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笠間の道の駅では、この時期になると摘果メロンが人気です。摘果メロンは手のひらほどの大きさの若いメロンで、生のまま塩をつけて食べると、メロンのほのかな甘みとキュウリのようなみずみずしさが楽しめます。マヨネーズを添えたり、一夜漬けにしたりしても美味しく、午後には売り切れてしまうほどの人気です。また、道立派な自然薯も並んでいます。自然薯は地中深くまで伸びるため、掘り出して収穫します。皮をむくと真っ白で、土臭さはなく、森や落ち葉を思わせる香りがあります。粘りが強く、塩だけで味わうと自然薯本来の風味が引き立ちます。麦ご飯にかけると、とろろの粘りによって一層美味しくなります。笠間の土は自然薯の栽培に適していて、弥生時代や古墳時代の人々も食べていたのではないかと思わせる土地です。

笠間は栗の産地として知られ、「栗のいえ」では笠間産の栗を使ったデザートを楽しむことができます。江戸時代から続く庭や旧町長宅だった建物も残されています。栗は果物として扱われますが、デンプンを約40%含み、じゃがいもやさつまいもと同じように炭水化物が豊富な食べ物です。そのため縄文時代から貴重な食料だと考えられていました。笠間には弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が多く、笠間中央公園遺跡では弥生時代から鎌倉・室町時代までの遺構や土器が発見されています。また、「栗のいえ」がある土師(はじ)地区は、古墳時代に埴輪や土器づくりに関わった人々の名を今に伝える土地です。笠間では栗づくりだけでなく、地元の土を使った陶芸も行われており、夏には栗を使ったかき氷も味わうことができます。

笠間市は東京から車で2時間半ほど。今の季節は栗の花の香りや若葉が美しく、のんびり散策するのにぴったりです。笠間稲荷神社の参道には、お狐様やお社を売るお店が並び、赤い鳥居が新緑に映えていました。境内には樹齢400年ともいわれる「オニグルミ」の御神木があり、縄文時代から続く自然の歴史を感じさせてくれます。一方、お稲荷様は稲作と結びついた弥生時代の信仰。笠間には縄文と弥生、二つの時代の物語が重なっているんですね。参道で見つけた小さな稲荷寿司には、そのオニグルミが入っていて、お米との相性も抜群。甘くて香ばしい味わいに思わず笑顔になりました。お狐様がくわえる鍵は、人の幸せを開く鍵ともいわれます。笠間は、そんな小さな幸せに出会える町でした。

宇治川を眺めていると、中州の形が「仁」という漢字のように見えました。仁とはもともと親子の愛情を表す言葉でしたが、孔子はそこに広く人を思いやる心という意味を与えました。そんなことを考えながら、宇治の風土や文化に流れる優しさについて思いを巡らせます。宇治では初夏になると鮎の季節を迎え、伝統的な鵜飼が行われます。なかでも宇治の鵜飼は、人工孵化で生まれたウミウを女性鵜匠たちが育て、鵜と人との深い信頼関係によって成り立っていることが特徴です。縄を付けずに放たれた鵜が鮎をくわえて船へ戻り、自ら鵜匠のもとへ運んでくる姿には、親子のような絆が感じられます。また宇治は『源氏物語』宇治十帖の舞台でもあります。浮舟の物語には恋愛だけでなく、母への思慕や人間の孤独、心の苦悩が色濃く描かれています。宇治川の流れや鵜飼の風景を通して、宇治という土地が持つ深い優しさと、人の心を包み込むような魅力について思いを巡らせました。

以前から訪れたいと思っていた宇治を訪ね、宇治橋断碑をみました。宇治橋断碑は日本現存最古級の石碑の一つで、大化の改新の翌年である646年に架けられた宇治橋を記念して建てられました。現在は三分の一ほどしか残っていませんが、宇治橋建立の記録は複数の歴史資料にも残されており、古代から交通の要衝だった宇治の歴史を今に伝えています。碑文には、流れの速い宇治川を渡れず人々が困っていたため橋が架けられたことが記されています。橋は人と人、場所と場所を結ぶ存在です。一方で宇治は茶どころとしても知られています。宇治のお茶をいただきながら、鯛とヒラメのお造りをいただくと、白身のお魚の甘みがもっと白くなるような感じがしました。宇治茶と静岡・掛川のお茶を飲み比べながら、それぞれの味わいの違いについて考えます。宇治茶には心を静めるような穏やかさがあり、まるで障子越しの柔らかな光のような静けさを感じます。橋や箸、そして「端」という言葉に共通する“つなぐ”というイメージがします。宇治のお茶が人を別の世界へ導く架け橋のような存在であるんだなと思います。

