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京都市左京区北山にある鞍馬寺。源義経はここで修行をし、鞍馬山に棲んでいたと言われる大天狗を退治したと伝えられています。またそれより少し前の平安時代、清少納言によって書かれた「枕草子」にも「近うて遠きもの くらまのつづらおりといふ道」という形で鞍馬山は登場します。左京区北山という京都市内にあってもなお、清少納言のように当時京の都に住んでいた人々にとって鞍馬山は近いようで遠いところだったようです。そしてここ鞍馬山では5月の満月の夜に行われる秘祭があるのです・・・。
今から約650万年前、京都の鞍馬に金星人が降り立ったという都市伝説があります。現在の人類の技術では金星が最も地球に近づいた時でさえ、到達するのに約200日ほどかかるそうです。そんな長旅ですと大事になるのがその間のお食事ですが、徳島大学で宇宙食の研究をされている先生がいらっしゃいます。そして宇宙食の研究で培った技術は実は地球上の農業にも応用されているのです!
人を自宅に招いたりして幸せな時間を共有するというのは実に素晴らしい事ですね。住宅事情もあって日本では西洋ほど頻繁に人を自宅に招く習慣はありませんが、それでも招かれた家に入った際、とっても幸せに包まれる香りのひとつが「焼きたてのパンの香り」ではないでしょうか?そして焼きたてのパンの香りで多幸感を覚えるのも、実は我々のDNAの中に組み込まれている特徴なのかもしれません・・・。
皆さんは給食、お好きでしたか?良い思い出はありますか?実は「給食」という言葉は奈良時代からありました。この当時、役人を養成する教育機関が既に存在し「大学」と呼ばれていましたが、ここの生徒達が寮で食べる食事が「給食」と呼ばれていたのです。では日本における近代的な意味での「給食」はいつ、どこで始まったか、ご存知ですか?※放送内容の一部、表現に間違いがあったため修正しました
「食育」という言葉は石塚左玄という明治時代の医師によって生み出されました。「体育」「知育」「才育」の根幹にあるのが「食育」であると説きました。更に石塚左玄は「郷に入れば郷に従え」つまりその土地の環境にあった食材を使った食事を摂りなさい、という意味である「身土不二」という考えも説いています。
頭で考えるのと同じように、私たちの腸もまたいろいろな事を考えているという説があります。脳は論理的な事を考えるのに対して、腸は私たちの身体の栄養が足りている、或いはこの栄養が足りていない、といった事を考えて脳に伝え、その命令に従って私たちは食べ物を買いに行ったりするというものなのです・・・。
軽井沢で晩年を過ごした小説家、堀辰雄の旧居跡には現在「堀辰雄文学記念館」が建っています。堀辰雄の代表作は「風立ちぬ」。この作品名は松田聖子さんの大ヒット曲やスタジオ・ジブリの映画のタイトルにも使われていますが、元々はフランスの詩人、ポール・ヴァレリーの詩から引用されています・・・。
軽井沢といえばジョン・レノンを思い浮かべる方も少なくないと思います。1970年から1979年にかけて、ジョンとヨーコ、そして息子のショーンは何度か軽井沢を訪れています。当時ジョン・レノンと会ったり、交流があったという方は多かったようですが、既に45年以上前という事もあり、その数は年々減っています。そんなジョンとヨーコが定宿としていたのが軽井沢の万平ホテルでした。
近代建築の三大巨匠といえばフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ、そしてル・コルビジェです。ミース・ファン・デル・ローエはあまり日本では知られていませんが、ライトは旧帝国ホテル、そしてコルビジェは上野の国立西洋美術館をそれぞれデザインしている事で日本でもお馴染みです。しかし、ライトの愛弟子が軽井沢に建てた建築物のデザインをめぐって、ル・コルビジェとの間に確執があったという事はご存知でしたか?
最近はステーキの事を「ビフテキ」とは呼ばなくなりました。ステーキといえばビーフだという事が共通認識となった為に、わざわざ「ビフテキ」とは呼ばなくなったのか、それとも「ビフテキ」という響き自体があまり現代的ではないからでしょうか。響きといえば「軽井沢」という地名もとっても素敵な響きですが、それは何故だと思いますか?
