお正月になりました。青空が広がり、まぶしい日差しがいっぱいに地上に注(そそ)いでいます。一年の始まりがこんなに明るく爽(さわ)やかだと、なんだか今年はいいことがありそうな気になります。さて、年越しの様子をざっと書きますと、大晦日(おおみそか)の夜には年越しそば(重いそばアレルギーの息子はうどんで代用)を食べ、日本レコード大賞(たいしょう)と紅白歌合戦(こうはくうたがっせん)を観て、「ゆく年くる年」を観ながら出かける準備をして、夜の零時(れいじ)には近所のお寺と神社に初詣(はつもうで)に行き、除夜(じょや)の鐘(かね)を撞(つ)いて新しい年の平安を祈りました。 元日(がんじつ)の朝はお屠蘇(とそ)にお雑煮(ぞうに)、昼はおせち料理、夜はウィーンフィルのニューイヤーコンサートの中継(ちゅうけい)を鑑賞(かんしょう)し、二日のお昼は妹一家が年始(ねんし)に来てまたごちそうをたくさん用意、子供たちにお年玉(としだま)と毎年全く同じお正月でした。受験生の息子は新学期が始まる前の明日から模試(もし)と塾が始まります。三(さん)が日(にち)のこの天気のように、明るい結果が得(え)られますように。2019年、誰もが良い年を過ごせますように。 謹賀新年 終わり (ご)ひいき 支持,关照,惠顾大晦日(おおみそか) 除夕,大年三十年越しそば 年夜荞麦面アレルギー 过敏日本レコード大賞(たいしょう) 日本唱片大奖紅白歌合戦(こうはくうたがっせん) 红白歌会初詣(はつもうで) 新年首次参拜社寺除夜(じょや)の鐘(かね) 除夕钟声お屠蘇(とそ) 屠苏酒お雑煮(ぞうに) 年糕汤ウィーンフィル 纳爱乐管弦乐团年始(ねんし) 拜年お年玉(としだま) 压岁钱三(さん)が日(にち) 正月头三天
冬至 日南の限りを行て日の短きの至りなれば也。 一年でもっとも昼の長さが短くなる冬至。町も山々も早々と暮色に染まります。良くないことが続いた後、幸運に転じることを「一陽来福」と言います。 冬至もまた「一陽来復」、この日を境に日が長くなることから、昔の人々は冬至を冬のどん底とし、ここから太陽の光が復活して、春に向かうと考えていました。今年うまくいかなかったことも、来年はいい方向に向かうかもしれませんね。一年の計は元旦にあり、日本人はお正月をことのほか大切にしてきました。年神様が降りてこられる目印を立てたり、神聖な場所を作ったり、お供え物をして、それぞれの家にお迎えします。お正月は新年の神様、年神様にその年の幸運を授けていただく日。一年の間に訪れる様々な行事、その由来を知るともっと楽しく過ごせるかもしれません。気持ちは春めいても、これからは寒さの本番。いよいよ底冷えの季節です。京都には二十四の季節があります。冬至[とうじ]冬至。二十四节气之一暮色[ぼしょく] 暮色,傍晚的景色どん底[どんぞこ]底层,最下层;最穷困的状态。元旦[がんたん] 元旦的清晨,元旦目印[めじるし] 目标,记号授ける[さずける]授予,赋予,赐给春めく[はるめく] 有春意,有春色底冷え[そこびえ]寒冷彻骨