雨の降り始めた宇治を訪れ、宇治川沿いで1840年創業の老舗料理店の二階から川の流れを眺め、源氏物語の「宇治十帖」に思いを巡らせました。宇治は古くから都を離れた人々が集う場所ともされ、その地名も「憂い」に由来するという説があります。そんな人々の不安や悲しみに寄り添うように建つのが平等院鳳凰堂です。平安時代、人々は末法思想により世の終わりへの恐怖を抱いていました。栄華を極めた藤原道長もまた、権力だけでは人々を救えないことを知り、平等院鳳凰堂の建立を通じて新たな平和への願いを託したといわれています。旅の締めくくりには宇治ならではのお茶料理を味わいます。三日かけて作られる抹茶豆腐は、美しい新緑色とやさしい風味が印象的で、宇治の歴史や信仰の世界と重なり合うような深い余韻を残してくれました。

京都で仕事の合間に、そろそろ茶摘みの季節だと思い、宇治へ向かいました。途中で乗り換えた中書島は、かつて大きな池と蓮の花が広がる風光明媚な場所で、戦国時代から歴史を刻み、明治から戦後にかけては花街としても栄えました。そのにぎわいを支えたのが、伏見の名酒です。伏見の酒は「女酒」と呼ばれます。琵琶湖から流れる宇治川のやわらかな水で造られるため、口当たりが優しいのが特徴です。一方、六甲山系の硬水で造られる灘の酒は「男酒」と呼ばれ、力強い味わいで知られています。伏見には御香宮神社の「御香水」をはじめ名水が数多く湧き、この水がお酒やご飯、お茶の美味しさを支えています。宇治の新茶を味わうにも、やはりその土地の水が一番。京都の豊かな水文化を改めて感じる旅となりました。

先日、水戸に行ってきました。水戸といえば納豆、そして黄門様です。水戸黄門こと徳川光圀は、テレビや小説では全国を旅して悪人を退治する人物として知られていますが、実際には江戸と水戸を往復することが多かったといいます。水戸納豆は、藁で大豆を包み発酵させたもので、藁は稲の茎であり、米と豆が結びついた食べ物が納豆です。納豆の起源には、馬の餌の煮豆を数日放置したことで発酵したという説があり、水戸や仙台など各地に伝承があります。水戸黄門の日記には納豆が登場し、毎朝「納豆汁」として食べていたとされています。また、有事に備えて、水戸藩の人々に納豆や梅干しを作り保存することを奨励していました。水戸の伝統、ご飯と納豆、梅干しを食べる朝食が、黄門様のように朝の場面を一気に勧善懲悪してくれるかもしれません。

浜松の名物「浜納豆」。糸を引かない納豆で、黒い小石のような見た目をしています。浜松の強い風とカラッとした気候を活かして天日干しで作られます。戦国時代、徳川家康は浜松城を拠点としていましたが、浜松は家康にとって苦い土地でした。武田信玄との三方ヶ原の戦いで大敗し、何度も負け戦を経験しました。泥と汗にまみれた家康のそばにあったのが浜納豆でした。浜納豆は大豆を麹で発酵させ、塩水につけて熟成させて干して作ります。一粒噛むと、まず塩気、次に苦味、そして発酵した大豆の旨みがゆっくり鼻の奥に通ってきます。白いご飯に一粒置くとよく合います。保存ができ、持ち運べ、少量で力になる浜納豆は、戦国時代の条件を完璧に満たした食料でした。家康が天下を取るために使ったのは刀だけではなく、時間を読む力、人を待つ力、食の知恵でした。浜松が育てた浜納豆こそが家康のお城だったのではないでしょうか。

皆さん、納豆はお好きですか? ネバネバとかき混ぜていると、不思議と元気が湧いてくる気がしますよね。そんな納豆ですが、実は北海道とも深い縁があります。北海道は大豆の一大産地で、おいしい納豆作りに欠かせない場所なんです。その発展に大きく貢献したのが、北海道帝国大学の研究者・半沢洵先生。かつて納豆は藁に包んで作るのが一般的でしたが、半沢先生は納豆菌を培養して製造する「半沢式納豆製造法」を確立しました。そのきっかけを与えたのが、納豆菌の研究で知られる沢村真博士です。北大には今も半沢先生の銅像があり、さらに文学者の有島武郎とも親交がありました。納豆の糸のように、人と人とのつながりが新しい文化や技術を生み出してきたんですね。梅雨のじめじめした季節、北海道の爽やかな空の下で食べる納豆は、きっと格別のおいしさだと思います。