現在の雪印メグミルク株式会社の前身にあたる有限責任北海道製酪販売組合が設立されてからも今年で100年です。しかし遡りますと飛鳥時代に百済より牛乳「らしき」ものである「醍醐」と呼ばれていたものが日本にもたらされていたようですが、この醍醐が実際はどのようなものであったかは日本食品史最大のミステリーの一つとされています・・・。
三菱鉛筆といえばトンボ鉛筆と並んで、日本ではお馴染みの鉛筆ですが、そんな三菱鉛筆も今年で設立百年を迎えています。でも、この三菱鉛筆とあの三菱グループとは全く関係がないんですね!そして鉛筆と言えば、牛肉のリブロースの芯の部分に「えんぴつ」という部位があるのをご存知でしたか?
味の素も株式会社鈴木商店という名前で発足以来、今年で設立百年を迎えました。かつて、特に西洋では人間が味覚として感じているのは甘味・酸味・塩味・苦味の4つのみだと考えられていました。しかし、東京帝国大学の池田菊苗教授がダシとして使われている昆布の旨味がグルタミン酸である事を発見し、現在では旨味は味覚の五大要素の一つとして認識され、UMAMIという単語は世界の共通語となりました。味の素はこのような旨味の成分を利用した調味料です。
今年は昭和も丁度百年、そしてラジオの放送が始まったのも、今から100年前の1925年です。ラジオ開局の際、一番最初に流れた曲は何であったかご存知ですか?ヒントは作詞:北原白秋、作曲:山田耕作の楽曲。日本を代表する作曲家の1人である山田耕作はヨーロッパで過ごした時期が長かったのですが、ヨーロッパでは日本のある料理にインスパイアされたオリジナル・レシピのお料理をよく振る舞っていたそうです・・・。
沖縄本島のシンボルといえばやはり首里城。2019年に火災で正殿などが消失してしまいましたが、来年の秋には復元工事が完了するようです。首里城のふもとに「角萬漆器」という漆器屋さんがあり、そこでアイスクリームを注文したところ、緑茶の粉を入れるなつめに入って出てきたのです。なかなか粋な入れ物ですね。
名護市の北東に浮かぶ伊江島は落花生の産地。落花生は地面に生える豆という事で「地豆」とも呼ばれていますが、これをうちなーぐちで『ジーマミー』と言います。そしてこのピーナッツから作られる豆腐が沖縄名物の「ジーマミー豆腐」。ジーマミー豆腐は前菜やおかずとしても頂けますし、スウィーツとしても楽しめるのです!
人の味覚は時代と共に変わっています。お刺身やステーキもかつては新鮮さがとても重要でしたが、最近は熟成させた方が旨味が引き立つということで熟成肉などがもてはやされています。今回、名護市のリッツ・カールトンの鉄板焼きのお店で沖縄のブランド肉であるもとぶ牛を頂きました。そして花ニラというちょっと珍しいお野菜が付け合わせで出てきたのです・・・。
日本の市町村のいくつかでは、子供が産まれると母子手帳と共に親子で読むための絵本が贈られてきます。この試みは『ブックスタート』と呼ばれており、元々は1992年にイギリスのバーミンガム大学が始めたもの。名護市でもこのブックスタートが行われていますが、名護で配られているのは、江戸時代に名護にいた人物で、中国に留学してその後全国の寺子屋でも教えられる事になる『六諭衍義』という本を日本に紹介した程順則という人の伝記なのです。
山や森林が豊かな沖縄北部は『山原』と書いてやんばると呼ばれており、2021年にユネスコ世界自然遺産に登録されています。そしてこのやんばるの中心である都市が名護。沖縄には紅型染めというとても美しい着物があります。この紅型染めの職人、藤崎さんにお話を伺いに藤崎さんの工房に伺いました。藤崎さんの工房は辺野古にあり、目の前の海は正に工事真っ只中でした。
「お願い事やお詫びをする時は、重量感のあるものを持っていきなさいよ」とよく言われました。重量感のあるお菓子といえば、和菓子ではやはり羊羹。病院にお見舞いに行く際には果物、特にメロンなどを持っていきますが、実はこの習慣は日本独特のものであるという事はご存知でしたか?そして同じ果物でも『桃』はどんな時、どんな相手に渡すのが良いと思いますか?
現在の加賀市は江戸時代、実は加賀藩ではなく、その隣の大聖寺藩に属していました。この大聖寺藩は江戸時代に太田錦城という偉大な学者を輩出しています。ところで論語の中に『道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ』と言う言葉があります。これは孔子が弟子に「どのような人生を送られたいですか?」と問いかけられた際に答えた言葉なのではないかと考えられていますが、この言葉の持つ意味、お分かりですか?