大雪 雪いよいよ降り重ねる折からなれば也。 何もかもが寒さに埋もれ凍てつくこの頃。生き物は活動を止め、それぞれの場所に籠ります。この[冬籠り」は万葉集で春にかかる枕詞。冬枯れに身を潜め、じっと春を待つからこそ、春が訪れた時の喜びや一入、そんな思いが込められていたようです。四季のある日本では、巡ってくる季節を待つこともまた喜びなのかもしれません。古来より師走は全ての仕事を成し終える、あわただしい月。京都には十二月十三日からお正月の準備を始める「正月事始」の慣わしがあります。新年に年神様をお迎えするため、この日から一年間の煤を払い、家の中を掃き清めます。昔の人々にとって、一年の始まりと言うのは、本当に大事だったんですね。冬来たりなば、春遠からじ。年の瀬が押し迫った京都は、迎春の華やかな雰囲気に包まれます。京都には二十四の季節があります。大雪[たいせつ]大雪。下得大而急的雪。埋もれる[うもれる]被他物覆盖,被埋上。凍てつく[いてつく] 上冻,结冰。冬籠り[ふゆごもり]蛰伏,冬眠枕詞[まくらことば]枕词,冠词冬枯れ[ふゆがれ]冬季草木枯萎,冬天的凄凉景象。潜む[ひそむ]隐藏,潜藏,潜伏下来一入[ひとしお]更加,格外師走[しわす]腊月,阴历12月的异称呼掃き清める[はききよめる]扫干净年の瀬[としのせ] 年终,年关(结算期)迎春[げいしゅん]迎春,迎接新春,迎接新年
小雪 冷ゆるが故に雨も雪となりて、くだるがゆへ也。 役目を終えた木々の葉は、冷たい木枯らしに吹かれ、舞い落ちます。この世のものにふれ、ふっと込み上げるしみじみとした情感を「もののあはれ」といいます。萌え出れば、やがて散りゆくその定めは、昔から人々の心を揺り動かしてきました。それは、移ろう季節の中で生きてきた日本人ならではの感動なのかもしれません。瑞穂の国、日本には穀物の恵みに感謝する心があります。その年の豊作を神様に感謝する新嘗祭は、一年で最も大切な行事の一つ。収穫した穀物をお供えし、その後、皆でいただくならわしです。昔は、新嘗祭が終わるまで、誰も新米を食べなかったといわれます。豊かな実りは、心の中にある感謝の気持ちがもたらしてきたのかもしれません。そろそろ雪の便りも届くころ、本格的な冬の到来も、もう間近に迫っています。京都には二十四の季節があります。小雪[しょうせつ] 小雪。二十四节气之一。每年11月22日23日,视太阳到达黄经240°时为小雪,也是天蝎宫和人马宫的分界点。冷ゆる[ひゆる]季语。秋天到了,渐渐地感觉皮肤凉凉。该词就用于形容这种感觉。木枯らし[こがらし]秋风,寒风。从秋末到冬天刮的强冷风萌え出る[もえでる]发芽,萌芽瑞穂[みずほ]新鲜的稻穗穀物[こくもつ]粮食,谷物,五谷。恵み[めぐみ]恩惠,恩泽,周济,施舍。豊作[ほうさく] 丰收新嘗祭[にいなめさい] 新尝祭収穫[しゅうかく]收获,成果便り[たより]来访間近[まぢか] 临近,接近,跟前,眼前
立冬 冬の気立ち初めて、いよいよ冷ゆれば也。 冷たい風が吹いたかと思えば、時折、うららかな陽気があって、ほっと和むこともあります。晩秋から初冬にかけて見られるこの穏やかで、暖かい天気は、春の陽気に似ていることから、「小春日和」と呼ばれます。冬の中に、春を感じ取ることができるなんて、なんだかうれしいですね。古来より、日本には季節や人生に訪れる節目というものがあります。子どもの大事な節目の年に、その健やかな成長を祝うのが七五三。昔は、子どもが早くに亡くなることが多く、「七つまでは神のうち」といわれました。七五三は七歳まで無事に生きた子どもの成長を神様に見せて、感謝する意味もあったそうです。人生って愛しい、その思いがいくつもの節目を生み出してきたのかもしれません。まだ、冬は訪れたばかり、ひと風ごとに、ゆっくりと、大地は凍っていきます。京都には二十四の季節があります。立冬[りっとう]立冬。二十四节气之一。和む[なごむ](气候等)温和,缓和晩秋[ばんしゅう] 晚秋,秋末初冬[しょとう]初冬小春日和[こはるびより]小阳春天气古来[こらい]古来,自古以来節目[ふしめ] 阶段,段落七五三[しちごさん]七五三吉数。 盛宴。 十一月十五日举行的祝贺仪式。愛しい[いとしい] 可爱