皆さん、納豆はお好きですか? ネバネバとかき混ぜていると、不思議と元気が湧いてくる気がしますよね。そんな納豆ですが、実は北海道とも深い縁があります。北海道は大豆の一大産地で、おいしい納豆作りに欠かせない場所なんです。その発展に大きく貢献したのが、北海道帝国大学の研究者・半沢洵先生。かつて納豆は藁に包んで作るのが一般的でしたが、半沢先生は納豆菌を培養して製造する「半沢式納豆製造法」を確立しました。そのきっかけを与えたのが、納豆菌の研究で知られる沢村真博士です。北大には今も半沢先生の銅像があり、さらに文学者の有島武郎とも親交がありました。納豆の糸のように、人と人とのつながりが新しい文化や技術を生み出してきたんですね。梅雨のじめじめした季節、北海道の爽やかな空の下で食べる納豆は、きっと格別のおいしさだと思います。

長崎で栽培されているジャガイモの品種に「ニシユタカ」があります。皮が薄く形が崩れにくいため煮物に適しています。このジャガイモは以前「デジマ」という名前で呼ばれており、その歴史は江戸時代まで遡ります。1808年に起きたフェートン号事件では、イギリス軍艦がオランダ国旗を掲げて長崎港に侵入し、オランダ人を拉致しました。人質解放の条件として水や薪とともにジャガイモ2カゴが渡され、人質が無事解放されました。その後、1821年にオランダ商館の職員たちが桜馬場の裏でジャガイモ栽培を行い、これが現在のニシユタカの原型となる「デジマ」となりました。このような歴史的背景を持つニシユタカは、「煮物」だけでなく「じゃがバター」で食べるのも良さそうです。

フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』は一度見たら忘れない絵です。大村湾周辺では、子供の頃、海に潜るとアコヤ貝が岩に多く張り付いており、炭火で焼いてバター醤油で食べる習慣がありました。時には貝の中から真珠が出てくることもあり、四つ葉のクローバーを見つけた時の嬉しさがありました。真珠養殖で有名なミキモトですが、大村湾では高島末五郎が昭和12年に、真珠を丸く美しく育てるためのアコヤ貝養殖を始めています。『肥前風土記』には、大村湾の島の女性が献上した貝から二つの真珠が出てきたため、その島を「玉の島」と名付けたという記述があります。また、大村藩主・大村純忠はローマ法王やオランダ人に真珠を献上していました。そのため、フェルメールの少女が身につけていた真珠も、大村湾の真珠だった可能性があり、もしそうだとしたらすごいことですね。

江戸時代の大村藩があった地域は、かつて「肥前彼杵(ひぜん そのぎ)」と呼ばれていました。室町時代末期の1561年、平戸を追われたポルトガル船とキリスト教の神父たちが、大村湾入口の横瀬港を見つけます。領主・大村純忠は、ポルトガルとの貿易によって領地拡大や勢力拡大ができると考え、キリスト教を受け入れました。1563年には大規模なキリスト教布教も始まります。大村は京都や関東から遠い土地でしたが、西洋とのつながりによって時代の変化を感じていた場所でした。また、大村では塩ゆでピーナッツが名物になっています。現在一般的な関東のピーナッツは明治以降のものですが、戦国時代にはポルトガル船によって南アフリカ経由のピーナッツが日本へ持ち込まれていました。大村でも、ポルトガル人や神父たちから伝わったピーナッツを食べていた可能性があります。大村の浦川豆店では「ゆでぴー」という塩ゆでピーナッツが売られており、おやつや酒のつまみとして親しまれています。

東京から飛行機で1時間半ほど。長崎空港は大村湾に浮かぶ島にあって、着陸前に見える景色が本当にきれいなんです。大村湾は山に囲まれた穏やかな海で、塩分濃度が低く、水がやわらかいと言われています。そのおかげで、アナゴやヒラメなど魚もおいしいんですね。そんな大村には、田植えの後にいただく「さなぼり」、稲刈り後の感謝を込めた「かまあげ」という食文化も残っています。そして地元の家庭料理が「にごみ」。ごぼうや里芋、鶏肉、さつま揚げなどを汁気がなくなるまで煮込んだ、ゴロゴロしたお惣菜です。白いご飯によく合って、まさに母の味。大村湾を訪れたら、ぜひ味わってほしい郷土料理です。