先日『霧の彫刻家』中谷芙二子さんとお会いしました。最近ですと、銀座エルメスで行われた『「グリーンランド」中谷芙二子+宇吉郎展』を記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。中谷さんのお父様は加賀市出身の中谷宇吉郎さんという物理学者で、世界で初めて人工雪を作ることに成功した人物。その功績を称えて加賀市には『中谷宇吉郎 雪の科学館』というものが建てられています。※『中谷宇吉郎 雪の科学館』は能登半島地震による施設被害復旧工事のため2026年3月31日まで休業中です。
石川県加賀市へは東京から直通で約3時間半で行けるようになり、大変便利になりました。加賀市では毎年『今年の日本語 あいうえお大賞』が行われていますが、その理由は加賀市の山代温泉で日本で最初に五十音図が作られたからなのです。更にここ加賀では北陸で一番最初に稲作が行われたともいわれています。
高槻の山の方にある樫田という地区には『心根』というお料理屋さんがございます。昨今、とかく海の幸ばかりがグルメの話題にのぼりがちですが、この心根さんは山の幸の本当の美味しさを追求し、高槻の山奥にわざわざお店を構えていらっしゃいます。この心根さんがある樫田という地区は古くからある家屋が幾つか残っており、その建築様式、特に屋根のデザインは特筆すべきものです。
高槻には日本最大級の前方後円墳の一つである今城塚古墳がございます。ここは公園になっており、一般人が自由に立ち入る事が許されている数少ない古墳でもあります。また、古墳がある為か、この近くでは埴輪も大量に作られていた事が知られています。また古くから水田があり、稲作も行われていたそうです。このように高槻は古代日本において、非常に重要な場所でした・・・。
ところてんや寒天も高槻と大変ゆかりのある食べ物で、その歴史は江戸時代まで遡ります。ところてん自体は遣唐使が日本にもたらしたものですが、あんみつやみつ豆に入っている寒天はその後、日本でところてんから進化したものと言われています。そして寒天というものは食材以外にも本当に色々な分野で大活躍しているという事実はご存知でしたか?
大阪府高槻市に昨年末、大阪市内より関西将棋会館が移転してオープン致しました。この新しい将棋会館には将棋にまつわるグッズを販売しているショップがあります。特に「玉茶」という名のティー・タブレットは大人気。第74期王将戦の第4局は高槻で行われましたが、この1局に先立って藤井聡太王将が召し上がった『勝負メシ』は高槻の郷土料理であるキジ鍋であったそうです。
嵐山にある松尾大社という神社には日本中の酒蔵からお酒が奉納されています。ここにはお酒の神様がいらっしゃると信じられており、この地より湧き出る霊泉「亀の井」の水をお酒を醸造する際に混ぜるとお酒が腐敗しないといわれています。その為、多くの醸造家がお酒を作る際にここのお水を混ぜる風習があるそうです。この霊泉、一般の方でも持って帰れるんですよ!
芸能や芸術で才能を伸ばしたい!という方、是非京都嵐山にある車折神社にお参りに行かれてみてはいかがでしょうか?玉垣をご覧になると有名な芸能人の方々のお名前が書かれております。しかし、実はここには平安時代後期の儒学者、清原頼業が祀られているのです。
嵐山の北の方には愛宕山がそびえていますが、その近くには第56代清和天皇の御陵などがある嵯峨水尾というところがございます。この水尾は柚子で有名で、なんと樹齢300年以上といわれる柚子の木があるそうです。懐石料理の汁物に添えて、香りや味を豊かにする「吸い口」という薬味がございますが、これに柚子の花が使われたりします。
嵯峨、嵐山は京都市内の中心を流れている加茂川ではなく、京都の西側を流れる桂川の方にあります。京都はお豆腐が美味しい事でも知られていますが、中でも有名なお豆腐の一つが『嵯峨豆腐』。嵯峨豆腐の有名なお店、森嘉さんに行ってきました。お豆腐には普通「にがり」が使われていますが、実は嵯峨豆腐にはにがりではなく、ある別のものが使われています。それは何だと思いますか?