霜降 露が陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也。 秋との分かれを惜しむかのように、艶やかに色付く都の山々。平安時代、狩りをしなくなった貴族たちは、野山をめぐり、自然を愛でました。その様子が狩りに似ていたことから、紅葉を眺めることを「紅葉狩り」というようになったそうです。自然を追い求めるその心が、言葉になって、今に残っていたんですね。そろそろ火が恋しくなってくる季節。京都には旧歴10月初めの「亥の日」に、炬燵や火鉢に火入れをする風習があります。十二支の一つ猪は火を鎮める動物とされ、「亥の日」に火入れをすると火事が起こりにくいと信じられてきました。偶には、先人たちの声に耳を傾けると、なんでもない日が特別な日になるかもしれません。女心と秋の空、晴れたり時雨れたりしながら、季節は冬へ移り変わります。京都には二十四の季節があります。霜降[そうこう]霜降。二十四节气之一,10月23日左右。霜[しも] 霜惜しむ[おしむ]珍惜;惋惜;吝惜艶やか[あでやか] 艳丽,娇艳狩り[かり]打猎愛でる[めでる]欣赏炬燵[こたつ]被炉火鉢[ひばち]火盆猪[いのしし]野猪,猪科哺乳动物鎮める[しずめる]镇,止住時雨れる[しぐれる] 降阵雨;流泪
陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也。澄んだ秋の夜空に、ひときわ美しく輝く、十三夜の月。満月の十五夜と違い、少しかけた月は、古来より、日本人にとって特別な月でした。平安時代、時の天皇はほかに並ぶものがないほど、美しいと湛え、「無双の月」と賞しています。完全ではない、この慎ましさが、変えて、日本人の心を魅了しさのかもしれません。実りの秋は、感謝の季節。昔、江戸へ行商に出かけた京の商人は、10月20日に京都に戻り、商いの神様ゑびす神に商売の繁盛を感謝しました。これがゑびす講の始まりです。この日は商売上の駆け引きで客を欺いた罪を償う日でもあります。心を澄み渡らせて、また、新しく始める。都の商いは、秋の空と似ていますね。寒さに耐える菊の花がようやく出番と開き始めました。いよいよ秋は終盤へ。京都には二十四の季節があります。寒露 [かんろ]寒露,二十四节气之一十三夜[じゅうさんや]阴历每月十三日的夜晚. 阴历九月十三日的夜晚.十三日的夜晚湛える[たたえる] 装满,充满慎ましい[つつましい] 恭谨,拘谨,彬彬有礼魅了[みりょう]夺人魂魄,使……入迷行商[ぎょうしょう] 行商商い[あきない]买卖,生意商人[しょうにん] 商人繁盛[はんじょう] 繁荣昌盛,兴旺,兴隆。欺く[あざむく] 欺骗償う[つぐなう]补偿,赔偿,抵偿
秋分 陰陽の中分となれば也。季節の変り目、京の盆地は深い霧に覆われます。平安時代、人々は春と秋、どちらが優れているかを議論しました。春は霞、秋は霧。同じ現象でも微かな趣の違いを捉え、言葉を使い分けています。人の豊かさは、自然を感じ取る力で図られるのかもしれませんね。西の彼方のご先祖様に、思いをはせる、秋のお彼岸。殺生を禁じる仏の教えに従い、肉や魚を使わない、精進料理をお供えします。信仰心の熱い都では、良質の野菜を育て、仏のご膳を継承してきました。何も奪わず、貪らず、そのわきまえた生き方が清らかさのもとになっているのかもしれません。ひんやりと頬を撫でる秋の風、虫たちは早くも冬支度を始めたようです。京都には二十四の季節があります。秋分 [しゅうぶん]秋分。