武雄には、宇宙ステーションのような外観をした佐賀県立宇宙科学館「ゆめぎんが」があります。ここではJAXAと佐賀県が連携した「JAXA佐賀スクール」が行われ、自然科学や宇宙への興味を育てています。館内には自然科学系の本を集めた図書館やブックショップもあります。また、武雄市立図書館は開放感があり、自由に本を選んで読める居心地が素晴らしく良い空間です。武雄には、明治時代に建てられたままのレトロな温泉も残されており、熱い湯とぬる湯の二つの浴槽があります。さらに、樹齢三千年を超える大きなクスノキの御神木があり、幹の中には畳十二畳ほどの空間と神様が祀られています。武雄名物の呉豆腐は、にがりではなく葛とでんぷんで固められており、ぷるぷるでもちもちした食感です。ごま醤油をかけて食べるほか、黒蜜やきな粉をかけてデザートのように食べることもあります。無重力空間で呉豆腐を食べてみたいと思うほど不思議な食感でした。

江戸時代、鎖国をしていた日本では、ヨーロッパや中国大陸から入ってきた文物は長崎街道を通って福岡、大阪、江戸へ運ばれていました。その街道沿いにある多久という町には、日本最古と言われる孔子廟があります。また、多久にはここにしかない伝統野菜「女山大根」があります。女山という山で育つことからその名が付けられました。女山大根は白ではなく赤く、長さ約八十センチ、胴回り六十センチ、重さ十キロほどにもなる大きな大根です。辛みが少なく甘みが強く、硬くて煮崩れしにくいため、昔は煮物として食べられていました。現在では大根おろしやシャーベット、アイスクリームにも使われています。旬は十二月から二月頃で、武雄や嬉野温泉へ向かう途中の多久で味わうことができます。多久の殿様は、この女山大根を牛に四本積んで佐賀藩主に献上していたと言われれるほどの珍味です。

嬉野温泉では、温泉に浸かりながら何も考えず、ぼーっとしていると、つらいことも消えていくように感じられます。地元の人に勧められて旅館・大村屋を訪れると、ラウンジには、佐賀県出身の書家・中林吾竹の「書代万」という書が目に入ってきます。町が火事になった際、当主が川に入って守ったという話も残っています。嬉野温泉名物の湯豆腐は、とろみのある温泉のお湯でゆっくり煮込まれ、体の中まで温まるようなおいしさです。また、くるりの岸田繁さんが制作した『MUSIC FOR THE ONSEN』という音楽が館内で流れていて、温泉に入って“とろとろ”、湯豆腐を食べて“とろとろ”、音楽を聴いて耳の中まで“とろとろ”になる感覚になります。嬉野では、いろいろなことを忘れてしまうような時間が過ぎていきます。

嬉野へは、博多から特急リレーかもめを乗り継いで、西九州新幹線に乗れば東京からでも午後には到着できます。塩田川が流れ、歩いているだけで心がほどけていくような場所です。観光とは、その土地の“光”を見つけ、学ばせてもらうこと。そんな言葉がぴったりの町だと感じます。嬉野温泉は日本三大美肌の湯のひとつで、歴史も古く、さらに580年以上続く嬉野茶の産地としても有名です。茶畑や森、大村湾を眺めながらお茶を味わうティーツーリズムも魅力ですね。そして、お茶に合うのが橋爪菓子舗のどら焼きや名物のまんまるカステラ。藤井聡太さんがお茶菓子に選んだことでも知られ、温泉とお茶とお菓子、その全部が嬉野の魅力を感じさせてくれます。

伊万里のメインディッシュは、伊万里牛です。但馬牛の血統を受け継ぐ伊万里牛は、地元の固有の土地と牧草で育てられることで、他の銘柄牛とは異なる独特の美味しさを生み出しています。外国人からも絶賛されるほどの逸品です。このおいしい伊万里牛を盛るにふさわしい器が、伊万里焼の最高峰である鍋島です。佐賀鍋島藩の秘窯「大川内山」で作られてきた鍋島は、江戸時代には将軍家や諸大名にのみ献上される特別な陶磁器でした。色鍋島、鍋島染付、そして青磁の三種類があり、中でも九代長春による青磁は、濃い水色の神秘的な光沢で伊万里の四季折々の自然の美しさを表現しています。美味しさは舌の上だけで味わうものではありません。伊万里牛の美味しさと、それを盛る青磁の芸術性が一体となることで、総合的な美食体験が実現します。食卓に彩りと深みをもたらす、伊万里ならではの文化を堪能できるのです。