「ハーブは料理に香りと生命を吹き込む」フランスのシェフの間で教えられ続けている言葉です。メインの料理を引き立てるのに欠かせないハーブ。しかし我々がお料理で楽しんでいるハーブの香りは元々ハーブが捕食されないようにするための防御として進化したものだという説があるのです・・・。
美味しい和牛のステーキ。でもその美味しさを相殺してしまう旨味たっぷりのある食材、ご存知でしたか?旨味が詰まった食材同士でも、相性が良くない組み合わせというものがあるようなのです。またステーキを頂く際のお塩も合うものと合わないものがあります。味の相性地図というものを知っておくと、よりお食事が楽しめるかも知れません。
一口に「醤油」と言っても、地方によって味はかなり違います。関東地方ではお刺身やお寿司などは辛口のお醤油で頂きますが、九州や北陸では甘いお醤油で頂くことが多いです。人それぞれ好みはあるかも知れませんが、やはりその土地でとれたものはその土地のお醤油で頂くのが美味しいような気が致します。とは言いつつ、関東の濃口醤油は実は和歌山からきたものだというのはご存知でしたか?
実は文字より先に地図があったと言われています。狩猟をしていた我々の祖先は狩りに行くのに必要な目印や、帰り道を記した地図を文字ができる遥か以前に描いていたようです。人類にとって無くてはならない地図。そんな地図には効用が4つあると言われていますが、それは一体何だと思いますか?
池袋のサンシャイン水族館で深海魚を観に行ってきました。太陽の光が届かない漆黒で、音も殆どなく、そしてとてつもない水圧がかかっている深海。そんな場所に適応した生き物はどれもヘンテコな形にならざるを得なかったようです。その為か、通常の動物でしたら毒であるものも喜んで食べます。自分がワクワクする場所、自分にとって最良の環境に適応して生きていると、時として周りから変な生き物だと思われるかもしれませんが、そのような人の目に忖度して生きていく必要は果たしてあるのでしょうか?
現在、マグロと言えば青森県などが有名ですが、江戸時代の書物によりますと、当時マグロで有名だったのは長崎県の平戸あたりだったそうです。最近では台湾あたりでもマグロが多く水揚げされていますね。この三つの場所ではいずれも「媽祖」という航海・漁業の守護神である女神が祀られており、媽祖は「千里眼」そして「順風耳」という2名の随神を引き連れています。
イルカは好奇心に溢れた動物。そんなイルカに好奇心を持った北海道大学の先生方がユニークな研究を現在されています。イルカの赤ちゃんの舌先には突起や窪みのようなものがあるのですが、果たしてこれらはどのような味覚があるのかという事。と言いますのも、クジラやサメやマグロなどのように捕食する魚などを丸呑みにしてしまう生き物は味覚に関連するDNAが壊れている、という報告があるからなのです。
人間はずっと同じところにいるとマンネリ化してしまいます。マンネリ化する自分からの脱皮こそが卒業。脱皮するという事は「進化」そして「深化」とも言えますが、後者を英語ではDEEPINGと言います。最近はワインを「深化」させる為に海の底で熟成させる手法が日本でも行われ始めています。このワインを海に沈めて熟成させると美味しくなるというテクニック、とっても意外な形で見つかったのです・・・。
サツマイモの原産地は南アメリカです。それがインドネシアなどを経由して日本にもたらされたと言われています。しかし現在、日本で食べられているサツマイモはほぼ全て日本で品種改良されたもの。多くの日本人に愛されているサツマイモですが、そんなサツマイモを日本で一般に広めたのは、江戸時代に千葉市の幕張でサツマイモの栽培を始めた青木昆陽という人物でした・・・。
ラスト・エンペラー、溥儀(フギ)の弟、溥傑(フケツ)は嵯峨浩(サガ・ヒロ)という美しい日本の公爵家出身の女性と結婚して、当時は高級別荘地であった千葉市の稲毛に住んでいました。その後、2人は子供達と共に満州の新京に移り住み、そこで終戦を迎えます。戦後、溥傑と浩そして子供たちは15年も日本と中国で離ればなれに暮らす事になります。その間、娘達は父の溥傑に日本の食べものを送っていたそうですが、その中にあの「チキンラーメン」も入っていたとか・・・。
都内から電車でも自動車でも大体1時間程度で行ける千葉市。この千葉市内には日本最大級の貝塚である加曽利貝塚があり、当時の縄文人がイボキサゴという小さな貝をよく食べていた事が分かっています。そして現代の千葉ではこのイボキサゴを使ったイタリアンが『縄文グルメ』として食べられるのです!しかし、そもそも『貝塚』って何なんでしょう?ただの縄文人のゴミ捨て場だと思っていたら、それは大きな間違いですよ!