秋分日。二十四节气之一霞[かすみ] 霞,霭霧[きり]雾微か[かすか] 微弱;略微趣[おもむき] 情趣,风趣彼方[かなた]那方,那边殺生[せっしょう]杀生禁じる[きんじる]禁止,禁;控制従い[したがい]遵从精進料理[しょうじんりょうり]素菜,斋菜,不使用肉、鱼等材料,而仅用蔬菜或豆腐等植物性材料制作的菜肴。信仰心[しんこうしん] 信仰心,即“信仰之心”継承[けいしょう] 继承貪る[むさぼる] 贪,贪图。冬支度[ふゆじたく] 过冬的准备,冬天的服装
陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也。朝宿り、たちまち消える朝露は昔から儚いものの例えの一つ。露に似て朝開き昼に凋む可憐な露草、古くは「月草」と呼ばれ、染物の下絵に使われました。水に流れ、跡形もなく消えるこの青は、多くの人々に尊ばれたといいます。今はもう、目には見えない美しさにも思いをはせていたんですね。どの満月も並ぶことのできない唯一の存在、「中秋の名月」。昔、京都の女たちは、この夜、針と糸を持ちました、月明かりを頼りに糠袋を縫うと、裁縫が上達すると言い伝えられていたのです。また一年姿を消すその名月に、新な誓いを立てていたのかもしれませんね。悲喜こもごもの虫の声、夜中の宴は続きます。京都には二十四の季節があります。白露[はくろ]白露。24节气之一,9月8日左右。白色[はくしょく] 白色,白颜色凋む[しぼむ] 枯萎,凋谢染物[そめもの]染色。印染的纺织品。下絵[したえ] (刺绣等的)底样,底子。跡形[あとかた]形迹。痕迹。尊ぶ[とうとぶ]敬重,尊崇糠袋[ぬかぶくろ]米糠包縫う[ぬう]缝,缝纫。 缝合裁縫[さいほう]缝纫;(做)针线活儿。悲喜[ひき]悲喜宴[うたげ]宴,宴会。
処暑 陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也。ようやく暑さが収まるころ、秋の嵐が吹き荒れます。昔、台風は「野分」と呼ばれました。野の草を分けるような強い風。野分が去ると、「風見舞い」といって、親しい人の安否を気遣い、訪問したそうです。互いに慰め、励まし合って、人生の嵐を切り抜けていたのかもしれませんね。京都には古くから子どものためのお盆があります。「地蔵盆」、地蔵菩薩は地獄の鬼から子どもを救うと信じられてきました。各町内にお地蔵様を祀る祠があり、その数は5千にものぼるといわれます。都をあげて、小さな命を大切に守り続けてきたんですね。空気が澄んだ秋の朝、草花に光の滴が宿ります。京都には二十四の季節があります。処暑[しょしょ]处暑退き[しりぞき]野分[のわき]台风;寒风親しい[したしい]亲近,亲密,亲切慰め[なぐさめ]安慰,抚慰祀る[まつる]祭祀。祭奠祠[ほこら] 祠堂。供神的小社
立秋 (りっしゅう)初めて秋の気立つがゆへなれば也。名ばかりの秋かと思う残暑の頃、昨日とは違う風にはっとすることがあります。西から吹く心地よい涼風は「極楽の余り風」と呼ばれます。この遥か彼方のそよ風を都人たちはいち早く敏感に感じ取ってきました。季節の風に耳澄ませ、人生にも様々な風を呼び込んでいたのかもしれませんね。京都では先祖の霊を「お精霊(しょらい)さん」と呼び、お盆になると丁重にもてなします。お精霊さんをお迎えする「六道まいり」、昔、六道珍皇寺の一帯は、葬儀場で、この世とあの世の境目とされました。冥土まで響く鐘をついて、亡き人々をお呼びします。千年の都には、先人たちの心に通じる場所がちゃんと残されているんですね。