佐賀は南国で豊かな土地であり、佐賀の人々は非常に徹底した性質を持っています。商売では利を取り切り、交渉では甘さがなく、行動力に優れながらも倹約や合理性を徹底しているのが佐賀人の特徴です。しぶとい性質を持ちながらも、つらい顔を見せず、ニコニコ笑顔で対応するあっさりした気質が魅力です。伊万里は、東松浦半島と北松浦半島の付け根に位置する地政学的に興味深い場所で、両半島から流れてきた文化を吸収する地点です。古くからフルーツ王国として知られ、伊万里梨は手のひらサイズの小さな梨で、水分豊富で原種の特性を残しています。薄皮のキンカンは種がなく、そのまま食べられる珍しい品種です。また、芯まで真っ赤な「イチゴさん」というブランドが大人気で、フルーツ狩りができるスポットも多数あります。

佐賀県伊万里地域は、古くから豊かな自然と文化で知られています。伊万里湾はリアス式海岸で、潮が東から西へ雷のような音を立てて湧き上がる壮観な現象が見られます。この地で古伊万里焼や有田焼などの陶磁器が生まれ、現在ではジャポニズムの影響で世界中で高い人気を集めています。伊万里の食文化も独特です。地元ではいりこ出汁が主流で、カタクチイワシやマイワシが豊富に獲れます。また、佐賀は良質な小麦の産地であり、「春風ふわり」という品種で作られたうどんは、いりこ出汁との相性が抜群です。伊万里川沿いには、夫婦円満や長寿を象徴する大きな陶磁器の置物が並んでおり、町を散歩しながらこれらの縁起物を楽しむことができます。歴史と食、工芸が融合した伊万里は、訪れる価値のある魅力的な地域です。

伊万里へ行くなら、東京からは福岡空港が便利です。レンタカーで1時間20分ほど走ると、海と山に囲まれた独特の景色に出会えます。まるで中国の山水画のような風景や、小さな島々が浮かぶ静かな湾が広がっていて、昔はここから伊万里焼がヨーロッパへ輸出されていました。台風の影響を受けにくい天然の良港だったそうです。さらに伊万里湾では車エビの養殖も盛んで、植物性プランクトンが豊富な海で育った車エビは絶品。最近は「プロトン凍結」という特殊な冷凍技術も使われていて、解凍してもまるで生のようなおいしさなんだとか。地元の方も「伊勢海老より車エビ」と太鼓判を押していました。

浜松を訪れ、春キャベツの美味しさとその背景にある風土を体感しました。キャベツは餃子などに使われるものの主役にはなりにくく、指定野菜の多くも同様に目立たず食生活を支える存在です。浜松から渥美半島にかけてはキャベツ畑が広がり、強い風の中で育つ環境が特徴です。キャベツが丸く巻くのは「結球」という性質と風の影響によるもので、葉が傷むのを防ぎ水分を保つため、内側へと重なっていきます。その形は外圧に耐えながら生きる知恵でもあります。春キャベツは柔らかく甘く、冬のものは火を通すと深い甘みが出ます。また、層を重ねた構造は、剥いても核心が現れないものの象徴とも言えます。キャベツは主張せずとも常に寄り添い、食卓を支える存在であると実感しました。

軽井沢の澄んだ空気には、身を引き締めるような厳しさがあり、その雰囲気に合うのが辛味大根を添えたそばです。小ぶりな辛味大根は、すりおろすと鋭い辛さで人を目覚めさせる力を持ちます。一方で、日本各地には多様な大根が存在します。鹿児島の巨大な桜島大根、北海道で夏に出荷されるみずみずしい青首大根、東京・練馬の水分が少なく硬い練馬大根など、それぞれ気候や土壌に応じた特徴があります。青首大根はサラダに、練馬大根は煮物やたくあんに適しています。大根は地域ごとに食べ方を変えながら、日本人の食生活に根付いてきました。夏はサラダ、冬は煮物と四季を通じて味わえる身近な食材であり、その力強さは人の内面の成長にも通じるものがあります。

国が指定している「指定野菜」。これは日本人の食生活を支える重要な野菜を安定供給するための制度で、現在は15品目が指定されていて、今回のテーマ「じゃがいも」も含まれています。北海道・帯広の広大な畑で育つじゃがいもは、寒冷な気候と広い土地、さらに開拓期の奨励政策によって発展しました。南米アンデス原産のじゃがいもは寒さに強く、開拓者たちの重要な食料となり、現在では北海道が全国生産の8割以上を担っています。また、豆や小麦などと組み合わせた体系により土壌が保たれ、安定生産が可能になりました。じゃがいもは単なる野菜ではなく、政策や歴史、風土に支えられた存在です。煮物やカレー、ポテトサラダなど家庭料理に欠かせない食材であり、その味は私たちに温かい家庭の記憶と幸福感をもたらしてくれます。

国の指定野菜でもある「きゅうり」をテーマにしたお話です。高知へ向かう途中、海が見えた瞬間に空気がふっと変わり、甘くて湿り気のある南国らしさを感じます。この水の豊かさこそが、野菜のおいしさを支えているんですね。きゅうりは奈良・平安の頃には「コカ」と呼ばれ、当時は黄色く完熟するまで待って食べていました。それが江戸末期から明治にかけて、青く若いうちに食べる今のスタイルへと変わります。戦後はサラダ文化の広がりとともに身近な存在となり、1960年代には国の指定野菜に。安定供給され、食卓に欠かせない野菜になりました。食べ方もさまざまで、その瑞々しさが魅力です。

奈良県の當麻(たいま)に行ってきました。當麻の名物、よもぎ餅「中将餅」を食べに朝早く向かったのですが、お店の前はもうすでに人でいっばいでした。売り切り御免の中将餅は、よもぎが搗き込まれた餅の上に、餡を控えめにのせたもの。なんといっても、食べた瞬間、お店が独自の畑で栽培しているというよもぎの香りが立ちのぼります。甘さよりもまずやってくるのは「野のにおい」です。名物というものは店先で完結していると思われがちですが、店の奥に見える畑から、本当はそうじゃないことに気がつきます。「當麻寺」を訪ねると中将姫が一晩で作り上げたと言われる「曼荼羅」も残っています。人はときどきことはそのものよりも、言葉が生まれる前の気配にうたれることがあります。當麻はそういう場所なのではないかと思います。

奈良・斑鳩の地に佇む法隆寺。世界最古の木造建築として知られていますが、その価値は「古さ」だけでは語りきれません。アーネスト・フェノロサのような存在が、日本の美を見出し、外へと開いていきました。その結果、法隆寺は1993年、日本で初めて世界遺産に登録されるに至ります。日常の中では気づきにくい価値。それは食にも通じます。奈良の朝にいただく「茶がゆ」は、静かで素朴な味わい。そこに奈良漬けの強い香りと塩気が加わることで、「おいしさ」が際立ちます。対照的なものが並ぶことで、はじめて見えてくる本質。法隆寺の美も、奈良の食も、その“バランス”の中で、今へと受け継がれています。

法隆寺に行ってみるとガラーンとしていました。 日本を代表する古いお寺です。でも、圧倒される感じを受けたり、感動することもありません。あって当たり前という感じでした。奈良市内から40分。法隆寺に近づくにつれ、なぜか言葉も少なくなって、喋らなくてもいいんじゃないかという気持ちになってきました。その道すがら「柿の葉寿司」を食べました。握った時の柿の葉のザラザラした感じが、法隆寺の乾いた空気と合っています。そして、食べるためになんの説明もいらない。東京や都会では、さまざまな成分などの説明を読んでから安心して食べたりしますが法隆寺ではいらない。これこそが、日本の心の故郷である法隆寺の強みです。だから、たまに奈良に行くと、都会で働く元気のもとになるのではないかと思いました。おいしいものを食べた時の「沈黙」を味わうために。

奈良市内から法隆寺までは車で40分ほど。着いてみると、やっぱり特別な場所で、壮大なのにまったく威張っていない。古いのに、どこか軽やかで、余計なものが削ぎ落とされて、祈りだけがすっと立っている、そんな感じがしました。この寺を築いた聖徳太子が、どんなものを食べていたのか、ふと考えたんです。ひとつは、中国大陸から渡って来た「蘇(そ)」、牛乳を煮詰めたチーズのようなもの。もうひとつは、あくまで私の想像ですが、昔から日本にある「鰯(イワシ)。新しく入ってきたものが「蘇」で、古くからあるものが「鰯(いわし)」と考えると、その両方を大事にすることは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という言葉に、つながっているのではないでしょうか。そして夢殿。八角形でどこが正面かわからない、そんな建物にも太子の“和”の思想が広がっている気がしました。