お精霊さんを見送れば、街はにわかに秋めきます。京都には二十四の季節があります。涼風[すずかぜ]凉风極楽[ごくらく] 极乐世界,天堂。彼方[かなた]那方,那边敏感[びんかん]敏感,感觉敏锐,灵敏丁重[ていちょう] 郑重其事,恳挚,诚恳六道[ろくどう]众生轮回的六道:地狱、饿鬼、畜生、修罗、人间、天上。相对没有妄念的净土而言,指还有妄念的六种世界。珍皇寺[ちんのうじ]珍皇寺一帯[いったい]某周围全部境目[さかいめ]交界线,分界线,分歧点冥土[めいど]冥土,黄泉,阴间秋めく[あきめく]渐有秋意
大暑暑気いたりつまりたるゆえんなれば也。じりじりと身も心も焦がした頃、最も暑い夏の土用がやってきます。その昔、弘法大師はきゅうりに疫病を封じ込めました。この秘法に因み、暑さ疲れの出易い土用にきゅうりで病を封じる習わしが伝えられています。先人たちが残したおまじないには、時を越えて、人々を守る力があるんですね。茹だるような暑さの中、都人たちは愛宕山の山頂を目指します。千日詣、登る人には「おのぼりやす」、下る人には「お下りやす」、すれ違い様に励ましあって参詣し、千日分の火よけのご利益をいただきます。一期一会の喜びは険しい道の途中で生まれるのかもしれませんね。ほんの一瞬、涼やかな風を感じたら、もうそこに小さな秋。京都には二十四の季節があります。大暑[たいしょ] 大暑。二十四节气之一。暑気[しょき]暑气。じりじり逐步逼近。 土用[どよう]伏天,暑伏弘法大師[こうぼうだいし] 弘法大师疫病[えきびょう]瘟疫,传染病。秘法[ひほう]秘密方法,秘诀おまじない巫术,魔法,符咒茹だる[うだる]热得浑身发软愛宕山[あたごやま] 爱宕山千日詣[せんにちもうで]千日参拜下る[くだる]下,下去参詣[さんけい] 朝山,参拜ご利益[ごりやく]灵验,蒙神佛保佑 一期一会[いちごいちえ]一生一次険しい[けわしい]险峻,陡峭,崎岖
小暑 大暑来れる前なれば也。 梅雨明けが近づくと、都は華やかな熱気に包まれます。祇園祭でいただく「鱧料理」、生命力の強い鱧は、海のない都まで運べる、貴重な魚でした。京の板前たちは、骨の多い厄介な鱧を腕と心意気で、秀逸な食材に仕立て上げたといいます。自然が与えるさまざまな試練が、職人の技を磨き上げてきたのかもしれませんね。 祇園囃子で賑わう頃、人々の願いが夏の空を彩ります。七夕は機織りの神、棚機津女の信仰と織姫、彦星伝説が結びついて生まれたといわれます。織物の町、西陣では五色の糸を備えし、手芸、文芸の上達を祈って来ました。京都の歴史と伝統は、色とりどりの夢で、紡がれてきたのかもしれませんね。都の夏は油照り、その厳しさを知るのは、これからです。京都には二十四の季節があります。小暑[しょうしょ]小暑。二十四节气之第十一节气,每年7月7日或8日视太阳到达黄经105°时为小暑。大暑[たいしょ] 大暑。二十四节气之第十二节气。熱気[ねっき]暑气,炎热空气鱧[はも]海鳗。板前[いたまえ]厨师,红案。尤指日本菜的厨师。心意気[こころいき] 心意,心思秀逸[しゅういつ] 优秀。出众。仕立て[したて]准备,预备試練[しれん] 考验祇園囃子[ぎおんばやし]祇园会时演奏的一种曲子。 彩る[いろどる]上色,涂上(施加)颜色,施彩色,着色。七夕[たなばた]七夕,乞巧节機織り[はたおり]织布、织布工、纺织工棚機津女[たなばたつめ] 织女信仰[しんこう]信仰織姫[おりひめ]织女,纺织女工。彦星[ひこぼし]牵牛星。西陣[にしじん]西阵锦缎五色[ごしき]五彩手芸[しゅげい]手工艺紡ぐ[つむぐ]纺(纱)油照り[あぶらでり] 酷热,闷热