今年の春のお彼岸は3月20日、最近は春分の日という言い方が一般的ですが、奈良ではやはりお彼岸という言葉に特別な意味を感じます。奈良七大寺に代表されるように、古くから仏教の教えが息づく土地で、「彼岸へ向かう」という感覚が自然とあります。「山笑う」という季語の通り、若草山もにっこり微笑むような春の表情でした。 そんな中いただいたのが、和牛のステーキにブロッコリーとわさびのピュレ、さらに奈良のお味噌や醤油にマルサラ酒を合わせたソース。実はブロッコリー、2026年4月から国の指定野菜になりましたが、一番おいしいのは冬の終わりから春先。寒さの中で育ったものは旨みがぎゅっと詰まっています。マルサラ酒はイタリア・シチリアの酒精強化ワインで、コクのある甘みが特徴。お肉にもよく合います。 奈良はシルクロードの東の終点とも言われ、正倉院にはペルシャや中国の影響を受けた品が残っています。今回訪れた「シルクロード」という名のレストランでも、そんな歴史のつながりを感じる味に出会えました。

ホテルで窓から景色を見ていると、部屋に案内してくれた若い男性が、一山向こうが和歌山、そして三重にも近いことを教えてくれました。ホテルの近くの日本料理の店に行ったら、隣の和歌山にも近いということを感じさせてくれる、驚きのものを食べさせてくれました。和歌山の磯間港でとれた「しらす」をのせた「しらす丼」です。伝統の小曳網漁(こびきあみりょう)で傷つけないように取られた磯間のしらすは「飲めるしらす」と表現できるほどです。奈良県葛城市で収穫したお米にたっぷりのしらす。そしておいしいたまごの黄身。「奈良にうまいものなし」と言ったのは志賀直哉でしたが、とんでもない。おいしいものがたくさんあります。

奈良で泊まりたかったところに泊まってきました。奈良市役所の目の前、1300年ほど前、奈良時代に長屋王が住んでいたところです。本来なら天皇になっていたかもしれない方です。なんだかその場所に立つと急に身近に感じられました。そこで、長屋王と同時代に生きた阿倍仲麻呂も思い出しました。遣唐使として長安へ渡り、望郷の念を抱えたまま異国の地でなくなった仲麻呂。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」仲麻呂の故郷・奈良を想って詠んだ歌も声に出してみました。そして彼らが食べたであろうものを食べました。奈良の「マナ」という野菜です。時を超えて1300年の昔を感じること。自分の原点を感じることができます。仲麻呂が観た月を観るように、奈良を訪れるのは満月の時がいいかもしれません。

奈良を訪ねて、春を呼ぶ行事・お水取りと、その背景にある食のかたちを見てきました。ちょうど時期が重なり、奈良国立博物館での特別展も訪問。東大寺二月堂のお水取りは、人々の無事や再生を祈る大切な行事です。博物館の展示の中で特に印象的だったのが、僧侶たちの食事の献立です。江戸時代の資料なんですが、今もほとんど変わらず、とても質素。ご飯に味噌汁、少しの煮物。でもそのシンプルさが、二週間の厳しい修行を支えているんだと感じました。余計なものを削ぎ落として、体と心を整える――その食そのものが修行なんですね。実際にその行法味噌もいただいたんですが、派手さはないのに、じんわり体に染みてくる味。まるで心に小さな火を灯すようでした。奈良の食も、祈りを静かに支えているんだと思います。

浜松で出会ったのは、食用のほうずき。口に含むと、蜂蜜と塩が溶け合ったような、まるでマンゴーのような甘さが広がります。もともと薬として用いられてきたほうずきは、近年、浜松を中心に食材として新たな価値を見出されています。日照時間の長い土地と、料理人の工夫によって、熟成させた実を丁寧に仕立てることで、まったく新しい味覚が生まれました。薬から食へ。ほうずきは、自由な発想によって新しい価値を得ました。浜松の風の中で生まれた一粒には、 “おいしさの可能性”が詰まっています。

夏も近づく八十八夜。今年は5月2日です。この頃になると、鮮やかな黄緑の新芽が芽吹き、それる摘み取る茶摘みが茶どころ掛川でも始まります。掛川のお茶で最も有名なのは「やぶきた」という品種。明治41年、在来種の一部に、おいしいお茶があることを発見した茶農家の杉山彦三郎に名付けられました。「やぶの北に生えていたから」というのが理由でした。掛川では「茶草場農法」という伝統的な農法で作られ、希少な生物の隠れ家としても機能しています。中でも「さえみどり」は新芽の香りが際立つ品種で、「天葉(あまね)」というブランドで管理されています。美味しい和食や和菓子の後に、また慌ただしい日常の中で、掛川のお茶をいただくと心が落ち着くのではないでしょうか。

浜松でも希少でめったに食べられないものを2つ食べることができました。ひとつは浜松の南側に広がる遠州灘の「ふぐ」。全国有数の天然のふぐの産地と言われますが、「延縄漁(はえなわりょう)」で1尾ずつ丁寧に釣り上げられるふぐは、傷がついていず、旨味も損なわれていません。その白子のふわふわした味わいは絶品でした。そしてもうひとつ、こちらは本当に希少な「浜根トリュフ」というきのこ。海岸の松林に生えていると言います。パチンコ玉くらいの小さいトリュフで、昔は「干松露(ほししょうろ)」言われ地元ではお馴染みだったものですが、今ではすっかり見かけなくなった「幻のきのこ」と言われています。こうした「行ってみないと食べられないもの」というのは、やっぱりすごいなと思います。

月曜日はやっぱり浜松名物、うなぎです。浜名湖のうなぎって有名ですよね。で、うなぎって“ふかふか派”か“カリカリ派”かで好みが分かれるんですが、浜松あたりはちょうどその境目。お店によって焼き方が違うのも楽しみなんです。今回入ったお店はカリッカリの地焼き。そこに浜松・春野町の“ぶどう山椒”をかけると、柑橘っぽい爽やかな香りがふわっと広がって、これがまた絶品。さらに浜名湖産のハマグリのお吸い物や、自家製のなら漬けも付いてきて、これもまた美味しいんです。浜松にはうなぎ屋さんが100軒以上あるとも言われていて、食べ比べも楽しみのひとつ。実は浜名湖は日本最大の汽水湖で、ここでうなぎの養殖が始まったのが明治時代。そんな歴史ある場所で味わう「うなぎ」は、また格別なんですよ。

スーパーの野菜売り場で、どこか心を和ませてくれる、青梗菜。やわらかな葉とシャキシャキした茎、その穏やかな佇まいは、まるで鳩のようなやさしさを感じさせます。静岡県袋井市は、日照時間の長さと豊かな水に恵まれた青梗菜の名産地。青=緑の葉、梗=しっかりとした茎という名前の通り、その食感と味わいは、土地の力をそのまま映し出しています。一方で、同じくシャキシャキとした食感が魅力の空心菜は、中が空洞になった軽やかな食べ心地で、いくらでも食べられてしまう不思議な魅力を持っています。青梗菜のやさしさ、空心菜の軽やかさ。そのあとにいただく一杯のスーラータンメン。シャキシャキとした食感と酸味が、体と心を整え、午後への力を与えてくれます。

その土地のお水がおいしくないとおいしいお米はできません。袋井市も水に恵まれ「きぬむすめ」というおいしいお米が穫れるところです。一方、水が豊富にあるということは、恵みである反面、害もあります。袋井は歴史的に何度も水害にあっている場所でもあります。特に1860年の台風による高波では甚大な被害を受けました。その被害を受けて、先人たちは、街の中央に緊急避難場所になるよう「山」を作りました。それは「命山(いのちやま)」と呼ばれています。当時作られたものが残っています。また、2011年の東日本大震災を契機に「平成の命山」も整備しました。命があるからこそのおいしいお米だと実感することができます。

「マスクメロン」のマスク、実はかぶるマスクのマスクではありません。MUSK。つまり「麝香(じゃこう)」のことなんです。イギリスから日本に入ってきたマスクメロン。英国人が「MUSK」をマスクと発音していたこと、そしてマスクメロンの香りが「麝香」に似ていたことからこの名になったんだそうです。袋井市はマスクメロンの名産地です。「静岡クラウンメロン」は品質の高さが日本でも有数と言われています。一本の茎にたった一つの実にして育てる栽培法で、おいしくみずみずしいマスクメロンの中でも超特級品です。甘くてとろっとしていますが、ちょっと粉っぽいという独特の味。これが良いんです。可能ならジャコウジカの腹部から採られるという「麝香」の香りを嗅いでから、この「クラウンメロン」の香りを比べてみてください。